あらすじ
【第37回講談社ノンフィクション賞、第58回日本ジャーナリスト会議賞(JCJ賞)受賞作】東日本大震災、福島第一原発事故で被曝地となった福島。警戒区域内の家畜を殺処分するよう政府は指示を出した。しかし、自らの賠償金や慰謝料をつぎ込んでまで、被曝した牛たちの「生きる意味」を見出し、抗い続けた牛飼いたちがいた。牛たちの営みはやがて大地を癒していく―。そう信じた彼らの闘いに光を当てる、忘れてはならない真実の記録。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
眞並恭介『牛と土 福島、3.11その後。』集英社文庫。
本書は第37回講談社ノンフィクション賞と第58回日本ジャーナリスト会議賞をW受賞したノンフィクション作品である。充てにならない政府や関係機関を見限り、自らの意志で家畜と共に自らの人生を突き進もうとする牛飼いたちの姿を描いており、非常に興味深い。また、行間からは牛飼いたちと家畜たちの静かな怒りが伝わる。
東日本大震災で被曝地となった福島で、警戒区域内の家畜の殺処分指示に抗い、牛を生かそうとする牛飼いたちの静かな闘い…
早くも東日本大震災から7年が経過する。当時の状況を思い出すと、津波被害の映像と並び、福島第一原発の水蒸気爆発と核爆発の映像がトラウマのように頭の中に浮かぶ。当時、官房長官とか名乗る猪八戒のような男が『直ちに影響はない』と繰り返す白々しい嘘の大本営発表。総理大臣などと名乗っていた沙悟浄のような男が福島第一原発に乗り込み、事故と闘う人びとの足を引っ張る茶番劇。113億の巨費を投じて、結局は使えなかったSPEEDI。全てが国民無視で、後手後手に回った情報開示と避難指示と相次ぐ判断ミス。未だに様々な不都合を隠蔽しているのは間違いない。我々は福島の牛飼いたちのように自らの意志で進むべき道を見出ださねばならないのだろう。
Posted by ブクログ
眞並恭介(1951年~)は、主に医学・医療分野の分野を取り上げた作品を執筆するノンフィクション作家。本書は、2015年に出版され、同年の講談社ノンフィクション賞を受賞、2018年に文庫化。
我々は、2011年3月11日の東日本大震災時に起こった福島第1原発事故により、東京23区の半分もの広さの地域が帰還困難区域となり、数万人の人びとがそれまでに住んでいた場所から未だに離れて暮らしていることを知ってはいるが、その記憶は日々の生活の中で僅かずつとはいえ薄れつつあるし、ましてや、その地域にいた動物たちのその後を意識することは、残念ながらほとんどない。
しかし、本書を読むと、原発事故発生時に警戒区域に約3,500頭の牛がいたこと(豚は約3万頭、鶏は44万羽)、そして、その牛たちと牛飼いの畜産農家の人びとの運命と生活が、その日を境に不可逆的に変わってしまったことを改めて認識する。
震災から約4年後の調査報告によると、約3,500頭の牛は、安楽死処分が1,747頭、処分に不同意の所有者による飼養継続が550頭、安楽死処分と畜舎内で死亡した牛を合わせた一時埋葬処分が3,509頭である。単純合計が元の頭数をはるかに上回るが、事故後に自然交配で生まれた牛などが把握できないことによる。
また、数百の畜産農家は、(国の命令である)安楽死処分に同意せざるを得なかった人と同意しなかった人、(人に迷惑をかけないように、餓死しないようにという思いは共通でも)牛をつないだまま逃げた人と放して逃げた人、牛飼いを続けている人・再開しようとしている人と諦めた人、故郷に帰ろうとしている人と帰らない人・帰れない人などに分かれ、更に賠償金や慰謝料の格差もあり、畜産農家間での亀裂は深まっているという。
そうした中で、本書に描かれているのは、必死になって牛の命を守り続ける牛飼いや獣医師たち、特に、帰還困難区域に指定された浪江町小丸の牧場にいる、震災時8ヶ月齢だった双子の安糸丸・安糸丸二号の運命を軸として、被曝牛に深く関わった人びとの姿と心の内である。
西洋であれば「牛は人の食料として存在する動物であり、人間が被曝の危険を冒しながら飼育する意味などない」と大半の人びとが考える状況で、国が殺処分を命じた牛、被曝した牛を生かす意味を探り求めながら飼い続ける牛飼いたちの姿。。。それは極めて日本的であるし、それ故にこそ、心からの共感を覚えずにはいられない。
「福島、3.11その後」を知ることができる、貴重かつ心に迫る一冊と思う。
(2019年8月了)