あらすじ
享保元年(1716)九月十日、『葉隠』はついに完成。山本常朝と田代陣基の邂逅からほぼ六年半の歳月が経過していた。その間、陣基は武士たるものいかにあるべきかを求めて煩悶し、膨大な語りと書付のなかを彷徨い格闘を続けてきた。下巻には、さまざまに躍動する鍋島武士たちを活写した聞書八・九と、武田信玄、徳川家康、伊達政宗など他国の名だたる武将たちの縦横無尽の活躍を論評した聞書十、そして、これまでに漏れた重要な教訓や挿話を改めて多数取り集めた聞書十一を収録。常朝の語った真の武士の姿の全貌が、ここに陣基の手によって明らかにされる。全三巻完結。
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Posted by ブクログ
鍋島藩士の戦い、殉死、切腹などの逸話と他国の武士の説話など。
大久保道古名花の評判の事。世が末に成りたるとて、人々思ひたくし、精を出さぬは無念の事に候。世に咎は無之」と申し候。
大事の場へ出候時は、耳のびくに津(つば)を付け、鼻より大息を吐きのべ、在り合ふ器物をうつ伏せ、出で申し候。秘事にて候。また上気致し候時、耳塚に津を付くれば則離るる也。
子産曰く、火は肌を破るものと知る故、火あやまちをする者は少し。水は心安く思ふ故に、溺死する者多し
俊乗坊は日本に丈六の留遮那仏を建立し、末世の衆生を救はんとの誓願を発され候。
大猷院様島津家の犬追物御上覧の時、島津飛騨守落馬仕り候。此時の作法御感(ぎょかん)被成重ねて落馬御所望の由。
板垣信方、外様に罷り在り候時、何卒信玄の傍に近寄り諌めを申し非義をさせ不申様に仕りたく存じ候へども御前疎く候て不任所存候処、信玄詩歌に心を寄せられ候と承之、信方学問を勤め、詩歌を仕習ひ、或る時御前にて詩歌詠歌を仕り御気に入り、其後如所存諫言を申し、忠節を竭し申し候由。
口論の時心持の事。「随分尤も」と折れて見せ、向(さき)に詞(ことば)を尽くさせ、勝ちに乗りて過言する時弱みを見て取り返し、思ふほど云べし。
心を静むる事。唾呑み也。秘事也。立腹の時も同然也。額に唾を付くるもよし。
柳生殿の極意に「大剛の者に兵法なし」という。