あらすじ
●大人にも増えていて、職場にも増え、
周囲の理解とサポートが求められる「自閉スペクトラム症」を
豊富な実例(症例)をもとに理解を深める1冊
自閉スペクトラム(Autistic Spectrum Disorder、略称ASD)とは、
自閉症やアスペルガー症候群を含む高機能自閉症などの各疾患を、
知的障害レベルや自閉症状の強弱によって
連続する広汎性発達障害と捉えた概念のこと。
これまでの障害の概念を変える
新しい考え方として最近注目されているが、
分類の仕方にもよるが、
10人に1人は該当するという見方もある。
発達障害の中でも特に対人関係をうまく築けず、
周囲を困惑させてしまい、
“生きづらさ”を感じることで、
大人が引きこもりやうつ病を引き起こすことも問題となっている。
大人の自閉スペクトラムの人が抱える困難とは何か?
どうすれば社会で周囲から誤解されなく活躍できるのか?
いまだ誤解もあり理解が足りていないこともあり、
周囲はおろか本人が自覚していないケースも少なくない。
そのため職場で問題になるケースがある一方で、
一部、IT関係など緻密な仕事に向く彼らならではの
特性を活かす企業も出てきている。
本書は、当事者やその家族が置かれる現状を踏まえて、
周囲はいかに対処するかを、
長年発達障害と向き合ってきた精神科医の著者が、
最新の研究の動向や豊富な職場での事例をまじえて解説する。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
自分の会社にも、このように思える人がいる。受け取り方によっては心を痛めてしまう人もいるし、逆に働く人もいる。人とは違うと思う事をプラスに受け止め、そういった人達も受け入れていける職場を作ることが大事であると思った。
ただ、ASDの心配があるのであれば一度受診するのも手ではないかと思う。自分では気づけない事に気付く事により、違う一面も見えてくる時がくるのではないかと思う
Posted by ブクログ
ASDの特性で悩んでいる人は社会に出てから発覚するケースが多く生きずらさに共感出来た。
社会適応の鍵は失敗を通して学んでいくしかないと感じた。
特性による二時障害には気をつけて日常生活を送りたい。
Posted by ブクログ
自閉スペクトラム症を抱える人の生きづらさを感じる原因として、「怒られても特性は直せるものではない」「周囲に誤解される」「期待のズレは周囲をイライラさせやすい」ことがあるそうだ。
私はコミュニケーションの質的な問題はあまり気にならなくなったが、対人関係を継続させたり集団に協調したりする社会性はまだまだ成長させる余地が大きいと感じている。でも、周りの人からは「コミュニケーションする能力があるんだから、人に対する好き嫌いで避けているだけだろう」と思われがちな気がする。こればかりは試行錯誤する中で、集団での立ち位置を確立していくしかない。人との境界線をうまく引き、1人の時間を確保することができるのであれば、誰に対しても公平に快活に振る舞うことはできると思う。今実践しているところだ。
また、社会人一年目「1回目の間違いはまだ許されるが、2回同じ間違いをするのは素人がやることだ。」と言われて不注意が特性にある私は強いプレッシャーを感じた。慣れていくうちに仕事でミスをすることはほとんどなくなったけど、あの時「私は不注意なところがあるので」と言っても、理解が得られたとは到底思えない。特別支援に造詣が深い校長でも部下にその概念を当てはめようと思っただろうか?でも、インクルーシブ教育を謳っているのだから、ニューロダイバーシティは児童に限らず保護者や教員にも認められていいと思う。でも、今の教育現場の余裕のなさではそんなことも言ってられないだろうなとも思う。
私も復帰したら30代の中堅になる。周りに対してある程度の影響力をもつことができるだろう。だから、私から始めたい。できないことは素直に周りに助けを求め、周りの人が苦手としている面では自然にサポートできる人になりたい。そして、助け合いの雰囲気作りを大切にするよう努めたい。でも、私は「自分には発達障害があり、人のサポートがないとうまく生きていけない」ということを認めるのがすごく怖い。それに関して、著者の備瀬哲弘さんは、「サポートを得ることは施しを受けることとは全く異なる」と言っている。誰でも苦手な面はあるがそのために自己評価を低くする必要はなく、真のプライドがあれば、苦手な面でさえそのままを認めることができるそうだ。この考えは自助グループのプログラムと共通するものがある。改めて、謙虚とはありのままの姿を認識することであることを念頭に、自分の力には限りがあることを認め、周りに委ねて助け合って生きることが大切なのだと思った。
また、そのままを認めることは自助の重要な要素だ。「自分は何に困っているのか?」「自分にとってのストレス因は何か?」を自分に問いかけることが自助を考える上でのヒントになるそうだ。毎日のお祈りを通して、自分の心と向き合い、恐れへの気づきを大切にしていきたい。ASDの人は自分の感情も人の感情も関心があまりないから理解できないそうだ。「一生懸命に考えても分からないんだけどな?」と思うところもあるけど、だから感情的なサポートより実務的なサポートを必要としているというのは共感した。私も寄り添ってくれる人より、実務的な答えをくれる人と仲良くしたくなるし、相談相手としても選びがちだ。ASDの人のサポートでは、定期的に相談に乗ることと、問題点の整理と具体的な解決方法を検討することがポイントになるそうだ。その際、「なぜサポートをする必要があるか?」「どこまでサポートをする必要があるか?」が問題になりやすい。自助グループの中で助け合いを習慣づけていきたい。そして、私がやってほしいことは素直にお願いして、その分私が得意なことに力を入れることで貢献したい。また、他の人が困っていることに気がついたら、私に無理のない範囲でできることを考えサポートするようにしていきたい。「なんでこの人は同じミスを繰り返すのだろう?」とイライラするより苦手な面を理解し、得意な面を活かして仕事をしてもらった方が、お互いに精神的に格段に平穏になる。「行動様式が少数派であるため、自分にとって普通に感じられないのだろう」と考え、困っている人がその人らしく生きられるようにサポートすることができたらいいなと思った。この本は、大人のASDの人への支援について書かれた本だが、白黒思考でこだわりが強く、社会性の低い私には人とのかかわり全般について学ぶものがあった。自分が礼儀やマナー、一般的な常識や能力を求められてきたから、他人にも同水準のそれらを求めるということはせず、その苦しさが分かるからこそ寄り添える人になりたいと思った。これまで自分の特性というところでしか調べてこなかったけど、より大きな視点でASDのことを捉えられるようになった。
Posted by ブクログ
発達障害の話はどうしても子どものものだと思いがちであったが、振り返ってみれば、本書の事例に書いてあるような人たちは自分の身の回りにも存在していたように思う。ASDに対する社会の理解が深まることが生きににくさを改善する最も有効な手立てであると思うが、話はそう簡単に済むものでもないので、自分の周りに対してどう関わっていくかを考えたい。
ASDを持っているか否かということよりもそれに該当するような特性が強く見られるかどうかという意識のもと、そのような相手と向き合った時にどのようにサポートできるのか、または自助してもらうのかということを意識したい。
また、子どもと関わる仕事をする身としてはこのような特性が強い人たちがいるということを小さいころから認識させる取り組みを行って行かなければならないとも感じた。