あらすじ
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雑誌「ナショナル ジオグラフィック日本版」の好評記事をデジタル化してお届けする「ナショジオ・セレクション」。本編は2016年4月号の特集記事。
インドネシアのスラウェシ島に暮らすトラジャ族の人々にとって、死は必ずしも別れではない。家族が死ぬと、その遺体とともにしばらく暮らす。朝、昼、晩、それにおやつの時間に食べ物を運び、話しかける。ホルマリンで防腐処置が施されているため、遺体が腐敗することはなく、いずれはミイラになる。家族を失った悲しみを、遺体に寄り添って和らげる彼らの生活・文化をレポートする。
感情タグBEST3
死とは生者のもの
どの国のどの民族も、どの宗教もその根底は揺るがない。
例外はと言えるのはエジプトのミイラだろうか。生者の慰めのためではなく、あくまで死者の来世のために残すものだから。
近代社会から見れば異なものに見えるトラジャの人々の風習は、けれど世界において唯一というわけでもない。
遺体や遺骨を伝統的な手法で残し、残されたものの悲しみが癒えるまで身近に置かれたりするのはそう珍しくないから。
日本人の遺体や遺骨への執着も、世界から見れば十分に珍しいのだし。
改めて自分の死生観や、誰のための葬儀なのかを考えさせられるリポートだった。