あらすじ
なぜ650年も続いたのか――。足利義満、信長、秀吉、家康、歴代将軍、さらに、芭蕉に漱石までもが謡い、愛した能。世阿弥による「愛される」ための仕掛けの数々や、歴史上の偉人たちに「必要とされてきた」理由を、現役の能楽師が縦横に語る。「観るとすぐに眠くなる」という人にも、その凄さ、効能、存在意義が見えてくる一冊。【巻末に、「能をやってみたい」人への入門情報やお勧め本リスト付き】
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Posted by ブクログ
良書。
思ったより面白かった。
世阿弥の偉大さ、豊臣秀吉の影響。時のお金持ちが芸術を育てる。
能は見る人の想像力を要する。小説と同じだ。知識と人生経験がないと楽しめないのかも。
Posted by ブクログ
世阿弥の風姿花伝で能に触れた後、能のことをより勉強したいと思い購入。
面白いなと思ったのは世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉の解釈である。本来は物事を始めたときの気持ちをずっと忘れるなととらえられがちだが、本来世阿弥が意味した意味というのは「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」ということである。これは知らなかったため、「はぁ~」と勉強になった。実際、室町時代の能と幕府に保護され式楽となった江戸時代、明治時代以降、戦後と4つのフェーズで能は大きく変化しており、形を変えながら生き残ってきたのはまさにその「初心忘るべからず」を体現してるなと感じた。
また、江戸の武士の中で能は教養として身につけなければならないものであり、「候文」が武士間で使われていたのは、それが標準語となっていたからというのも面白かった。能を知っていることが前提で、方言同士では話し合えないため、候文が使われていたとか。
さらに、現代で通ずる話では、現在の2.5次元との相関性(能は妄想を映し出すスクリーンとなるとか)がある。
人気になる芸能は妄想を喚起させる力が強く、そこでは歌の力が強い。現代に通ずるなと納得。
また、聖地巡り(能で演じられた舞台を実際に旅するとか)も当時からあったと書いてあり、昔も今も人間の本質って変わっていないんだなと実感した。
温故知新ではないけど、過去の歴史のことも勉強して抽象化して、現代で起こりうることを予想することにもっと役立てたい、そう実感させてくれた。
Posted by ブクログ
著者自身がワキ方の能楽師でいらっしゃるため、「能というのはこういうものだよ」とレクチャーしてもらえる内容ですが、観劇を始めたばかりの現時点では「そうか、そういうものか」と知識として受け入れる状態です。
しかし、観劇の回数が増え、能の謡を習ってある程度年数が経った後にこの本をもう一度読めばより腹落ちするのではないかと思える、自分の能楽の経験値を測れる本のような気がしました。
内容として特に興味をそそられたのが、主人公の武士が修羅道や地獄に堕ちるストーリーの多い能を江戸幕府が庇護した主目的は「敗者の鎮魂」であった、そして幕府から与えられた鎮魂、それも「源義経の魂を鎮める」というミッションが芭蕉のおくのほそ道にはあった、というのは話 。
後半のミッションの話は著者の仮説ですが、読んでいるとあながち間違っていない気がしてかなり興味深い内容です。
芭蕉以外に能を習っていた文人は近代にも多くいたようです。特に漱石の作品には能の影響が色濃く出ているものがあり、中でも主人公が旅に出る『草枕』は「能を通して世の中を見る」という『おくのほそ道』と似通った設定(芭蕉は自身を能のシテ方と設定して旅をした)で物語が進みます。
かねてから太宰や漱石などの近代文学作品を読んでみたいと思いつつ、どうも食指が動かなかったんですが、これを機に『おくのほそ道』と合わせて『草枕』『夢十夜』から読んでみようと思います。そしてこの本同様、年を経て能の経験値が増えた時にもう一度読み返したいと思います。