あらすじ
行動するCPたちの痛快・青春ノンフィクション! 「カニって横に歩いてるやん。誰も不思議に思わへんやん。障害者が健全者と違う歩き方をしてるのは当たり前のことちゃうの」
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Posted by ブクログ
【カニは横に歩く】BMWの助手席で
少し昔の話。
ある先生が運転するBMWの助手席に乗せていただき、連れて行っていただいたのは、障がい者の施設でした。
その施設で、ある部屋に通されて、私は言葉を失いました。
ベッドに横になっていたのは、背丈が小学生くらいの女性。
目は開いていたと思うのですが、ほとんど動かず、反応のない彼女。
たしかに生きているはずなのですが、その状態を私は「生きている」と受けとめられなかったのです。
先生の話から、ベッドにいた女性は当時の私と同じ20代だと知りました。
とても重度の障がい者の方だったと記憶しています。
帰りの車の中で、先生はポツリと言いました。
「家族もね、会いに来ないんですよ。生まれてから十年、二十年以上、あのまま。あそこでね」。
私は、何も言えませんでした。
「でも、生きているんですよね?」
「どんな状態でも、家族は家族ですよね?」
と言うのは、単なる綺麗ごとを言うだけのような気がしたからです。
とても重いものを感じて黙ってうつむいた時、目に入ったのはBMWの灰皿でした。
灰皿は、先生の煙草の吸殻で一杯になっていました。
BMWという高級車と、吸殻でいっぱいになった灰皿とが、先生の気持ちの表と裏のように見えました。
綺麗ごとでは済まないことがあるのだと思い、20代の私にとって、強く印象に残った出来事でした。
亀岡信彦氏の「カニは横に歩く」(講談社)を読んで、このBMWの先生のことを思い出し、
重度の障がいのある方との関係について、改めて考えさせられました。
著者は、重度の障がいのある方との関係について、次のように書かれています。
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人が人に会うのは、何らかの楽しみを求めるからであろう。
今ほど福祉制度が充実していなかった頃、障害者の介護に行くのは、介護者が絶対的に不足していたという背景があったのだが、それだけでは人はついてこない。
「あの人と会うと楽しいよ」
そう言われると、会いに行きたくなるものである。
(中略)
では、知的障害者の場合はどうか?相性があるので一般化はできないが、天場志信や森本正夫の介護が必ずしも楽しいわけではない。健全者が用いる言葉や常識が彼らに通じないことがある。逆に彼らが楽しいと思うことが介護者にとっては苦痛になることもある。
(p434より)(*天場さん、森本さんは重度の障がいをお持ちの方)
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「人を惹きつけるものがない」障害者はどうなるのか、という問題は常につきまとう。
(中略)
中には特段興味をそそられることがない障害者もいた。障害者側もまた健全者に対して合う合わないはある。好悪の感情や各自の思い入れと、介護の必要性をどううまく調整するかは、天場志信周辺の問題であり、私自身の課題でもあった。(p324より)
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介護・介助する側も人間。
誰にでも等しく、同じ感情で、接することができるわけではないのだと思います。
あまり好きになれない、合わない、そんな相手からも、介護・介助を求められることは発生するのだと思います。
そんな時、介護・介助をする側は、どのようなこと考えながら、感じながら、障がいのある方とおつきあいしていくのでしょうか。
会話が成り立たず、応答がほとんどない方に、どんなふうに接していくのでしょうか。
介護・介助する人は、それぞれ、なんらかの解釈、意味づけをして、接していくのでしょうか。
介護・介助される側も人間。好き・嫌いは当然あると思います。
しかし、一方で、生きていくために必要な介護・介助があり、それを誰かに提供してもらわなくてはなりません。感情をうまく伝えることができる人もいれば、そうではない人もいると思います。
BMWで連れていっていただいた施設で、お会いした重度の障がい者。
私は、これまで、あの方以上に重度の障がいの方と接した機会がありません。
もし、自分が、重度の障がいのある方の家族だったら?
介護者だったら、どんなふうにおつきあいしていくのだろう?
私には、まだ、よく分かりません。
人と人とが関わりあうということ。
とてもシンプルなことなのに
複雑でもあり、深い。
そう感じます。
明確な答えはありませんが、
障がいのある・なし関係なく、相手と関わりあっていく中で、その時々で、どうおつきあいしていったらいいんだろう?と、迷いながら、考えながら、進んでいくしかないのかな。と考えています。