あらすじ
不適切なかかわりが、子どもの脳を変形させる
脳科学が明らかにした驚くべき事実
「子どもの前での夫婦喧嘩」、「心ない言葉」、「スマホ・ネグレクト」に「きょうだい間の差別」──。
マルトリートメント(不適切な養育)が子どもの脳を「物理的」に傷つけ、学習欲の低下や非行、うつや統合失調症などの病を引き起こすことが明らかになった。脳研究に取り組む小児精神科医が、科学的見地から子どもの脳を解明し、傷つきから守る方途と、健全なこころの発達に不可欠である愛着形成の重要性を説く。
[内容]
序 章 健全な発達を阻害する脳の傷つき
第一章 日常のなかにも存在する不適切な養育
第二章 マルトリートメントによる脳へのダメージとその影響
第三章 子どもの脳がもつ回復力を信じて
第四章 健やかな発育に必要な愛着形成
終 章 マルトリートメントからの脱却
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
不適切な養育のことをマルトリートメントと言い、虐待よりも広範囲の概念をさす。暴力等の虐待だけではなく、面前DV、夫婦喧嘩、不適切な言葉がけ、放置、無視など、どんな理由であれ子どもが傷つく行為はすべてマルトリートメントにあたる。そしてマルトリートメントを受けた子どもの脳は傷つく。暴力、性被害、夫婦喧嘩などマルトリートメントによっても脳が損傷を受ける部分がかわる。物理的に何もしなくてもマルトリートメントによって脳が傷つくとは怖いことだと思った。
子どもへの支援はもちろんのこと、親を含む養育者への支援の重要さも書かれていた。
ボリュームはそれほど無いのですぐに読めるが、内容が深く、良かった。
Posted by ブクログ
マルトリートメント(不適切な養育)が子供の脳を"物理的"に傷つけるという衝撃的な内容。
特に「面前DV」と呼ばれる「両親間の暴力・暴言を見聞きすること」が、マルトリートメントに含まれているのが興味深い。
両親間のDVを目撃すると、
・子供の心と脳に多大なストレスがかかり、さらに自分が家族を守れなかったことに対し、罪悪感を持つ。
・あるいは、自分だけが被害にあっていないこと罪悪感を抱き、自分もまた加害者として加担していると思い込んでしまうケースもある。
とのこと。想像すると中々辛い。
Posted by ブクログ
脳科学から見るマルトリートメント(不適切な養育)による子どもの脳への影響について提唱されてる本。
『(身体的)虐待』は心の殺人という理解が増えて、社会の認識で絶対やってはいけないこととなってる中で、『(心理的)虐待』とは何を指すのかどこまでがあたり、どのような影響があるのかも不透明。虐待という言葉を使うと身体的虐待のイメージが付きまとい、我が家は違うという風に問題視してもらえないと考え、"マルトリートメント"という海外でも使われてる表現で話は進められていく。
そのマルトリートメント、実はどの親にもはっとすることはあるんでないのか?という話。
そしてマルトリートメントがどのように子どもの脳に影響があるかわかってきたよという話。
Posted by ブクログ
子育て真っ最中、まさに知りたいことが書かれていてすぐ読み切ってしまいました!
子供達に私は育てられてるんだなと、日々感じます。lets親育て!
Posted by ブクログ
我が子との関わりに悩んでいるので手に取りました。
教室マルトリートメントの巻末で、対話のお相手として登場。
脳科学の面から知りたいと思っていたので購入。
論を裏付けるデータがしっかり示されていて凹みます。
親の行動のこれはだめ、これはいい、そしてその裏づけと書かれているので
納得。
教室マルトリートメントの裏づけとしても納得の一冊でした。
マルトリートメントについて
マルトリートメントという単語を初めて知ったのは、とあるバラエティ番組でしたが、気になって買いました。昭和に育った人で暴力受けてない人はいないのでは…と思いました。そして、あれもこれもマルトリートメント⁉️とおどろくこともありました。
Posted by ブクログ
精神的なマルトリートメントによるストレスが、身体的なマルトリートメントによるストレスの方が、脳に与えるダメージが大きいという。
こころは目に見えないけど、確実に傷ついているということが、脳科学の観点からの解析を見ることができてタメになった。
Posted by ブクログ
子育てのお勉強。「科学的に考える子育て」で書かれている以上に、マルトリートメントが、重大で深刻であることがよく分かった。
虐待という言葉がもつ響きは強烈で、ときにその本質を見失うおそれがあるため、わたしたちの研究では、強者である大人から、弱者である子どもへの不適切なかかわり方を、「虐待」とは呼ばずに「マルトリートメント(maltreatment)」と呼んでいます。
…言葉による脅し、威嚇、罵倒、あるいは無視する、放っておくなどの行為のほか、子どもの前で繰り広げられる激しい夫婦げんかもマルトリートメントと見なします。
日々、子どもと接するなかで、こうしたマルトリートメントがまったくないという家庭など存在しないでしょう。
しかしながら、マルトリートメントの強度や頻度が増したとき、子どもの小さなこころは確実に傷つき、成長過程の脳は変形する可能性があることを、わたしたち大人は見逃してはいけません。
これまで、学習意欲の低下や非行、うつ病や摂食障害、統合失調症などの精神疾患は、主に生来的な要因がもとで起こると考えられてきました。しかし、脳科学の研究が進むにつれ、子ども時代に受けたマルトリートメントが脳に悪影響をおよぼし、結果、こうした症状が出現、もしくは悪化することが明らかになってきています。
子どもの人格を否定する言葉は「しつけ」にならない
体罰の項でも述べましたが、しつけとマルトリートメントは違います。
しつけとは、子どもの行動を正し、生きていくうえで必要なスキルやマナーを身につけさせることです。
子どもが他人に向かって物を投げつけたとしたら、「相手を傷つけることになるから、そういうことはしてはいけない」と、道理を教えるのがしつけです。「人に物を投げるなんて、お前はクズだ」、「だからあんたはダメなのよ」などと言うのは、決してしつけではありません。
罪を憎んで、人を憎まず―。
正すべきはその行動自体であって、成長段階にある子どもの人間性ではありません。人格を否定したところで、子どもは決して「人に物を投げてはいけない」という教訓を学びはしません。代わりに、「自分はだめな人間なのだ」という強いメッセージを受け取り、それが自己肯定感の低下につながります。何をするにも自信がもてなくなるばかりか、人の顔色を始終うかがい、その場しのぎの嘘や出まかせを、頻繁に口にするようにもなるのです。
子どもにとって、親の評価というのは絶対です。みなさんも子どものころはそうだったのではないでしょうか。成長して社会を知るようになれば、「大人だって間違えることはある。いつだって正しいわけじゃない」と、比較的冷静に受け止められるようにもなりますが、それでも親に言動を打ち消されるということは、何歳になってもこたえるものです。小さいうちはなおさらです。
幼い子どもにとって親から否定されるということは、全世界から否定されるのと同じです。たとえその場では口ごたえをしたり、聞いていないような素ぶりを見せても、子どもはちゃんと聞いています。そして、こころも身体もショックを受け、傷つくのです。
親のほうはといえば、子どもから望ましい反応が得られないと、ますます冷静さを失い、子の状況など目に入らず、さらにきつい暴言を吐いてしまうこともあります。
いつしか、とげとげしい物言いが当たり前のようになってしまう家庭もあります。暴言の一つ一つは小さな毒かもしれませんが、感受性が強く、柔らかな子どもの脳には、ボディーブローのように、ダメージが少しずつ積み重なっていきます。
毎日の生活のなかで習慣化してしまうと、当の本人はなかなか気づかないものです。一度、自身の子育てを振り返り、ふだん子どもに対して使っている言葉、口調を見直してみてください。最近、少しきつくなっているかもしれない――そう感じたら、今日から軌道修正をしていきましょう。そして、その反省の気持ちをぜひ言葉にして伝えましょう。
子どもは許すことにおいて、天才です。
子どもは親からの評価があってこそ健やかに育つ
子の頑張りを親が否定してしまうということも、子育ての場面ではよくあることです。子どもが一生懸命何かに打ち込んでいるとき、本来ならばその姿勢を褒め、評価すべきであるのに、親の必死な気持ちが先走り、「いや、もっとできるはずだろう」、「なぜこんなこともできないの?」などと言って、子どもを傷つけてしまうことは多々あります。これはわたし自身の子育てを振り返っての反省点でもあります。
先日、次女からこんなことを言われました。
「子どものころ、人前で何度も暗算の練習をさせられたでしょう? うまくできないからと笑われて、とてもいやだった」
十年以上たったいまでも、つらい思い出として深くこころに刻まれているそうです。そういえば、彼女が小さいころ、苦手な暗算をどうにか克服させようと頑張っていた時期がありました。当時は、「プレッシャーに強い子にすること」が、わたしの子育て方針の一つだったのです。たしかに人前で練習させたこともありました。そして間違えると、愚痴まじり、謙遜まじりに「困ったことにねえ」と他人に苦笑いしてみせたのでしょう。わたしはそのことをちっとも覚えていませんでしたが、彼女はずっと忘れずにいたのです。
大勢の人の前であがらずに実力が発揮できるのはすばらしいことです。しかし、人間が生きていくうえでもっとも重要なことではありませんし、子どものプライドを傷つけてまで教え込むべきことではないと、いまならわかります。
親には子どもへの教育の義務があり、子の将来を思えば必死になるのも致し方のないことですが、冷静さを欠いた教育、しつけは、結局のところ子どもを傷つけ、成長の「のびしろ」を縮めてしまうこともあるのです。このことは、わたし自身の苦い経験とともに、 いま子育てをしているみなさんに強くお伝えしたいところです。
子どもにとって親に認められることは、人生の基盤になります。その事実を、われわれ 大人は今一度しっかりと認識する必要があります。
面前 DV~両親間の暴力・暴言を見聞きすること
精神的なマルトリートメントの多くは、子どもに対して強い言葉を使って脅したり、否定的な態度を示したりするものです。それに加えて近年では、直接子どもに向けられた言葉ではなく、たとえば両親間のDVを目撃させるような行為(面前DV)も、子どものこころと脳の発達に悪影響があるとして、精神的なマルトリートメントであると認識されるようになりました。
児童虐待防止法では、二〇〇四年の改正後、第二条の児童虐待の定義のなかに、
「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者〈婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。〉の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)」 という文言が含まれています。
先に引用した警察庁の調査でも、平成二八年に通告のあった「心理的虐待」の内訳をみ ると、面前DVは、全体の四六・一%を占め、以前より増えてきていることがわかりました。
DVとは、前述のとおり「ドメスティック・バイオレンス」、いわゆる家庭内暴力のこ とで、特に夫婦・恋人間の精神的・肉体的苦痛や暴力を指します。
内閣府男女共同参画局「配偶者からの暴力被害者支援情報」によると、平成二七年度 (平成七年四月~平成二八年三月)、婦人相談所や福祉事務所といった全国二六二か所の「配偶者暴力相談支援センター」に寄せられた、配偶者による暴力の相談件数は、約一一万一六○○件(平成二八年九月一六日発表)。平成二二年度の同調査結果(七万七三三四件)と比べ、四四%も増加しています。相談は圧倒的に女性からが多く、平成二三年度は七万六六一三件、二七年度は一○万九六二九件。一方、男性からの相談は、全体の約一~二%という割合です。
このように相談件数は圧倒的に女性が多いことから、ここでは女性を例に引きますが、
「自分にはひどい夫でも、子どもにはよい父親だ」という証言を、被害にあっている人たちからよく聞きます。
しかし、それは大きな間違いです。子どもは、暴力や暴言の被害に直接あっていなくても、それを目の前で見せられ、聞かされている時点で被害者なのです。いくら子どもにやさしい父親でも、子どもの気持ちを無視し、傷つけているのですから、決してよい父親などではありません。
子どもが直接被害を受けていないため、これまで子どもの発達との関連性はあまり指摘されてきませんでしたが、両親間のDVを目撃すると、実際、子どものこころと脳には多大なストレスがかかります。仮に目の前では起きていなくても、子どもというのは敏感に家庭内の出来事を察知しているものです。そして多くの場合、自分が家族を守れなかったことに対し、罪悪感をもちます。
あるいは、自分だけが被害にあっていないことに罪悪感を抱き、自分もまた加害者とし加担していると思い込んでしまうケースもあるようです。こうした罪悪感もまたトラウマ (こころの傷:心的外傷)となって、子どものこころと脳を蝕んでいきます。
講演会や診療の現場など、機会があるごとに面前DVが子どもに与える影響についてお話しし、夫婦げんかはメールやラインでするようアドバイスしています。これは決して冗談ではありません。話し合いがヒートアップしそうなことがあれば、少なくとも子どもが見聞きしない場所でする。ぜひ、このルールをご家庭に導入してください。
また、東京大学大学院医学系研究科のキタ幸子氏らは、DV被害を受けた母親三八名、 およびその子ども五一名を対象に、加害者である父親から隔離された母親と子どもの健康状態に関する調査を実施しました。その結果、「DV家庭にいた子どもの情緒・行動的発達へのDV加害者である父親との面会交流がおよぼす影響」がわかってきました。
父親との面会が子どもの健康に与える悪影響として、内向的問題(たとえば、ひきこもり、 身体的訴え、不安/抑うつ症状)が、父親とまったく面会しない子どもに比べて、一二・六倍も増えることが判明したのです。研究ではDVの加害者が父親であるケースを取り上げていますが、DV加害者が母親である場合でも、同じことがいえると推測できます。
このことからも、DV加害者である父親(もしくは母親)と面会することは、慎重な判断が必要です。子どもの養育をめぐっては、現在、政治的にもさまざまな動きがありますが、子どもの健康や安全を第一に考えた早期介入や、養育環境の早急な整備が必要になってきています。
より脳に大きなダメージを与える言葉のDV
では、面前DVがもとで生じるトラウマは、子どもの脳にどのような影響をおよぼすのでしょうか。
わたしがアメリカ・ハーバード大学と共同研究を行ったところ、子ども時代にDVを目撃して育った人は、脳の後頭葉にある「視覚野」の一部で、単語の認知や、夢を見ることに関係している「舌状回」という部分の容積が、正常な脳と比べ、平均しておよそ六%小さくなっているという結果が出ました。
その萎縮率を見てみると、身体的なDVを目撃した場合は約三%でしたが、言葉によるDVの場合、二〇%も小さくなっており、実に六~七倍もの影響を示していたのです。つまり、身体的な暴力を目撃した場合よりも、罵倒や脅しなど、言葉による暴力を見聞きしたときのほうが、脳へのダメージが大きかったということです。
DVの目撃による深刻な影響は、別の調査でも明らかになっています。詳しくは第二章で触れますが、ハーバード大学の関連病院の一つであるアメリカ・マサチューセッツ州クリーン病院において、身体的虐待・精神的虐待とトラウマ反応との関連を調査したマーチン・タイチャー氏の研究によると、トラウマ反応がもっとも重篤なのは、「DV目撃と暴言による虐待」の組み合わせだということでした。
外から見える傷はなくても脳は傷ついている
精神的なマルトリートメントを受けても、外傷は残らないし、死に至ることもない―。本当にそうでしょうか?
確かに直接的な意味では、精神的なマルトリートメントで死に至ることもなければ、事件になることもほとんどないでしょう。やせ細った身体に、無数のあざといった、目に見えてわかる痛ましい姿はそこにはありません。しかし、「こころ」、すなわち「脳」には大きな傷が残ります。そしてその傷の影響は、じわじわと子どもに現れてきます。あるいは忘れたころに突然出現し、後遺症として子どもを苦しめることになるのです。
DVの目撃によって「舌状回」が萎縮するというのは、ほんの一例です。研究では、マルトリートメントの内容(種類)に応じて、脳の別の部位も変形することがわかっています。
その結果、うつ状態になる、他人に対して強い攻撃性を示すようになる、感情を正常に表せなくなるといった症状が出てくる場合があります。拒食症、自傷行為などで体を傷つける、薬に依存するなど、健康的な日常生活を送ることが困難になるケースも決して少なくないのが現状です。最悪の場合、犯罪や自殺に走る場合もあります。
精神的なマルトリートメントは、決して軽微な虐待などではありません。目には見えないものの、真綿で首を締めるように、長い年月をかけてじわじわと被害者を苦しめる、常に残虐な行為なのです。
Posted by ブクログ
子育てのお勉強。「科学的に考える子育て」で書かれている以上に、マルトリートメントが、重大で深刻であることがよく分かった。
虐待という言葉がもつ響きは強烈で、ときにその本質を見失うおそれがあるため、わたしたちの研究では、強者である大人から、弱者である子どもへの不適切なかかわり方を、「虐待」とは呼ばずに「マルトリートメント(maltreatment)」と呼んでいます。
…言葉による脅し、威嚇、罵倒、あるいは無視する、放っておくなどの行為のほか、子どもの前で繰り広げられる激しい夫婦げんかもマルトリートメントと見なします。
日々、子どもと接するなかで、こうしたマルトリートメントがまったくないという家庭など存在しないでしょう。
しかしながら、マルトリートメントの強度や頻度が増したとき、子どもの小さなこころは確実に傷つき、成長過程の脳は変形する可能性があることを、わたしたち大人は見逃してはいけません。
これまで、学習意欲の低下や非行、うつ病や摂食障害、統合失調症などの精神疾患は、主に生来的な要因がもとで起こると考えられてきました。しかし、脳科学の研究が進むにつれ、子ども時代に受けたマルトリートメントが脳に悪影響をおよぼし、結果、こうした症状が出現、もしくは悪化することが明らかになってきています。
子どもの人格を否定する言葉は「しつけ」にならない
体罰の項でも述べましたが、しつけとマルトリートメントは違います。
しつけとは、子どもの行動を正し、生きていくうえで必要なスキルやマナーを身につけさせることです。
子どもが他人に向かって物を投げつけたとしたら、「相手を傷つけることになるから、そういうことはしてはいけない」と、道理を教えるのがしつけです。「人に物を投げるなんて、お前はクズだ」、「だからあんたはダメなのよ」などと言うのは、決してしつけではありません。
罪を憎んで、人を憎まず―。
正すべきはその行動自体であって、成長段階にある子どもの人間性ではありません。人格を否定したところで、子どもは決して「人に物を投げてはいけない」という教訓を学びはしません。代わりに、「自分はだめな人間なのだ」という強いメッセージを受け取り、それが自己肯定感の低下につながります。何をするにも自信がもてなくなるばかりか、人の顔色を始終うかがい、その場しのぎの嘘や出まかせを、頻繁に口にするようにもなるのです。
子どもにとって、親の評価というのは絶対です。みなさんも子どものころはそうだったのではないでしょうか。成長して社会を知るようになれば、「大人だって間違えることはある。いつだって正しいわけじゃない」と、比較的冷静に受け止められるようにもなりますが、それでも親に言動を打ち消されるということは、何歳になってもこたえるものです。小さいうちはなおさらです。
幼い子どもにとって親から否定されるということは、全世界から否定されるのと同じです。たとえその場では口ごたえをしたり、聞いていないような素ぶりを見せても、子どもはちゃんと聞いています。そして、こころも身体もショックを受け、傷つくのです。
親のほうはといえば、子どもから望ましい反応が得られないと、ますます冷静さを失い、子の状況など目に入らず、さらにきつい暴言を吐いてしまうこともあります。
いつしか、とげとげしい物言いが当たり前のようになってしまう家庭もあります。暴言の一つ一つは小さな毒かもしれませんが、感受性が強く、柔らかな子どもの脳には、ボディーブローのように、ダメージが少しずつ積み重なっていきます。
毎日の生活のなかで習慣化してしまうと、当の本人はなかなか気づかないものです。一度、自身の子育てを振り返り、ふだん子どもに対して使っている言葉、口調を見直してみてください。最近、少しきつくなっているかもしれない――そう感じたら、今日から軌道修正をしていきましょう。そして、その反省の気持ちをぜひ言葉にして伝えましょう。
子どもは許すことにおいて、天才です。
子どもは親からの評価があってこそ健やかに育つ
子の頑張りを親が否定してしまうということも、子育ての場面ではよくあることです。子どもが一生懸命何かに打ち込んでいるとき、本来ならばその姿勢を褒め、評価すべきであるのに、親の必死な気持ちが先走り、「いや、もっとできるはずだろう」、「なぜこんなこともできないの?」などと言って、子どもを傷つけてしまうことは多々あります。これはわたし自身の子育てを振り返っての反省点でもあります。
先日、次女からこんなことを言われました。
「子どものころ、人前で何度も暗算の練習をさせられたでしょう? うまくできないからと笑われて、とてもいやだった」
十年以上たったいまでも、つらい思い出として深くこころに刻まれているそうです。そういえば、彼女が小さいころ、苦手な暗算をどうにか克服させようと頑張っていた時期がありました。当時は、「プレッシャーに強い子にすること」が、わたしの子育て方針の一つだったのです。たしかに人前で練習させたこともありました。そして間違えると、愚痴まじり、謙遜まじりに「困ったことにねえ」と他人に苦笑いしてみせたのでしょう。わたしはそのことをちっとも覚えていませんでしたが、彼女はずっと忘れずにいたのです。
大勢の人の前であがらずに実力が発揮できるのはすばらしいことです。しかし、人間が生きていくうえでもっとも重要なことではありませんし、子どものプライドを傷つけてまで教え込むべきことではないと、いまならわかります。
親には子どもへの教育の義務があり、子の将来を思えば必死になるのも致し方のないことですが、冷静さを欠いた教育、しつけは、結局のところ子どもを傷つけ、成長の「のびしろ」を縮めてしまうこともあるのです。このことは、わたし自身の苦い経験とともに、 いま子育てをしているみなさんに強くお伝えしたいところです。
子どもにとって親に認められることは、人生の基盤になります。その事実を、われわれ 大人は今一度しっかりと認識する必要があります。
面前 DV〜両親間の暴力・暴言を見聞きすること
精神的なマルトリートメントの多くは、子どもに対して強い言葉を使って脅したり、否定的な態度を示したりするものです。それに加えて近年では、直接子どもに向けられた言葉ではなく、たとえば両親間のDVを目撃させるような行為(面前DV)も、子どものこころと脳の発達に悪影響があるとして、精神的なマルトリートメントであると認識されるようになりました。
児童虐待防止法では、二〇〇四年の改正後、第二条の児童虐待の定義のなかに、
「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者〈婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。〉の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)」 という文言が含まれています。
先に引用した警察庁の調査でも、平成二八年に通告のあった「心理的虐待」の内訳をみ ると、面前DVは、全体の四六・一%を占め、以前より増えてきていることがわかりました。
DVとは、前述のとおり「ドメスティック・バイオレンス」、いわゆる家庭内暴力のこ とで、特に夫婦・恋人間の精神的・肉体的苦痛や暴力を指します。
内閣府男女共同参画局「配偶者からの暴力被害者支援情報」によると、平成二七年度 (平成七年四月〜平成二八年三月)、婦人相談所や福祉事務所といった全国二六二か所の「配偶者暴力相談支援センター」に寄せられた、配偶者による暴力の相談件数は、約一一万一六○○件(平成二八年九月一六日発表)。平成二二年度の同調査結果(七万七三三四件)と比べ、四四%も増加しています。相談は圧倒的に女性からが多く、平成二三年度は七万六六一三件、二七年度は一○万九六二九件。一方、男性からの相談は、全体の約一〜二%という割合です。
このように相談件数は圧倒的に女性が多いことから、ここでは女性を例に引きますが、
「自分にはひどい夫でも、子どもにはよい父親だ」という証言を、被害にあっている人たちからよく聞きます。
しかし、それは大きな間違いです。子どもは、暴力や暴言の被害に直接あっていなくても、それを目の前で見せられ、聞かされている時点で被害者なのです。いくら子どもにやさしい父親でも、子どもの気持ちを無視し、傷つけているのですから、決してよい父親などではありません。
子どもが直接被害を受けていないため、これまで子どもの発達との関連性はあまり指摘されてきませんでしたが、両親間のDVを目撃すると、実際、子どものこころと脳には多大なストレスがかかります。仮に目の前では起きていなくても、子どもというのは敏感に家庭内の出来事を察知しているものです。そして多くの場合、自分が家族を守れなかったことに対し、罪悪感をもちます。
あるいは、自分だけが被害にあっていないことに罪悪感を抱き、自分もまた加害者とし加担していると思い込んでしまうケースもあるようです。こうした罪悪感もまたトラウマ (こころの傷:心的外傷)となって、子どものこころと脳を蝕んでいきます。
講演会や診療の現場など、機会があるごとに面前DVが子どもに与える影響についてお話しし、夫婦げんかはメールやラインでするようアドバイスしています。これは決して冗談ではありません。話し合いがヒートアップしそうなことがあれば、少なくとも子どもが見聞きしない場所でする。ぜひ、このルールをご家庭に導入してください。
また、東京大学大学院医学系研究科のキタ幸子氏らは、DV被害を受けた母親三八名、 およびその子ども五一名を対象に、加害者である父親から隔離された母親と子どもの健康状態に関する調査を実施しました。その結果、「DV家庭にいた子どもの情緒・行動的発達へのDV加害者である父親との面会交流がおよぼす影響」がわかってきました。
父親との面会が子どもの健康に与える悪影響として、内向的問題(たとえば、ひきこもり、 身体的訴え、不安/抑うつ症状)が、父親とまったく面会しない子どもに比べて、一二・六倍も増えることが判明したのです。研究ではDVの加害者が父親であるケースを取り上げていますが、DV加害者が母親である場合でも、同じことがいえると推測できます。
このことからも、DV加害者である父親(もしくは母親)と面会することは、慎重な判断が必要です。子どもの養育をめぐっては、現在、政治的にもさまざまな動きがありますが、子どもの健康や安全を第一に考えた早期介入や、養育環境の早急な整備が必要になってきています。
より脳に大きなダメージを与える言葉のDV
では、面前DVがもとで生じるトラウマは、子どもの脳にどのような影響をおよぼすのでしょうか。
わたしがアメリカ・ハーバード大学と共同研究を行ったところ、子ども時代にDVを目撃して育った人は、脳の後頭葉にある「視覚野」の一部で、単語の認知や、夢を見ることに関係している「舌状回」という部分の容積が、正常な脳と比べ、平均しておよそ六%小さくなっているという結果が出ました。
その萎縮率を見てみると、身体的なDVを目撃した場合は約三%でしたが、言葉によるDVの場合、二〇%も小さくなっており、実に六〜七倍もの影響を示していたのです。つまり、身体的な暴力を目撃した場合よりも、罵倒や脅しなど、言葉による暴力を見聞きしたときのほうが、脳へのダメージが大きかったということです。
DVの目撃による深刻な影響は、別の調査でも明らかになっています。詳しくは第二章で触れますが、ハーバード大学の関連病院の一つであるアメリカ・マサチューセッツ州クリーン病院において、身体的虐待・精神的虐待とトラウマ反応との関連を調査したマーチン・タイチャー氏の研究によると、トラウマ反応がもっとも重篤なのは、「DV目撃と暴言による虐待」の組み合わせだということでした。
外から見える傷はなくても脳は傷ついている
精神的なマルトリートメントを受けても、外傷は残らないし、死に至ることもない―。本当にそうでしょうか?
確かに直接的な意味では、精神的なマルトリートメントで死に至ることもなければ、事件になることもほとんどないでしょう。やせ細った身体に、無数のあざといった、目に見えてわかる痛ましい姿はそこにはありません。しかし、「こころ」、すなわち「脳」には大きな傷が残ります。そしてその傷の影響は、じわじわと子どもに現れてきます。あるいは忘れたころに突然出現し、後遺症として子どもを苦しめることになるのです。
DVの目撃によって「舌状回」が萎縮するというのは、ほんの一例です。研究では、マルトリートメントの内容(種類)に応じて、脳の別の部位も変形することがわかっています。
その結果、うつ状態になる、他人に対して強い攻撃性を示すようになる、感情を正常に表せなくなるといった症状が出てくる場合があります。拒食症、自傷行為などで体を傷つける、薬に依存するなど、健康的な日常生活を送ることが困難になるケースも決して少なくないのが現状です。最悪の場合、犯罪や自殺に走る場合もあります。
精神的なマルトリートメントは、決して軽微な虐待などではありません。目には見えないものの、真綿で首を締めるように、長い年月をかけてじわじわと被害者を苦しめる、常に残虐な行為なのです。
Posted by ブクログ
親からの虐待=マルトリートメントで、子供の脳は萎縮するというのが、衝撃的だった。
虐待と言っても、身体的なものだけでなく、暴言により子供を傷つける心理的なものもあるので、日頃の言動に気をつけなければと思った。
Posted by ブクログ
我が国は、厳しい生活を強いられている多くの親が「不適切な養育(マルトリートメント)」をせざるを得ない社会になってしまっている。しかし、政策を作る者たちにはその状況が見えていない。ぜひ、この本にある実態が特に貧困な地域に蔓延していることを実地で見ていただきたい。
ぜひ、この本と対をなすともいえる書籍「ママがいい」と合わせて読んでいただくこともお勧めしたい。
Posted by ブクログ
「批評は現場から」
目下介護の仕事をしながら3人の子育てに勤しんでいる。
どちらにも共通するのは、「不適切なかかわり」が「虐待」につながるということだ。虐待というと大仰で自分は関係ないと思ってしまうのが人情だろう。そこで本書では「不適切なかかわり」を「マルトリートメント」と呼び、子供の脳に与える影響を検証していく。
著者である友田先生は自身も育児の経験があり、かつてしてしまったマルトリートメントの告白をしている。そりゃ完璧な親なんて居ないだろう。
そんな人からの言葉だからこそ親の心に届くのではなかろうか。安全圏から放たれた理想論は響かないのでね。
マルトリートメントを受けた子供の脳は器質的に変化してしまう。受けた刺激を減じるため脳の一部が萎縮したり、あるいは過敏に危機を回避するため肥大化したりするらしい。
自分も親からマルトリートメントを受けてきた。「虐待は連鎖する」と言うが、本書を読んで経験を俯瞰できれば、その連鎖を断ち切ることができるのではないかと思った。不出来な親だから叱ってしまうことも多々あるが、子供の自己肯定感を育むためにも、せめて自分のマルトリートメントに自覚的になって改めて行きたいと思った。
Posted by ブクログ
親子関係での心の虐待によって、子供の脳が変形するという事実に驚愕した。しかも身体の虐待より心の方がダメージが多いという。脳は生きることを目的として活動をする。なので、この変形も生きるためのもの。しかしダメージを負ったあとの生活はもちろん生き辛くなる。この事実を世の中の若い親たちに伝えたいと思った。
Posted by ブクログ
子供の脳はデリケートで、ちょっとしたことでも傷ついてしまう。自分は虐待(マルトリートメント)なんてしないと思っていたけど、子どもの前で喧嘩するのも立派なマルトリートメントだと知った。
子どもは生まれた瞬間から愛着を求めている。
もうすぐ母になる自分にとって、必要な内容でした。
Posted by ブクログ
育児をする上での気づきが色々あった。
自分の子ども時代、体罰は割と普通にあったけど、現代の脳科学の見地からは「百害あって一利なし」とのこと。体罰は子どもに屈辱の感情を残し、暴力で強制的に服従させることを是とすると認識させてしまうらしい。確かに自分自身の経験を振り返っても、体罰を受けて嫌だったことは覚えているものの、なぜ体罰を受けたかは全く覚えていない。
他にもいやいや期の「いやいや」は、わがまま故の振る舞いではなく、脳が発展途上で欲望を制御できないことが原因なので、叱るよりも見守る姿勢が大事とのこと。
Posted by ブクログ
虐待は自分とは関係のないこと、そう思っているすべての人に読んでもらいたいなと思った。そして母として読んでよかったと思う。
直接的な子どもへの身体的虐待…もちろんそれは子どもの人生をめちゃくちゃにする。
でも、もしかするとそれ以上に"子どもへの不適切な養育"=マルトリートメント(子供の面前での夫婦喧嘩や、いやみなど)が問題になることもある。
発達中である子どもの脳が、マルトリートメントによって変形してしまったと結論ずけるいくつもの論文を列挙しながら、どういったことが子どもへのマルトリートメントへあたるのかも記載されている。
具体的には
・夫婦間の喧嘩
・イライラして常に子どもへの口調がきつい
・子どもの尊厳を守らない言動
・すべての体罰
・予防接種を受けさせない
・メガネを買わない
・子どもを置き去りにする
・スキンシップが極端に少ない
・バーバルアビュース
・夫婦がどちらか片方をなじる
など。
マルトリートメントの内容によって影響を受ける脳の部位が変わる
体罰:感情、行動、思考を制御する前頭前野の容積が14〜19%縮小する
性的マルトリートメント:顔の認知に関係する紡錘状回が18%縮小する
面前DV:IQが低くなる
星5つにしなかったのは、もう少し具体的に日常生活で気をつけることが書いてある章があったらな〜と思ったので。
以下、自分用のメモ↓
積極的に使いたい3つのコミュニケーション
1. 繰り返す(オウム返し)
2. 子どもの行動を言葉にする
3. 具体的に褒める
「子どもは許すことにおいて、天才です。」
「幼い子どもにとって親から否定されるということは、全世界から否定されるのと同じです。たとえその場では口ごたえしたり、聞いていないような素ぶりを見せても、子どもはちゃんと聞いています。そして、こころも身体もショックを受け、傷つくのです。」
"夫婦げんかはメールかラインでするようアドバイスしています。これは決して冗談ではありません。"(面前DV予防の観点から)
3〜5歳:記憶と感情(海馬)
9〜10歳:右脳と左脳の連携(脳梁)
14〜16歳:思考や行動(前頭前野)
の感受性期
Posted by ブクログ
世界一受けたい授業でマルトリートメントが子どもの脳を変形させることを知り、それをきっかけに読んだ。後半には実際の症例も載っており、親や子どもの考え方や症状を変えたことを短く書いてあるが、相当根気のいることなんだろうと思った。マルトリートメントを受けた子どもはいずれ加害者にまわることがあることから負の連鎖を断ち切ることが大事だと思った。子育ては理想通りにはいかないと思うが、この本を再読して、子どもたちと良い関係を気づきたいと感じた。
Posted by ブクログ
成長期にある子どもが不適切な関わり(マルトリートメント)を受けることで、脳の一部分が受けていない子どもと比べて小さくなるらしい。「子どものため」「しつけ」と称して行われる体罰などは、案の定子どものためにはなっていない。スマホや面前でのケンカなど、思い当たることもあるので、気をつけなくては。ハグは意識的にするようにしているので、ちゃんと自己肯定感が育まれているといいな。
親になったら母性・父性があるのが当たり前という風潮だが、虐待の連鎖があることを忘れず親への支援・思いやりの視点も持たなければならないと思い知らされる。
Posted by ブクログ
本来愛してくれるべき親からの虐待は、子供に心理的だけでなく実際に脳に傷をつけていることを、医者の立場から書いてくれることに大きい意味があると思った。
親から愛され守られると言う当たり前の育ち方をしなければ、当然人格形成にも大きな影響があることは間違いないけど、それが脳が傷つけられて起こる異常な状態がそこに大きく関与している事を意識すべきだ。それは大人になってから新しく幸せな家庭を築けばいい、と言う単純な問題では無いことを示していて、なんともやりきれない気持ちになる。
Posted by ブクログ
出産前に、子どもとの触れ合いの参考にしたくて手に取りました。本書から、子どもが健やかに暮らすには、夫婦で仲良く、協力しながら子育てするのが不可欠と気付かされました。親や教員だけでなく、人を育てる管理職者の参考になりそうです。
以下、印象に残った3つ。
●『身体的マルトリートメントやネグレクトを受けた人よりも、親のDVを目撃し、かつ、自分もこころない言葉で罵られるなどのマルトリートメントを受けた人のほうが、トラウマ状態が深刻だった』
→親から子へだけでなく、夫婦間の口喧嘩や祖父母が親の悪口を言う行為も、子どもへの精神的な虐待になり脳を傷つける
●『多くの州では、「しつけ」と称して子どもに過激な体罰を与えたり、暴行を加えたりする行為は「暴力」とみなされ、虐待行為として通報されます。』
→日本の体罰によるしつけ、の文化は間違っていた。実は、頭やお尻を叩く行為が脳や心を傷つける。傷ついた脳で普通に暮らしていける人もいれば、トラウマになる人もいる。『自分が体罰されてきた』からといって、子どもに体罰してはならない。
●親や身近な大人が子どもに対して「積極的に使いたい三つのコミュニケーション」があります。
①繰り返す
②行動を言葉にする
③具体的に褒める
→①子ども「真っ赤なりんごを描いたよ」親「ほんとだ、真っ赤なりんごを描いたんだね」(子どもを主役にした会話の頻度を増やす)
②片付けしてるのね!(関心を伝える)
③友だちにおもちゃを貸したあげたの。えらいね!(褒めることは、罰や脅しより好ましい行為を増やす)
Posted by ブクログ
マルトリートメントによる子どもへの影響とその対策について脳という視点から分かりやすく書かれていた。
過去にマルトリートメントの被害者だった子どもが大人になって加害者となってしまうケースも多く存在するようなので、その連鎖を断ち切る為に周囲にできる支援についてもっと考えたいと思った。
Posted by ブクログ
夏にこの先生の講演を聞いたので。マルトリ、虐待が及ぼす子供のこと。傷ついた子供たちを救う方法は適正に褒めてあなたは大切な存在だと伝え続けること。私に出来ることはなんだろう。
Posted by ブクログ
身体的性的暴力、ネグレクトなどの、あからさまな虐待のみならず、暴言を浴びせる、無視する、両親間DV(暴力、罵り合い)を見せる、なども成長途中の子どもの脳に強い影響を及ぼし、変形させてしまうのだそうです。
情緒不安、不眠、落ち着きのなさ、集中力や意思決定の低下、記憶容量減少、攻撃的になる、感覚鈍麻、人間関係の不調和、愛着障害など。
現在進行形の子ども時代だけでなく、これから社会と深く関わらなくてはならなくなる大人になっても続いてしまう障害が。
加害してる親(祖父母など養育者)もまた、かつての被害者であったりすることも多く、被虐待児のケアだけでなく親のケアも必要だ、と書かれていました。
何事も、負の連鎖は出来るだけ断ち切りたいですね。
Posted by ブクログ
「叱る依存が止まらない」とあわせて読んでみた一冊。
マルトリートメントについて、具体的な事例も挙げながら、科学的な事実わかりやすく説明し、適切な子どもとの関わりについて述べられている。
自分にとっては当たり前のことや既に知っている内容が多かったため、この評価としたが、マルトリートメントについて学びたい人には良い一冊と思う。
Posted by ブクログ
自分が受ける虐待だけでなく、
親がDVを受けているところや喧嘩など
だけでもマルトリートメントと呼ばれ、
心の発達に問題が起きてしまうことに
驚いた。
自分も子育て中なので、不適切な関わりを
しないよう気をつけていこうと思えた。
Posted by ブクログ
私は怖すぎて子供を作る気は無いけれども、本書の中でマルトリートメント(不適切な養育)による子供の脳への影響は、非常に興味深い。またストレスによる親の脳への影響も同じく。
行為によるホルモンへの影響とそれによる&効果は、さらに研究が進むことを期待する。
Posted by ブクログ
虐待を受けた子どもの脳が目に見える形で変形していること、それにより視覚が狭まったり、すぐに記憶をなくしたり、色んな人格を持ったりすることは、防衛本能からくるものだということを知り、勉強になりました。
どんなに軽めでもこどもを叩くことはいけないことなんだと実感しました。痛さの有無ではなく、その子の心が傷つけば絶対にやってはいけないことだと思いました。
また虐待でも、暴力より言葉の暴力の方がダメージが大きいこと。直接虐待されていなくても、両親の喧嘩を見ることも虐待になり、脳に変化が見られることがわかりました。
この本を読んで、漠然といけないことだと思っていたことが、科学的に証明されていて説得力があり、何故やってはいけないか、やるとその子がどんなことになるのか、とても勉強になったし、色んな人に知ってほしいと思いました。