あらすじ
比類なき高度成長を成し遂げ、石油ショックにも対処できた日本が、なぜバブル崩壊の痛手からは立ち直れないのか? その理由は太平洋戦争直前、革新官僚によって導入された「戦時経済体制」にある! 1940年代に構築された巧妙なシステムから戦後経済を読み直し、古い産業構造から抜け出せない日本経済の本質を解明する。 ※新潮選書に掲載の写真の一部は、電子版には収録しておりません。
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Posted by ブクログ
おもしろい。
日本の戦後経済は終戦後に形成されたのでなく、戦時経済の延長でしかないという。大蔵省に勤務していた経歴をもつ筆者ならではの分析や意見、そして自己の体験談も踏まえた熱い一冊。
1945年8月15日。第二次世界大戦が終わった。
その後、10日あまりで軍需省は商工省に名を変えた。
そして、焦土からの復興。
日本の行動経済成長がはじまる。
そして突然訪れた石油ショック。
やがてバブルになり、土地は使うもの、住むものから、投機の対象になった。
バブルが崩壊し、企業の不祥事が次々と明るみに出る。
大蔵省のスキャンダルや、金融危機が訪れる。
現在、バブルが懐かしいなどという人もいるが、バブルのために銀行の破綻なども起こり、そのツケは国民が支払ったのだ。
日本の経済は戦時中の、国家のために一丸となって戦うという姿勢を崩していない。当時の体制がそのまま生き延びている。
Posted by ブクログ
戦後に、B円が流通することを阻止した。B円はごく一部と沖縄で流通した。
銀行に対しては、集中排除法の適用がなく、銀行を中心にした企業グループが残った。
アメリカの猟官制の弊害を排除するため、公務員の職階性、人事院設置などが採用された。
シャウプ勧告で直接税中心の税体系を作った。戦前は間接税を中心とするもの。シャウプ勧告より前に、40年度税制改革で法人税親切、源泉税制度ができた=戦費調達のため。
財政投融資はうまくできている。一般会計の負担がない。国会の承認なしに融資ができる。
高度成長は、外需依存ではなく国内市場の拡大。
比較優位があった繊維産業ではなく、重工業に力を入れた先見の明のおかげ。耐久消費財の需要は所得弾力性が高く、お互いを高める高度成長になりやすい。繊維や食品とは違う展開になる。
戦前の世界企業は鐘ヶ淵紡績。戦後は政府の規制と保護によって鉄鋼自動車電機が成長した。
安保闘争、バブル、郵政民営化、はいずれも根拠なき熱狂。
労使協調路線は日本型企業の本質。戦後の経営者は内部昇進者であり、経営者と労働者が未分離、企業内組合。
法人税課税の退職給与引当金と社宅の建設費によって、正社員を増やすことの促進が働いた。
戦後は、額面発行が主だった。企業は銀行にたよった。
株式会社は利益よりも拡大を求める組織になった。
日本列島改造論が地価上昇の原因ではない。その前から工業化と都市化により上昇していた。
田中角栄による2兆円減税。給与所得控除を大幅に増やした。社会福祉元年。
予算書は、対数表の次に誤植が少ない書籍。
欧米諸国では物価スライド条項を含む賃金協定が一般的=インフレなら自動的に賃金が上昇する。不況でも同じ。これがスタグフレーション。
日本では、企業内組合のために、不況時に賃金上昇を抑えることができた。石油ショックの時にいち早く乗り切れた一因。
田中角栄のときの道路整備特定財源制度と給与所得控除拡大は日本経済に大きな影響があった。
戦時経済から始まった農地解放、財閥解体、借地借家法は資産家を直撃し、平等な社会づくりに寄与した。