あらすじ
日本海軍を相手にした一大詐欺「水からガソリン」事件の全貌
真珠湾攻撃の三年前、海軍省で三日三晩の夜を徹した実験が行われた。その「街の科学者」は当時の海軍次官で後に「真珠湾攻撃の立役者」山本五十六や、後に「特攻の海の親」ともいわれる大西瀧治郎らの前で、水をガソリンに変えるのだという。
石油の八割をアメリカからの輸入にたよっていた日本は、ドイツと同様に人造石油の研究や、出もしない油田の採掘など、資源の確保に八方手をつくしていた。
そうした時に「水を石油に変える科学者があらわれた」というのだ。しかも、その「科学者」は立派な化学メーカーが後ろ楯となり、帝国大学教授のお墨付きまでもらっていた・・・。
二つの大戦の間に暗躍した稀代の詐欺師の足跡をたどりつつ、この時代の一側面を、それも裏から語る。
詐欺師はときとして、時代の最も脆弱な部分を、だれよりも敏感にかぎ分ける。
<目次>
序章 一通の報告書
第一章 山本五十六と石油
第二章 「藁から真綿」事件
第三章 カツクマ・ヒガシと東勝熊
第四章 詐欺師から「科学の人」へ
第五章 支那事変という名の追い風
第六章 富士山麓油田の怪
第七章 昭和十三年暮れ、海軍省次官室
第八章 蒲田の「水からガソリン」工場
第九章 燃料局柳原少将の嘆き
第十章 実験成功! 次官に報告!
第十一章 宴の終わり
第十二章 立会人たちの太平洋戦争
終章 いまも生き続ける「水からガソリン」
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Posted by ブクログ
明治から大正、昭和にかけて詐欺師による政府・軍部を巻き込んだ莫大な資金詐欺を連ねたこの小説は面白い。詐欺の題目は「藁から真綿」、「水からガソリン」など国家の中心となる人物等が詐欺にあった実話である。時制は戦争へ突入しいよいよ石油・ガソリンの需要が一気に伸びる時期であり、一攫千金等を夢見た詐欺師たちはもとより専門研究者、大学教授、海軍大臣含む海軍省の将校山本五十六ら多くが騙された。それは巧妙な「手品」を使い実験を見せ、また箔がある大学教授を洗脳させ口添えなどの仕込みにも抜かりはなく、協賛金・寄付の多くは会社設立の資本に充てたが実際の生産までには至らず裁判で逮捕されている。「イカサマ」を暴くための仕掛け、一攫千金を夢見た法政界の人々の思考など面白い。この「水からガソリン」は日本のみならず、米国、中国、ドイツ、イギリス等でも詐欺師があったという。
Posted by ブクログ
いやはやまったく驚きだ。
水から石油ができるという。
いや、もちろん、「水から石油ができること」自体に驚いたのではない。それに騙された人がいたことにだ。
一般人や企業人のみではない。帝国大学教授や海軍上層部、いわゆるエリートのお歴々までも、半ばこれを信じ込んだ。国家ぐるみで騙されかけたのだ。
時は昭和14年。太平洋戦争に突入しようとする時代である。迫る日米開戦。だが日本には圧倒的に石油資源が少ない。起死回生の策として、海軍に持ち込まれたのが、「街の科学者」と呼ばれる本多維富による「水からガソリン」発明だった。真水に何種かの「秘伝」の薬品を加えることで、石油が得られるというのだ。
時の海軍次官である山本五十六も、後に神風特攻を考案する大西瀧治郎も、海軍省で行われた三日三晩の実験に、大きな期待を持って立ち会った。
この本多維富なる人物は、これより前に、「藁から真綿が取れる」と称して物議を醸したことがある人物だった。どう考えても胡散臭いこの人物が、なぜ海軍省で実験を行うまでになったのか、筆者は丹念に史料を追う。
そこに浮かび上がってくるのは時代の空気、そして詐欺に引っかかる人の(おそらく時代を問わない)心情だ。
資源が乏しい日本では、それまでも「水からアルコール」、「人造石油」、「富士山麓油田」など、資源絡みの怪しい話が沸いては消えていた。
石油は喉から手が出るほどほしい。今度こそは本物かもしれない。もしこれが本物ならば国家の役に立つ上に、事業としても有望だ。
そうした人々は、詐欺師が奇術のトリックで見せる「奇跡」に期待を寄せた。
帝国大学の教授ですら、目の前で見せられては本物と認めざるを得なかった。まだ科学界が知らない「世紀の事実」が、この発明により、明らかになるのかもしれないというわけだ。
本多は、詐欺師といいつつも、どこか霊媒体質というか、途中から自らの「発明」を信じ込んでいたような節もあり、そんなところもどこか図らずも「真実味」を増すことになり、人々を騙す一助になったのかもしれない。
それにしても昭和に至っても、「科学」はこれほどに「錬金術」的に見られていたのかといささか茫然とする。これを以て、「こんなことだから日本は敗戦したのだ」とか「だから科学教育は大切なのだ」とか、言うのは簡単だ。それはそれで正しいのだが、「今ならこうしたことは起こらない」とは断言できない不安が残る。
現にこの「水からガソリン」に類した話はその後、中国やインドでも持ち上がっており、現在でも世界のどこかで生きているという。
時代の期待、不安に乗じて、バカバカしいような詐欺事件がよくわからないままに大きくなってしまうことはある。いつだって、どこだって。
そのことの意味を少し考えてみる必要があるように思う。