いやはやまったく驚きだ。
水から石油ができるという。
いや、もちろん、「水から石油ができること」自体に驚いたのではない。それに騙された人がいたことにだ。
一般人や企業人のみではない。帝国大学教授や海軍上層部、いわゆるエリートのお歴々までも、半ばこれを信じ込んだ。国家ぐるみで騙されかけたのだ。
時は
...続きを読む昭和14年。太平洋戦争に突入しようとする時代である。迫る日米開戦。だが日本には圧倒的に石油資源が少ない。起死回生の策として、海軍に持ち込まれたのが、「街の科学者」と呼ばれる本多維富による「水からガソリン」発明だった。真水に何種かの「秘伝」の薬品を加えることで、石油が得られるというのだ。
時の海軍次官である山本五十六も、後に神風特攻を考案する大西瀧治郎も、海軍省で行われた三日三晩の実験に、大きな期待を持って立ち会った。
この本多維富なる人物は、これより前に、「藁から真綿が取れる」と称して物議を醸したことがある人物だった。どう考えても胡散臭いこの人物が、なぜ海軍省で実験を行うまでになったのか、筆者は丹念に史料を追う。
そこに浮かび上がってくるのは時代の空気、そして詐欺に引っかかる人の(おそらく時代を問わない)心情だ。
資源が乏しい日本では、それまでも「水からアルコール」、「人造石油」、「富士山麓油田」など、資源絡みの怪しい話が沸いては消えていた。
石油は喉から手が出るほどほしい。今度こそは本物かもしれない。もしこれが本物ならば国家の役に立つ上に、事業としても有望だ。
そうした人々は、詐欺師が奇術のトリックで見せる「奇跡」に期待を寄せた。
帝国大学の教授ですら、目の前で見せられては本物と認めざるを得なかった。まだ科学界が知らない「世紀の事実」が、この発明により、明らかになるのかもしれないというわけだ。
本多は、詐欺師といいつつも、どこか霊媒体質というか、途中から自らの「発明」を信じ込んでいたような節もあり、そんなところもどこか図らずも「真実味」を増すことになり、人々を騙す一助になったのかもしれない。
それにしても昭和に至っても、「科学」はこれほどに「錬金術」的に見られていたのかといささか茫然とする。これを以て、「こんなことだから日本は敗戦したのだ」とか「だから科学教育は大切なのだ」とか、言うのは簡単だ。それはそれで正しいのだが、「今ならこうしたことは起こらない」とは断言できない不安が残る。
現にこの「水からガソリン」に類した話はその後、中国やインドでも持ち上がっており、現在でも世界のどこかで生きているという。
時代の期待、不安に乗じて、バカバカしいような詐欺事件がよくわからないままに大きくなってしまうことはある。いつだって、どこだって。
そのことの意味を少し考えてみる必要があるように思う。