あらすじ
キリスト教の礎を築き、世界宗教への端緒をひらいたパウロ(紀元前後─六〇年頃)。この人物なくして、今日のキリスト教はないと言っても過言ではない。アウグスティヌス、ルターに多大な影響を与えたといわれる、パウロの「十字架の逆説」とは何か。波乱と苦難の生涯をたどり、「最初の神学者」の思想の核心をさぐる。
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Posted by ブクログ
パウロの考え方を誤解していた。
「パウロが命を賭けて伝えようとしたのは、人間の自己絶対化を厳しく否定し、神の前に謙虚に自らを見つめ直して、人間の『弱さ』に深く思いを向けるように、というメッセージである。」
とのことです。
Posted by ブクログ
「聖書学」とはこういうものなのか、というのが素朴な感想。聖書のなかのそれぞれのテキストを書いた人物の特定であるとか、それが書かれた状況であるとか、その人物がどのようにものごとを捉える人であるかとか。それらを踏まえた上で、使徒たちの間に見られる、イエスの死に関する、ユダヤ教的(ヘブライ的)・「悔い改め」的・行為義認的(贖罪論的)な見方と、パウロに代表されるヘレニズム的・「弱さの自覚」的・信仰義認的な見方の対立が描かれ、その是非が論じられている。パウロの行動の軌跡を丹念にたどりながら論が展開されているので、パウロがどんな問題に取り組んでいたのかについて、具体的な像を伴って理解できたような気がする。
Posted by ブクログ
キリスト教はパウロ教と名乗るべきだ、と言う主張を聞いたことがあった。
ユダヤ教のカルトであった「キリスト教」を、ユダヤ人以外にも布教し、受け入れられるように変え、世界的な宗教にした、と。
結局、自分の知っている「キリスト教」はパウロ教なので、
それがどう本来のキリスト教徒と異なっているのかがわからず、難しかった。
ナザレのイエスがキリストだと告白はするものの、律法を遵守し宣教の対象をもっぱらユダヤ人とする「ヘブライスト」から、
律法からの自由を説きエルサレムにおける神殿礼拝を厳しく批判した「ヘレニスト」に主流が代わっていったのは、
70年のエルサレム神殿の破壊をきっかけだったのはわかった。
一番の驚きだったのは、
聖書の中ではおまけ的な存在だと勝手に思っていた「パウロの手紙」が、福音書より早い時期に書かれていたこと。
福音書はイエスの死後しばらくたってから、書かれたのは知っていたが、
パウロの活動は思っていたより、イエスの死に近かった。
それと、興味深いと思ったのは、
十字架刑が残酷な処刑であり、屈辱的な処刑であったため、初期のキリスト教では十字架を首からさげるということは、考えられなかった、ということ。
しかも、パウロの旅は献金集めの活動でもあったこと。
結局、金なのか。