あらすじ
第一次大戦前、ハンブルク生れの青年ハンス・カストルプはスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養生活を送る。無垢な青年が、ロシア婦人ショーシャを愛し、理性と道徳に絶対の信頼を置く民主主義者セテムブリーニ、独裁によって神の国をうち樹てようとする虚無主義者ナフタ等と知り合い自己を形成してゆく過程を描き、“人間”と“人生”の真相を追究したドイツ教養小説の大作。
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Posted by ブクログ
高校生のとき挫折したけど、何回も読み返したい本になった。
ドストエフスキーのような思想が積み込まれた本だけど、彼と違うのは、この本の通奏低音がカオスではなく、教養小説的な自己刷新であること。一つの大きな出来事がきっかけになるのではない。サナトリウムという非生活の中での、現実的な生活を通して、人との関わりを学んでいく。そうした、ナイーブな存在から大人になる過程を描いている。
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ドイツの偉大な教養文学というだけあって教養になる物事が山程詰め込まれた本。人間を科学的な面での身体から、精神やら思想やら芸術について突き詰めてあってとても面白い…そして難しい。「文学とは常に“苦悩”について描かれている」という言葉が腑に落ちたし好き
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10年以上前に読んだのですが、難しいことはわからなくても雰囲気が大好きで、何度も読み返した記憶があります。おそらく私にとって読みやすい文体だったのと、当時自分が療養生活を経験していたので共感する部分も多く、退屈しないで読めたのだと思います。サナトリウムでの療養生活の細かな描写や、そこに集う人々の人物描写が面白いと同時に興味深かったです。今読み返すと全く違った感想を持つかもしれません。ちょっと気力が持たなそうですが…
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思ってたよりガチガチの内容じゃなかったです。上巻は気軽に読めます。でも下巻はちょっとハードだったかな。脳みそが沸騰して何度か挫折しそうになりましたが、不思議と時々読み返したくなります(初めて読んだのは高校生の時。そして一度処分して、やっぱり読みたくなって買い直した)。スケールの大きい討論が繰り返されているのと、「死」が色濃く出ているので、小さなことで悩んでいる時に読むと効きます。でも、あのラストには納得がいかない…。あまりにもあっけなくて…いや、でも、あっけないから「こそ」ってことなのかな。
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中学の時、友人から誕生日プレゼントに頂きました。一言で語りつくすことが出来ません…。マンの作品は人物表現も秀逸だが、『ベニスに死す』にしろ情景描写とそこへの投影が素晴らしい。セテムブリーニやらに流されつつ一読しましたが、一冊の本として大きな模様が完成されていて一つ一つの文がこれほどまで完璧に精微に編込まれている作品はこれ以上には存在しないと思います。ただ読んでいると少し息が詰まります。マンなどのドイツ文学を読んでいるとフランス文学のエロティックな抜け落ち感が恋しくなりますよね…。
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ドイツ教養小説の雄。学生時代からいつかは読みたいと思って40年以上(笑)。岩波か新潮かは、実際に数ページ読み比べて、継続性から迷わずに新潮の決定。フランス語での会話でのカタカナ表記などやや違和感もあるが(岩波はどうだったか?)、基本読みやすい文章で、少しずつ読み進めて、長年の積読だった大きな山を登り終えた。(下巻へ)
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前々から気になってた作品。今年読んだ本で引用されたり考察されたりが続いたのでこれは読むタイミングだなと。主人公ハンスの人間的の成長や変化が、爽快でサクサク面白いというのとは全く逆の濃厚さというか重厚長大さというかで描かれていく。どうしたらこんなのが書けるのか。
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舞台は第一次世界対戦前、スイスの山奥にあるサナトリウム。ヨーロッパ中から結核患者が集まって療養している。
マンは講演で「私は一生を通じて一つの物語を語りつづけてきた市民的作家であって、市民性から脱却する過程を語りつづけてきた。」と言っており(河出書房版解説)、
主人公「ハンス カストルプ君」は、「ドイツ君」だと考えれば、読みやすく分かりやすい。
キャラクターの濃いのがたくさん出てきて個人的にはめちゃくちゃ面白かった。
中でもゼテムブリーニとナフタの、ハンスカストルプを賭けての思想合戦が面白い。が、難しく理解したとは言えないので、知識を付けて、10年後ぐらいに再読したい。
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ハンス・カストルプは、ダボスのサナトリウムで療養中のいとこを訪ねたが、滞在中に病に罹り、そこでの長期療養を余儀なくされる。療養生活の中でショーシャというロシア婦人に思いを寄せるようになり、謝肉祭の夜に告白する。しかし、それは彼女が翌日サナトリウムを発つという日であった。
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本当は岩波文庫で読もうと思っていたんですが、新潮文庫に日和ってしまいました。
それでも、読むのは大変でした。
なにせ長い!
読む前は、なぜいとこが療養しているサナトリウムに3週間も見舞いとして滞在するのか、そこが疑問でした。
だって、結核って伝染病でしょ?
なんで見舞いに3週間?
見舞いと言えば見舞いなんですけれど、ハンス自身も体調があまりよくないというので、転地療養をするように医者に言われて、いとこのいるサナトリウムに来た、と、そういうことでした。
それにしても体が弱っている時に、結核患者のたくさんいる所へ来るという時点で彼の運命は決まってしまったと言えましょう。
3週間後、彼は見舞客から患者になってしまうわけです。
しかし、初対面の時から何度も折に触れセテムブリーニは「山を降りるように」と彼に言い続けていたのです。
なぜ彼は降りなかったのか?
彼は常に周りを見下しているのです。
下層階級である。知性がない。見目麗しくない。
つまり、自分とは別であると。
しかし、ハンスは自分を客観的に見ることはできていない。
世間を知らないし、自分を知らない。事実ではなく、自分の脳内で思い描いたことを見ているだけだから。
そんなハンスにセテムブリーニはいろいろなことを語ります。
文学、政治、歴史、生物、天文、宗教、恋愛。
それに対してハンスは反発を覚えながらも、耳を傾け、いろんなことを学んでいくわけですが、やはり山を降りようとはしない。
恋に落ちてしまったんですね。
それもかなり一方的な、妄想まみれの、独りよがりの。
どこまでも独善的な男です。
そして、山の生活。
自由といえば自由。不自由といえば不自由なその生活とは、1日5回の食事(第一朝食、第二朝食、昼食、ティータイム、晩餐)、そのあいだ間に挟まる散歩と安静(昼寝)の時間。
夜、読書灯の下で本を読み、疲れたら窓の外を眺めるとそこには満天の星。
そりゃあ、山から降りませんよ。私でも。
まさに取り込まれています。魔の山に。
セテムブリーニの語る言葉が、とにかくわくわくするほど読み応え満点。
クロコフスキーの精神分析部分が意外にあっさり終わってしまったけれど、下巻で再び取り上げられるのでしょうか。
難しいけど、面白い。
下巻も楽しみ。
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全2巻。ドイツ文学・教養小説の傑作。主人公のハンス・カストルプは、いとこを見舞う目的で訪れた結核療養施設で三週間の滞在を予定していたがいつの間にかそこが彼の安住の地となる。下の世界とは隔絶された施設での平穏な、しかし生と死が絡み合った濃密な生活の中で彼は時宜を得た教育者によって哲学的な思索を深化させ、自己形成を図る。そして物語のどんでん返しはまさしく晴天の霹靂のごとく訪れた。この小説の世界にはドイツ的気質が横溢しているように思われる。一言でいえば堅苦しく、展開される思想は難解で読みすすめにくい。だがある場面においては、特に数少ないショーシャ夫人と主人公との間に交わされる会話の場面ではあたかも眼前に無限の時間が流れているかのように没頭してしまう。ラスト数ページで展開されるどんでん返しの場面においても然りである。傍観し続けた主人公の人生は悠久の歴史の中に収められるようでもありまた一瞬の刹那の出来事のようにも錯覚される重厚感にあふれる小説である。
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時間とは何であるか?
生命とは?有機体とは?
人類、人種とは?病、死とは?
愛とは???
人文の総体みたいな本だな。面白い。そして長大!下巻が待ってる…
シリアスがコメディで、コメディがシリアスっていうね、表裏一体。悲劇も遠くから見ると喜劇ってやつですか。
話の舞台が舞台なだけに、ブラックユーモアもちらほら。痛快ですらある。
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内容はとても面白い。ただ一度読破しただけでは少し理解に欠けるかもしれない。
言い回しにセンスがあるなぁ とか思いながら読破。純文学好きなら一度は読んでおいても損のない本。
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北杜夫が好きで、北杜夫が松本高校時代に望月市恵先生に薫陶を受け、トーマスマンにのめり込んだ話を何かで読み、遂に読んでみた。難しいぞ
100分で名著のテキストも買ったので、照らし合わせながら読んでみる。
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何か特別なことが起こる(上巻の最後ではちょっとしたことがあったが)わけでもないのに、知らぬ間に療養所の毎日に引き込まれてしまう。
この小説は「教養小説」と呼称するのだそうだが、確かに医学などのかなり専門的な記述などもあって、それらが主人公の成長を促しているものの一部になっているということなのか。
下巻で展開がどうなって終末に向かうのか見届けたい。
Posted by ブクログ
古典は難しい。というのはその時代背景が分かっていないとキャラクターの性格や行動に共感しにくいことがあるからだ。主人公のハンス・カストルプはハンブルグ出身の無垢で「単純な」青年であり、その性向は当時の比較的裕福な階層の若者としては平凡なものなのだろう。物語は彼が「魔の山」と呼ばれるスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養中のいとこを尋ねると頃から始まる。そこで出会う患者たちとの関係を深めていくうちに、彼も(おそらく肺病に)罹患し、生活を共にすることになる。理性と道徳という視点から人間のあるべき姿を説くセテムプリーニとの対話ややせ細ったロシア人のショーシャ婦人への仄かな思いなどが延々と語られるのだが、やはり素直に共感は生まれなかった。下巻ではどのような展開になるのだろう。