あらすじ
スキー中の事故で脚に癒せない傷を負ったアリーチェ。けた外れの数学の才能を持ちながら、孤独の殻に閉じこもるマッティア。この少女と少年の出会いは必然だった。ふたりは理由も分からず惹かれあい、喧嘩をしながら、互いに寄り添いながら大人になった。だが、ささいな誤解がかけがえのない恋を引き裂く――イタリアで二百万部の記録的ベストセラー! 同国最高峰の文学賞ストレーガ賞に輝いた、痛切に心に響く恋愛小説。
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久々に読みごたえのある良作
イタリアベストセラーというのが半分驚き。
というのも中身がけっこう暗めで、マイノリティの話なので、そんな大勢に読まれるのか、と・・・。
しかしながら読書好きは東西問わず、重さ、孤独が好きなのかもしれない。
感情移入しながら読んでしまう。
Posted by ブクログ
なんの話か?と思うような断片的なエピソードが重なり、人物像があらわれてくる。
エピソードの中にはかなり生理的に受け付け難いものもあり、主人公たちが受ける心の傷を理解できる。
理解はできるけれど、なんで、もう、そんなにも不器用なの?なんでそんなに、あちこちつまづくの?さらっと流して行けないの???
と言いたくなるような不器用すぎる人生にイライラしっぱなし。
拒食気味で偏屈なアリーチェと、自閉症気味のマッティア。
他人も巻き込んで、はた迷惑ながんこさ。
拒食で出産を拒否する妻に絶望して去っていく、アリーチェの夫ファビオは被害者とも思う。
その時に、アリーチェは9年ぶりにマッティアに連絡を取る。魂の半分ともいえそうな相手とふたたび会い、今度こそうまく行くかと思ったが、ファビオと破綻したとしらなかったマッティアは、彼女のもとを去る。運命と相手との決定的なすれ違い。
それでも読後感がいいのは、2人が共に前を向いたから。あの時ああしていたら、という思いと決別していく。
お互いに愛しあっていることを、お互いわからずに、それでも、別れることに納得した時に前を向いていける。
運命の相手よりもなお、自分自身と向かい合うことが2人を変えていく。イタリア的なBildungsromanとでも言えそう。
Posted by ブクログ
過去の傷を引き摺る男女の人生を辿りながら、その出会い、交錯、別れ、再会を繊細な筆致で綴る傑作。処女作で権威あるイタリア文学賞を受賞し、人口6000万人のイタリアで200万部を売り上げたのも納得。物語全体の完成度の高さはもちろんのこと、一文一文の表現の巧みさまで語り尽くしたくなる作品です。原語が読めたら、もっと素敵なのでしょう。
Posted by ブクログ
当然ではあるけれど、陽気な人が多いイメージのイタリアにも内向的な人はいるはずで。
内向的な二人が出会う恋愛小説。ストレーガ賞受賞作。
410ページで、全7章の構成。半分の200ページを5章(20歳くらい)までで使い切ってしまう。
二人の人格がどうやって形作られてきたか、
それをさっと書いて、その後後半でくっついたりすれ違ったりが、書かれているイメージ。
アリーチェとマッティアがそれぞれ語り部となって2人の出会いを物語っていく。
一人称で語って行くから、
二人それぞれの主観的、独りよがりな感じをを明確に感じさせる構成。
読者の価値観や年齢によって、感じ方が分かれそうな作品。我儘ねぇ、とか、そうよ、がんばって!って主人公を、応援したくなる人もいるんだろうなぁ。
さぁ、あなたはどっち派?
Posted by ブクログ
なかなかおもしろかった
「素数は1とそれ自身でしか割り切ることができない。自然数の無限の連なりのなかの自分の位置で素数はじっと動かず、他の数と同じくふたつの数の間で押しつぶされてはいるが、その実、みんなよりも一歩前にいる。彼らは疑い深い孤独な数たちなのだ」と本文には書いてある。
そして、孤独には『積極的な孤独(Solitude)』と『消極的な孤独(Loneliness)』があり、原題では前者が使われている。
主人公はふたり。アリーチェという少女と、マッティアという少年。
アリーチェは拒食症で、マッティアは数字の天才。
子どものころ、アリーチェはいじめにあっていた。そしてマッティアは発達障害の妹を公園に置き去りにしたことがある。妹はそのまま行方が知れず、マッティアはいつもそのことを後悔している。
アリーチェとマッティアは出会う。恋愛感情はあるのだろうか。それもよくわからないが、特別な関係ではあるようだ。ふたりはそれぞれの道を歩む。それでも完全に疎遠になるわけではない。
イタリアの小説なのだが、ラテン系の情熱的な空気はまったくなくて、むしろ白夜のような寒々しいイメージがつらぬかれている。これでイタリアでは200万部売れたというのだから不思議なものだ。
恋愛小説として紹介されているのだが、首をかしげたくなる。これは恋愛なのだろうか。
むしろ、孤独な人間たちが自らの生きる場所を探して彷徨う物語のように思う。そこには恋愛の要素もあるのだが、「素数たちの孤独」というタイトルからして、推して知るべしというところ。
登場人物たちの気持ちというか、素数として生きる感覚はよくわかった。誰でもそうなんじゃないかと思ったが、よくよく考えてみると誰もが素数なのではなく、合成数もいるのかもしれない。そして小生は合成数の気持ちはわからない。うまいタイトルだ。素数はどこまでも孤独な素数なのだ。
Posted by ブクログ
心と体に傷を負った少年少女が、苦しみを抱えながらもがきながら成長していく話。
それぞれの人生が交互に語られ、その孤独の深さにこちらも辛くなるが、微かな光が差し込むラストに心が救われた。人生の様々な局面で選ばなかった答えを、もし、自分が選んでいたら…そんなことを考え余韻に浸っている。
Posted by ブクログ
これでいい。終わり方はこれでいいんだと思う。途中でおそらく誰もが想像する終わり方だったら、安っぽいし、だいたいファビオとナディアが「なんだったの」になってしまうではないか。この終わり方だからこそ、いろいろ考えてしまうし、しみじみとした余韻が残る。
Posted by ブクログ
体に傷を負った少女と心に傷を負った少年の
孤独な1人と1人の物語。
2人が出会う前、出会ってから、離れたり
再会したりする中でそれぞれに「救い」の
存在を探し求めながら成長していく姿が
描かれている。
事故で片足が動かなくなった少女アリーチェと、
知的障害がある双子の妹を自分の故意による
行動によって失ったマッティア。
同じ場所にいてもそれぞれの孤独が明確に
存在していて特にマッティアの孤独は深くて
救いはどこにあるのかと感じる。
たとえ神様が妹を蘇らせてくれても彼は救われ
ないのかもしれない。
これだけ孤独を書いているのに物語のそこかしこに
瑞々しさを感じるのは若い2人が主人公だからか、
著者の筆致の成せる技か。
Posted by ブクログ
素数とは1とその数字以外に約数を持たない数字。つまり他の数字と共通点がないということになるだろうか。
アリーチェは幼い頃に習っていたスキーの練習中の事故で足に傷を負い、引き摺って歩かなければならなった少女。
マッティアは幼い頃に双子の妹を亡くしてしまった事に責任を感じている自閉症気味の少年。しかし、数学については天才的な才能がある。
この一見、何の共通点もない二人が出会い、お互いに強く惹かれだす。しかし、反発も生まれる。
双子素数というものがある。一つの偶数を挟んで隣り合う素数だ。11と13とか。
隣り合い、同じ素数という惹かれ合う関係でありながら、素数であるが故にそれ以外に共通項がない二人。
双子素数のように惹かれあいながらも、その間にある偶数のように確実な溝があり、それを超えられない二人。
そんな切ない恋愛小説。
Posted by ブクログ
1と自分の数字以外では割ることができない素数になぞらえた、それぞれが深い闇を抱えた男女の、運命的な出会いから、時に交わりながら歩んでいく孤独な人生譚。
独特なトーンで進んでいく物語は、不思議な吸引力を放ち、決してハッピーではないのに、なんともスッキリとした読後感を与えてくれる。
Posted by ブクログ
とにかくふたりがつらい。ずっとつらい。20年近くもつらい。それでも読まずにはいられなくて読み進むのですが途中本当に凹みました。ラストも、こうしか無いだろうな……という感じ。面白かったと言っていいのかよく分からない。とにかくすごい引力を感じる物語でした。
Posted by ブクログ
なんか淡々と感情に流されずに話はすすむ
素数なので交わることはないのだろうか
最後がなあ、やっぱり素数だからかなあ
結婚式の写真のエピソードは痛快
その後のフォローはどうなったんだろうか
Posted by ブクログ
これはかなり良かった
作者はイタリアで最も権威のある文学賞を受賞しているが量子物理学者だそうだ
描きたいテーマがタイトルに表明されており、終わり方も、、、
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて読んでみたけど、訳者のあとがきにもあるように数学的要素を期待しすぎていたのかもしれない。
ものすごく水を差すようなことを言うと、ファビオの料理をトイレに捨てて、あまつさえトイレを詰まらせたアリーチェをファビオはどう思ったんだろう…。私はその後のファビオがどういう言葉をアリーチェにかけたのかが一番知りたい。
Posted by ブクログ
子供の頃の出来事がもとで
それぞれ心と体に傷を負った
マッティアとアリーチェ。
思春期から大人になる過程で
めぐりあったふたりの物語。
もし登場人物の名前が日本風なら
イタリアが舞台とは思えないくらい。
繊細な子をとりまく環境って
世界でそんなに変わらないものなのね。
ラストをどう解釈すればいいのか困惑。
私としては幸せになってほしいので
ふたりも、マッティアの妹も
再会して新しい生活が続くと信じたい。
Posted by ブクログ
初めての恋愛小説。
2人の抱えてる闇に引っ張られて少ししんどくなりながら読んだ感じがしている。
最後の後悔しない選択が、そっちなんやなぁと思った。
子供は時に残酷だ。結局ミケーラはどうなったの?
Posted by ブクログ
心に消えない傷を負った少年と少女が惹かれあう、少年は天才的な数学の才能がある、というあらすじに加えてタイトルが素数たちの孤独。うまいなと思う。高尚な解釈をする事も出来るけど、個人的には『村上春樹+森博嗣÷2』という公式で良いかなと思った。
「孤独」とか「世界とうまくなじめない僕(私)」という世界観に加えて、数学の才能を持った少年が双子素数に二人をなぞらえ、「276088996665はアリーチェの数字」と二人の関係を数学に重ねる場面にキュンキュンした人は、絶対若かりし頃に「数字の中で、7だけが孤独ですもの」にキュンキュンした人だろうなと思う。大人になるとムズムズします。はい。この場面以外数学関係無く、世界を因数分解してくれるわけでもなく、正直数学の天才って設定は必要だったのかどうか。
物語は、男女の恋愛話ではない。「私(僕)は傷ついたんだ!」というのと同じくらい人は「周りを傷つけている」という事。そしてそこからまたみんな歩き出さなければいけないという事。
最後結局、ミケーラの謎もそのままで、アリーチェはマッティアだけ変わるのが嫌だったのか、それとも今更妹が見つかった所で誰も救われないという結論に至ったのか。二人がくっつかずに終わるのも無責任な気がした。
ベストセラーってものにもよるけど、いつも合わない。
Posted by ブクログ
双子素数を題材にしており、たびたびすれ違う様はあっても隣り合うことはない。まさに双子素数が無限に循環するがごとく、物語が切なく進められていくようであった。双子素数については多くの数論学者が無限に存在するだろうと予想しているが、数学上は未だ有限か無限かは解決されていない。この問題に対し、この小説は一つの答えを出しており、それが彼ら主人公2人が出した結論なのだと考えられる。ある意味、循環を断ち切った彼らは、「素数ではないもの」になれるのかもしれない。双子素数という題材を抜きにしたら陳腐になってしまうかもしれないが、今一度孤独について考えさせられたように思う。
Posted by ブクログ
双子素数は悲しかった。
孤独で寂しい。
でも、他人と交わるのを拒絶する。
結局ひとりぼっち。
みんな寂しい。
空疎。
どこかで繋がってたらいいな。
頭の中では誰かを想ってる。
Posted by ブクログ
小説の内容はともかく、イタリア人の書く、イタリア人が主人公の小説ということで興味深かった。
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スキー中の事故で足に癒せない傷を負ったアリーチェ。けたハズレの数学の才能を持ちながら、孤独の殻に閉じこもるマッティア。この少女と少年の出会いは必然だった。ふたりは理由もわからず惹かれあい、喧嘩をしながら、互いに寄り添いながら大人になった。だが、ささいな誤解がかけがえのない恋を引き裂く--イタリアで二百万分の記録的ベストセラー! 同国最高峰の文学賞ストレーガ賞に輝いた、痛切に心に響く恋愛小説。
Posted by ブクログ
イタリアでベストセラーとなったという帯に目がとまり、読んでみた。
翻訳作品だからかどうかわからないが、どこか表面をさらさらと滑るような本で、エピソードは色々あったが、いまいち入り込めなかった。
「結果の重み」というキーワードは印象に残った。
Posted by ブクログ
過去の出来事による心の重しから、
あまりに自分自身になり過ぎて、
他人、世界とのかかわりに不器用なアリーチェとマッティア。
あまりに世界を状態として捉えすぎていて、
そもそも、かかわりの必要さえ自律的には感じないかもしれない
マッティア。
マッティアが何かあるごとに内に内に向かっていくのに
アリーチェの前では開かれて外に向きかける一方で
アリーチェは何かのきっかけで外に向こうとしていくのに
マッティアとの関係では閉ざす方向で「結果の重み」を生み出してしまう。
分かち合う約数を「持てない」素数でありながら
ひとつはさんで並び合う双子の素数という存在と表された
お互いを、自分にとっても相手にとってもかけがえなく
必要な人生のパーツであると自覚しながら否定・拒否・閉ざして
二人寄り添いながら、すれ違いをつみ重ねていく、
ヒリヒリして苦しい恋愛小説。
ほんの少し、希望を信じて
自分だけで考える予測を裏切った結果、危険を冒せば、
異なる結果が得られるのに。
交わりあいながらも一緒にはなれない存在のもどかしさ