あらすじ
トランプ米国新大統領誕生を受けて、日本の新聞は「驚きを禁じ得ない」「戦後の国際秩序を揺るがす激震」などと書いた。だが著者は、本書の「まえがき」で〈私は、トランプ氏が大統領になったことを驚かない。そもそも誰が米国の大統領になろうと、日本は日本である。日本には戦略的思考が必要だと主張する人は多いが、それは「誰に寄り添えばいいか」を考えるのではなく、「相手を自らの望むところに誘導すること」である〉と説く。その強気の論拠として、著者は「新しい日本人の出現」を挙げる。彼らの特長は、「歴史伝統の連続性を尊ぶ」「学校秀才ではない」「優位戦思考を持っている」「先入観、固定観念に囚われない」「物事をストーリーとして表現できる」等々。百田尚樹氏、庵野秀明氏、大野将平氏、齊藤元章氏、杉田水脈氏、DJ OSSHY氏など、さまざまな分野で活躍する「新しい日本人」に着目しながら、日本と世界の明るい未来を指し示す。
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Posted by ブクログ
また「新しい日本人」とは日本を「我が国」と思う一体感があり、単なる愛国主義、国粋主義とは異なる「戦前派」ではない。
すなわち、潮流としては「戦前派が災後派(震災時に見せた、日本人の相互扶助感・自衛隊への感謝)」になり、戦前との歴史の連続性に気づき、それを大切にしようとし戦後70年余りの「戦後体制」から脱却しようとする。これこそが「新しい日本人」だと喝破する。
日下氏はこうも問いかける。そもそも現行憲法9条を「平和の守護者」と考えるなら、なぜ北朝鮮による拉致被害を防げず、またその被害者を救助できないのか、と。
哲学者の田中美知太郎氏には「憲法で平和をいくら唱えてもそれで平和が確立するわけではない。ならば憲法に、台風は日本に来てはならずと記すだけで台風が防げようか」という至言があるが”9条信者”の人々はこれに答えるべきだ、と日下氏は疑問を呈する。
氏はこうも唱える。SEALDsの代表の奥田某は福岡県生まれだが、彼の父は牧師であり「反天皇主義」と「ホームレス支援」で有名な活動家であるそうだ。彼は公的な意味を持つ活動に参加し、一定の影響力を持つ存在となったら、その人間の背景についても伝えるのがメディアの仕事であり、それを「普通の学生」としか伝えないのは手落ちであるという。
また日下先生は計量的にも彼らの活動の失敗を事例をもって証明する。SEALDsが活動した平成27年10月の参議院選挙では、若者の多くは彼らに賛同しなかった。
当該選挙の共同通信の出口調査によれば、18,19歳の比例代表投票先のトップは自民党の40%で、20代43、2%、30代、40、9%に次ぐ3番目の多さで、中高年より自民党を支持している結果となった。
話は中国に飛ぶ。2010年1月中国は「中華人民共和国海島保護法」という中国が主張する無人島は中国が所有するという趣旨の法律である。
これをもとに中国は、尖閣諸島だけではなく近海6千の無人島の国有化を宣伝している。このような中国の動きについても、日本の大手メディアはほとんど報じなかった。したがって「(石原)都知事の尖閣購入の表明、その後の国有化が日中関係の引き金を引いた」という報道がいかに的外れなものであるか、遡ってみれば歴然である。
次に日本国憲法に話は飛ぶ。日下氏個人では、日本には必ずしも「憲法」は要らないのではないかと考えているとのこと。
なぜなら、大日本帝国憲法は明治時代、列強と肩を並べるため大急ぎで作ったものであるし、そもそも日本人たるもの、文字や文章にわざわざ表して制定しなくても、歴史に培われた日本人としての規範があったはずだと思うからだ。
それをまずはっきり自己のうちに見出すことが大切で、そうした根本における自意識が、戦後の日本人には著しく欠けている。日本人の伝統や慣習に会わないものならば、それは日本という国の憲法にはふさわしくない。それだけのことだ、という。
確かに、我が国の周辺国が憲法の前文にある(平和を愛する国民)ばかりであれば、その(公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう)とすることも可能かもしれない、しかし上述の中国のように、そのような実態はないのである。
(われらは、いづれの国家も、自国のことのみ専念して他国を無視してはならないのであって(中略)他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる)という文節も、いったいどこの国のことを言っているのか、少なくとも日本ではない、氏は断言する。
安倍首相は、日本を「美しい国」にしたいと語ったが、憲法の前文に我が国のあるべき姿を記するとき、日下氏なら「安らぎの国」とか「思いやりの国」といった言葉、あるいは
「潔い国」という言葉を入れるそうだ。
これは日下氏の慧眼であり、普遍的なものであり、かつて米国大統領選挙でアル・ゴアと息子ブッシュが裁判所まで持ち込まれた時、日下氏はアメリカ人に「そんなことするのは民主主義の恥、アメリカの恥であり「どちらかが潔くしたらどうか」という話は米国内ではでないのか」と外務省の元駐米大使に言ったそうだが、彼曰く「私もそう思うが、英語には「潔い」という言葉がない。残念だが助言できない」と言われたそうだ。
そこで日下先生、日本語ができる外国人や日本人の英語教師の顔を見るたびに「潔い」という英語はありますか」と聞かれたそうだが、みんな「ピッタリくる英語はない」という答えだった。
NobleでもGracefulでもない上智大学名誉教授の故渡部昇一氏が「Manlyという古い英語がそれに近い」と教えてくれたそうだ。
アメリカはまだ240年しか歴史のない国だから、敗者は敗者、退場するだけであってそのような概念がないということであるそうだ。
ただでさえ、英語による思考は二分法になりやすい。白か黒である。もともと契約のために発達した言語だから仕方がないが、対象となる社会現象や自然現象は、たいていアナログである。
アナログをデジタルで表現すると、グレーゾーンを切り捨てることになる。洋裁でいうと布地の裁ち屑がでるようなものであるが、日本語はそのような裁ち屑を掬い上げる秒なニュアンスが豊富である。
日本人の憲法を成文化するなら、きちんと日本語で考えられ、日本語で書かれるべきだ。それは外国人が理解できない場合、彼らに考えさせるべきであるとまでする。
と日下節は続くが、これ以上紹介すると著作権違反になるのでこの辺で。日下ワールド満載の一冊である。普通の日下先生のご著書より若干難しめです。「難しい日下先生も好き❤」という方には満足度100%でしょう。ちなみに私は120%久々にいい本を読みました。
日下先生、ありがとう。末永くご活躍を!!!