【感想・ネタバレ】集合知とは何か ネット時代の「知」のゆくえのレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

あとがきの日付が「2012年11月」となっているので、3年と5ヶ月前になる。
この間にITがいかに進歩したかを感じる。
なんといっても今月、AlphaGoがリ・セドル九段を破った事実は、ディープラーニングがITの世界にパラダイム・シフトをもたらした。
本書は、このディープラーニングという閉鎖システムがIT上で実用的になることを前提にしていない。
著者は従来の開放システム(=与えられたプログラムで処理するだけのもの)だけですべてが処理される世界になることを望んでもいないし、予想もしていない。
ディープラーニングによるパターン認識と学習は、主観知の相互作用による合意形成と根本的なところは同じものではないかと思う。
また、タイプIIIと呼んでいるものは、今、IoTと騒がれているもの。
IoTとディープラーニングを活用し各自の主観知から合意を作る世界、すなわち著者が望み予測するものに近い将来が実現に向けて歩み始めたのではないかと思う。

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2016年03月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

集合知とは何か、というタイトル通りの本です。
生命体の集合知では、クオリアという感覚質によって外界の情報を無意識にインプットされ、個体の記憶を基にして情報が再編される閉鎖的自律システム(オートポイエティック・システム)。時間や場所や心理状態が変われば、同じものを見ても感じ方が変わるのは当たり前。そしてその感じ方はその人個人のものなので閉鎖的である。
閉鎖的ならばどうやって他人とコミュニケートできるのか?完全なコミュニケートは不可能(個人の痛みを他人が完全に理解するのは無理!)だが、意識に上ったものは会話等によって意志疎通ができる。
人間個体を理解することで集合知を深く探求することはできる。
また、生命体の本質は閉鎖的自律システムなので、所謂『人間みたいなコンピュータ』は作れない。コンピュータは入力したデータに基づいて出力する(しかも出力情報はいつ引き出しても同じである)から開放型他律システムだからである。
さてネット集合知は専門知を超えることができるのか?その答えはまだ出ていない……。

読み応えがあり、難しいけれど、面白いです。
情報学の視点から人間を考えるとなるほどかようになるのかと感心しました。集合知というと、ネットワークや哲学がその学問領域になるかと思いましたが……、機械情報学からの出発が、生命システムに行き着く、そして再び機械情報学に戻るのは何だか不思議ですね。

インターネットが当たり前の時代において、人間に求められるのは、情報を加工する能力でしょう。知識自体はウェブ上にあるので、それらをうまく組み合わせて知恵を生み出す。
言ってみれば、レゴブロックがたくさんあっても、それを組み立てて遊ばないと意味がないのと同じです。お城を作ったり船を作ったり、組み立て方のパターンは無限にある中で、どういう組み合わせが適当か、考えなくてはなりません。
しかし、注意しなければならないのは、知恵が肝心だからといって、知識(レゴブロック)を疎かにしてはならないということです。知識がなければ閃きもない、よって『知識はネット上にあるからわざわざ記憶する必要がない』となってしまうと、知恵を生み出す素地が育たず、よい結果は得られないでしょう。要は下積みが大事ということです。

平野啓一郎さんの小説が気になりました。分人という概念は、ユングのペルソナと同じだと思いますが、確かに現代人は複数の人格を持ちすぎだと感じます。それらが一貫性をもったものならば、著者の言うように問題はないのかも知れませんが、うまく制御できないときは爆発しそうで恐いです。『いい人を演じるのも疲れた…』なんてのはよくある話で、そこは喜怒哀楽ある人間だから、あまりストレスを溜め込むことなく円滑に人間関係を進めたいものです。

僕の評価はA+にします。

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2013年05月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

情報論の西垣さんの本。
原発事故との絡みも多く、面白い。
過度の専門分化と予算不足からくる産学協同の推進が専門知のレベルを落とした。
専門知の普遍性と一般性の崩れ。

正解のない問題
正解の推測より「物事の決め方」へ

依然として「みんなの意見」より専門的権威を信じているという事実

数理社会学者スコット・ペイジ「多様な意見はなぜ正しいか」

一番問題なのは客観的な世界が存在し、しかるべき評価作業をおこなえば透明度がまして世界の様子がわかってくるという単純な思い込み。

...もっと大切なのは、自分が生きる上でほんとうに大切な知を、主体的に選択して築き上げていくことのはずである。

近代知ー普遍性の追求
デカルト、ニュートン、ライプニッツ

20世紀
論理主義の影響力
そこに対抗するように実存主義、構造主義などの相対主義系統

論理主義ーいまだに圧倒的な影響力
フレーゲ「述語論理」
ラッセル、ホワイトヘッド「プリンキピア・マテマテカ」
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」
公理と記号論理にもとづく厳密な推論が数学の基礎をつくり、哲学は数学的論理にもとづく厳密で分析的な言語で経験を記述するもの。
→論理実証主義/ウィーン学団
ルドルフ・カルナップ
経験、実証を重んじる←ポパーから検証可能性の批判

自然言語は論理的厳密性を備えているのか?
ー分析哲学

コンピュータ(論理主義をふまえて)
ノイマン(数学基礎論)、チューリング
ヒルベルト(フレーゲ、ラッセルの影響下:数学を論理学の中に包含してしまおうとした)ー形式主義
「事物を記号であらわし、記号を形式的なルールに基づいて論理操作することにより、事物についての正確な知が得られる。」

ゲーデルにより無矛盾系が否定される
ヒルベルトのテーゼについてゲーデルと同じ否定的結論をチューリングが示す(チューリングマシン「オートマトン」)

AIからIAに(コンピュータをつかって人間の知識を活かす)
刻々と変化する状況の中で、常識と直観を働かせ、臨機応変に行動することが生物が機会より優れている点。

人間の知と機械の知の境界線に目を凝らさない限り見えてこない?

オートポイエーシス、サイバネティクス、自己組織化、複雑系、そういったところのやっかいな言葉の使い分けに関して。

平野啓一郎『私とは何か』のなかで分人
西川アサキ『魂と体、脳ー計算機とドゥールズで考える身体問題』

オープンになり過ぎもだめ、適度な「閉鎖性」が必要。
論理主義への猛批判がちょっと目についたけど、依然としてそれがある程度ドミナントな価値観なのであればそれが「閉鎖性」に結びつくこともあるのではないか?と思った。
ある程度の完全性への希求みたいなものは諦めるとしても、論理が好きという「趣味」の人もいるわけだし。
感情だけにそって話すとかなり厳しい状況になるのは確かだ。
もちろんそのルールが「論理性」が適しているところと「感情、感覚」が適しているところと、その中間みたいなところもたくさんあるとして。
線形世界や通常科学が「局所的真実」としてその居場所を残している、って言うところがこの辺できいてくる。
Anyway, 結構面白かった!

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2013年04月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「知とは何か」という問いかけは、決して、暇つぶしのペダンティックな質問などではない。むしろ、命がけの生の実践にかかわる問いかけなのだ。


前書きの1文を見ただけで、購入して失敗したと実感
小難しい単語を並べて、自己満足している学者チックな著者なのだと。案の定、本書は権威がありそうな他人の主張を参照するのみで、著者の意思が感じられない、いわゆるつまらない論文チックな文章となっている。

題名だけを見てネットで購入すると、たまに買ってしまう残念な一冊でした。

ペダンティック:pedantic

物知り顔の、学者{がくしゃ}ぶった、学者{がくしゃ}ぶる、知識{ちしき}をひけらかす (www.alc.co.jpより)

まさに、あんたのことだと著者に言いたい。

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2013年06月24日

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