あらすじ
家庭の不和、いじめ、出版差し止め裁判……
壮絶な半生が教えてくれる、人生において「必要のないこと」とは?
作家生活30周年、芥川賞受賞20周年――
“南相馬在住作家”柳美里が48年間の「後悔」を語る、初の人生論。
「もちろん、わたしにも後悔はあります。
わたしの場合は、人間関係において後悔の念を抱くことが多い。
だからといって、その後悔によって、わたしの過去が否定されるものではありません。
『後悔先に立たず』とは、事が終わった後で悔やんでも仕方ないということです。
でも敢えて、後悔を忘れることのないよう目の前に掲げれば、
それは足元を照らす灯火になり得るのではないか、と思うのです。」
(「はじめに」より)
【目次】
第一章 後悔とは何か
第二章 お金
第三章 家族
第四章 死
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
おそらく一万円選書の本に出てきたから読んだのだとおもう。
子育ての成否は、その子がどの大学に合格したかではなく、どの職業に就いたかでもなく、どのような家庭を築くかなのです。p129
すごい人。
壮絶な人生って、こういうことなのだろうなとおもう。それをこんなふうに文章にできるところもすごい。
目を逸らしてしまわず、向き合ってきたからこそ書けるのだろう。
記録、の大切さ。
Posted by ブクログ
同時代を生きている人は、宇宙のスケールから考えれば、みな同世代。
という考えにひかれました。
余生、老後なんてものはない。人生に「余り」なんてない。 「老年を 死に向かって 暗く閉ざされていく時間だとも思わない」
Posted by ブクログ
どんなに嫌で恥ずかしくて不本意な過去でも、それらの出来事の堆積の上に今の自分がある。。 #柳美里 は初めてだけど壮絶過ぎる過去で、他の作品も読んでみたい。
Posted by ブクログ
転居の理由のひとつが「共苦」。これはその土地に行かなければできないことでした。子どもは、すでに高校生になり、卒業後の進路は自分で選択するのだし、息子ひとりで相馬を出ていっても良いと考えている。最後は自分ができることを即断していったのだと思います。また、もとの住まいであった土地は、海に近く、土地勘のない観光客が多く、路地や道路はいつも混雑しており、大地震のときは、たいへんな困難を伴うはずであるが、対策が十分でないと感じたようです。
Posted by ブクログ
柳美里の初の人生論です。
お断りしておきますが、自分はこの種の本を全くと言っていいほど読みません。
理由は3つ。
①その日その日で手一杯で、人生について考える余裕がないから
②人生なんて大テーマを本から学ぼうなんて了見がさもしいと思うから
③結局は著者の自慢話であることが多いから(いや、たぶん、推測)
ただ、柳美里のなら読みたい、と思って手に取った次第。
伝え聞いているだけでも、柳美里は波瀾万丈な半生を送ってきた方。
で、読んでわかったのは、想像していたより波瀾万丈な半生を送ってきたということ笑。
率直な感想は、「この世に〝ふつう〟なんてないのだ」ということです。
柳美里は、超の付くギャンブル好きの父と、店に来る客と不倫して家に帰らないこともままある母の元で、4人きょうだいの長女として育ちました。
家庭は端的に言って崩壊していたそうです。
そういう柳美里も数々の不良行為で高校を1年でドロップアウト。
それから劇団に入り、劇団を主宰する東由多加と出会います。
この東由多加という人がまた激烈な人で、1升瓶を手に演劇指導するわ、全裸でカラスの真似をさせるわで完全に振り切れています。
柳美里は、東由多加と破局、復縁を繰り返しながら同居生活を送ります。
そのうち柳美里は長男を出産しますが、この子は東由多加との子ではないのだそう。
保守的な人なら眉をひそめるかもしれません。
ちなみに東由多加は、若くしてがんで亡くなっています。
柳美里は戯曲で注目され、小説家デビューし、芥川賞まで受賞しますが、訴訟を起こされたことで業界から一時干されるという不遇の時代を過ごしました。
実は、これは別の本かネットで知ったのですが、柳美里は年収400万円にも満たない生活を送ってきたのだそう。
芥川賞を受賞したのに正社員の平均年収も稼げない日本って何ちゅう国じゃっ! と私は内心腹を立てたものですが、本書を読むと、もっと貧乏していたらしいです。
夕食を食べるお金もなくて、身の回りの物を売り払って何とか凌いだというのですからイヤハヤ何とも(繰り返しますが、芥川賞受賞後ですよっ)。
東日本大震災後に南相馬市に移住し、現在は長男とパートナーの「ムラカミくん」と3人で生活しています。
若い頃は自殺未遂を何度も繰り返すなど衝撃的な話がいくつも出てきますが、上記に紹介しただけでも、柳美里がいかに波瀾万丈な半生を送って来たかが分かっていただけるでしょう。
自分は、とてもこんな風には生きられません。
ただ、柳美里の言葉には強い説得力があり、何度も頷きながら読みました。
特に、次の言葉には、大いに共感しました。
「『余生』や『老後』という言葉にも違和感がある。
ここまでが『生』『命』で、ここからは『余り』という考え方には賛同できないし、定年退職をした途端に老いて、『老後』に入るというのもおかしい。
人間は、死ぬまで生きているのです。」
思い出しました。
柳美里の「オンエア」を読もう読もうと思って未読だったんです。
いずれにしても、稀有な作家ですね。
Posted by ブクログ
どこでこの新書を知ったのかが記憶にない。
どこかのワンフレーズが紹介されていたのか何かで、名前を知っていて、古本屋で見かけて買ってみた。
タイトルも素敵だしね。
あんまり内容知らずに読んだけれど、柳さんの人生のことが色々と書かれていた。
小説しか読んだことがなかったから、こんな人生を歩んだこんな方なんだとちょっと不思議な感覚。
Posted by ブクログ
少し前にビートたけしさんとの対談を読んで、面白い人なのかなと感じ、まずこちらを読んでみました。
さまざまな経験を経て、腹をくくって生きている人。
他人事を自分事にし、自ら行動する人。
印象に残ったお人柄です。
やはり彼女の小説を読んでみたくたりました。
本は、他者であると同時に自分自身なのです。
本は読み終えても、消費されることはありません。
ですから、本を読む人は「消費者」ではなく「読者」なのです。
南相馬に書店を開いたのかな?
Posted by ブクログ
気に入った文。
自分の人生、自分の過去を否定しなくてよい。後悔があったからこそ、こうしないようにと思える。そしてより良い今がある。実は後悔とはそういうものではないか。
Posted by ブクログ
よくも悪くも凄絶な生き方。
正直、あんまり共感しない。
でも、ここまで突き詰めた生き方を
した人だから見える景色はあり、
読書というのは、自分とは異なる
立場から見える景色を見ることだから
共感しなくてもいいのかとも
思ったり。
映画監督による、性的搾取が
話題になった今読むと、
東氏との関係はアウトだろうと
思ってしまう。
Posted by ブクログ
タイトル通りの、人生でやらなくていいことについての著者からのアドバイス集かな~、と思ったら、著者の半生記と現在(執筆時)、小説家になったいきさつ、およびなぜ福島県の南相馬に移住したのかの説明等々のエッセイ集だった。
おまけに巻末には一家の集合写真まで付いていたので、徹底的に自分をさらけ出す人なんだと、当初の本書への期待は満たされなかったものの、一方で小説家柳美里信条や人となりがわかり、だったら今まで読んだことのなかった彼女の作品を読んでみようかと、がぜん興味がわいてしまった。
本書を読んだ限りでは、ちょっとめんどくさそうな人であるようだが、作品にはそのめんどくささがどのように反映されているのか楽しみである。
Posted by ブクログ
「かなしい」という言葉には、元来「愛しい」という意味があったとのこと。
「悲しい」と「哀しい」も意味が違う。
他人の悲しみを他人事と思わず、哀しみを自分の胸に抱くことができる人が一人でも増えたら、より良い世界になるのかな。
「あなたの隣人を愛せよ」は、「あなたの隣人を哀せよ」。
Posted by ブクログ
悲哀に満ちた人生
書くことに苦手意識を持っている生徒が多いですが、それは書き言葉に先立つものは話し言葉で、話し言葉は他者の話を聞くことでしか生まれない、ということを体感できないからです。
Posted by ブクログ
この本を読んで、私は「向いていない多くのことを潔く諦め、残された唯一のものをやればいいのだ」と勇気づけられました。
タイトルに惹かれて柳 美里(Yu Miri)さんのプロフィールの知らないまま、読みたい本に登録していたのですが、昨日(9/20)、ようやく手に入れることができました。
私を惹きつけたタイトルは、担当編集者である小島博人さんが、柳 美里さんに提出した企画書に既に書いてあったそうです。
この本は、柳 美里さんが語った人生をライターの辛島いずみさんが構成し、柳 美里さんが書き直したものだそうです。さて柳 美里さんを動かしたタイトルが掲げられた本の内容は何か…。
美里さんは、私が生まれた1958年から丁度10年後の1968年、在日韓国人の両親の元に生まれました。
この本の中では描かれる半生は、言葉が少ないために、読者の想像力の中で夫々立ち上がるのではないかと思うのですが、私の瞼には、かなり壮絶なものが映りましたが、美里さんの人生は、常に全力だったように見えました。
柳 美里さんにとって、唯一のものは、書くこと。美里さんは「話すことや書くことによって、自分が体験したことや自分が思っていることを自分の外に出さなければ、物語は生まれないのです。」と書いていますが、それは、私にとっても同じことだろうと思います。
書かなければ、体験は、頭の中をグルグル回るだけで、壁を登るための足場として刻まれることはありません。分類は、エッセイかもしれませんが、ミステリアスでした。