【感想・ネタバレ】東京戦後地図 ヤミ市跡を歩くのレビュー

あらすじ

※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。

終戦後の混沌と活力の象徴「ヤミ市」。東京の巨大なターミナルの一画に、いまなおその歴史を受け継ぐ店や建物が残る地域がある。それは、焼け野原となった東京で人びとが生きるために活動した記録であり、次世代に受け継ぐべき記憶である。終戦後に作られた詳細な地図「火災保険特殊地図(火保図)」を豊富に掲載し、ヤミ市跡が現在どうなっているかをたんねんにたどる。 上野 青空市場の「ノガミの闇市」から巨大商店街の「アメ横」へ/浅草 敗戦いち早く伝統の露店が復活した浅草寺界隈/谷中 戦後から変わらない貴重な木造アーケードの横丁/神田 多層構造の高架橋によって生まれた神田ヤミ市跡の独自性/秋葉原 露天商たちが築いた秋葉原電気街/新橋 ヤミ市の発展形態のすべてが詰まった歓楽街の見本市/有楽町 戦後の有楽町を象徴した飲食店街「すし屋横丁」物語/銀座三原橋 三十間堀川埋立てをめぐる銀座の露店換地事情/池袋東口 繁華街の発展に影響を与えた東口ヤミ市の露店換地/池袋西口 六〇年代まで戦後が残った駅西口の連鎖商店街/板橋・大山 ヤミ市からの復興を物語る商店街と路地裏の横丁/赤羽 軍都赤羽の歴史とヤミ市「バネの迷路」の関係/十条 露店換地後の店舗の造作がそのまま残る商店街/新宿 焼け野原の東京で最初に出現した新宿のヤミ市マーケット/渋谷 駅周辺に数多のヤミ市が散在していた渋谷の光景/吉祥寺 再活性化を遂げ、観光資源となったハモニカ横丁/高田馬場 山手線と西武新宿線にはさまれた一画に残る名残/中野 新宿ヤミ市の大立者の影響下にあった/荻窪 ヤミ市の新たな道を示した荻窪最大のマーケット/三軒茶屋 若者たちが集う人気スポット、三角地帯の暗黒時代/五反田 戦後の露店がホテルの中の飲食店街に/錦糸町 歴史を今に伝えるダービー通りと花壇街/小岩 水の都を標榜した「小岩ベニスマーケット」/門前仲町・森下 江東区を代表するヤミ市由来の横丁と長屋酒場/大井町 ヤミ市マーケット時代の区画を残す貴重な飲食店街/蒲田・大森 大田区の商業の中心地にできた二大マーケット/横浜 野毛・桜木町から始まるヨコハマのヤミ市史/川崎市 高層ビルのふもとに点在する連鎖式店舗の残り香/蕨市 駅前の区画整理を推進させたヤミ市の大火/船橋市 「日本の上海」と呼ばれた戦後困窮期の食糧供給地

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

(2016/7/30)
12歳から東京に通学し始め、以後40年以上、
東京の街をうろうろ歩き続けている。
それだけにこの本、物凄く親近感を感じる。
ああ、あの場所にあんなスペースがあるのはこういう理由だったのか!
というのが手に取るように分かる。

上野浅草神田秋葉原新橋有楽町銀座池袋赤羽新宿渋谷吉祥寺中野三軒茶屋五反田、、

有楽町交通会館の靴屋さんを懇意にしているのだが、
「うちの商売もこの交通会館が取り壊しになるまでよ!」
なんて話をしていた。
東京五輪の際に近所のそれこそヤミ市みたいなところを吸収してつくられ、
寿命が60年とか。
そう、有楽町もこの本に取りあげられている。
駅のガード下に不気味な空間があるのだが、それが取り上げられていた。
こんな一等地にこんな場所。まさにそれ。

それから最近初めて足を踏み入れた有楽町と新橋の間のガード下の不思議な空間。
これも書かれていた。

楽しい楽しい。

残念だったのはひところ住んでいて馴染みのあった下北沢は取り上げられていない。
小田急再開発で無残に取り壊されたからだろうか。
どのようにあの店が復活するのかしないのか。

永六輔さん、大橋巨泉さんは亡くなったが、昭和はまだ終わっていないのだ。

●上野 青空市場の「ノガミの闇市」から巨大商店街の「アメ横」へ
●浅草 敗戦いち早く伝統の露店が復活した浅草寺界隈
●谷中 戦後から変わらない貴重な木造アーケードの横丁
●神田 多層構造の高架橋によって生まれた神田ヤミ市跡の独自性
●秋葉原 露天商たちが築いた秋葉原電気街
●新橋 ヤミ市の発展形態のすべてが詰まった歓楽街の見本市
●有楽町 戦後の有楽町を象徴した飲食店街「すし屋横丁」物語
●銀座三原橋 三十間堀川埋立てをめぐる銀座の露店換地事情
●池袋東口 繁華街の発展に影響を与えた東口ヤミ市の露店換地
●池袋西口 六〇年代まで戦後が残った駅西口の連鎖商店街
●板橋・大山 ヤミ市からの復興を物語る商店街と路地裏の横丁
●赤羽 軍都赤羽の歴史とヤミ市「バネの迷路」の関係
●十条 露店換地後の店舗の造作がそのまま残る商店街
●新宿 焼け野原の東京で最初に出現した新宿のヤミ市マーケット
●渋谷 駅周辺に数多のヤミ市が散在していた渋谷の光景
●吉祥寺 再活性化を遂げ、観光資源となったハモニカ横丁
●高田馬場 山手線と西武新宿線にはさまれた一画に残る名残
●中野 新宿ヤミ市の大立者の影響下にあった
●荻窪 ヤミ市の新たな道を示した荻窪最大のマーケット
●三軒茶屋 若者たちが集う人気スポット、三角地帯の暗黒時代
●五反田 戦後の露店がホテルの中の飲食店街に
●錦糸町 歴史を今に伝えるダービー通りと花壇街
●小岩 水の都を標榜した「小岩ベニスマーケット」
●門前仲町・森下 江東区を代表するヤミ市由来の横丁と長屋酒場
●大井町 ヤミ市マーケット時代の区画を残す貴重な飲食店街
●蒲田・大森 大田区の商業の中心地にできた二大マーケット
●横浜 野毛・桜木町から始まるヨコハマのヤミ市史
●川崎市 高層ビルのふもとに点在する連鎖式店舗の残り香
●蕨市 駅前の区画整理を推進させたヤミ市の大火
●船橋市 「日本の上海」と呼ばれた戦後困窮期の食糧供給地

0
2024年06月11日

Posted by ブクログ

ヤミ市(繁華街)を概観するには最適かと。内容もかなり上品にまとめていますし。
参考文献というか、地域別のヤミ市史の本を読むと、また違った面が見られるかと。

0
2017年05月29日

Posted by ブクログ

キムチ横丁は上野駅近隣を追い出された在日朝鮮人達にあてがわれた代替地。平和利に移行したことを強調して「国際親善マーケット」という名前だった17

交通会館の場所は東京都交通局の敷地で、終戦直後は戦災者や引き揚げ者のバラック・飲み屋があった。阻害していた交通局職員が戻るので明け渡し要求するが、食うや食わずの者達を放り出す訳にもいかず整理するとこに。テキ屋筋には手切れ金を渡した。そこに出来たのが「すし屋横丁」。1967に交通会館を作るため撤去。その一部は会館地下に店を構える52

渋谷の「恋文横丁」は、朝鮮戦争時、米兵から「オンリー」と呼ばれた愛人が英語の手紙を代筆する店があったから名付けられた100

ヒカリエの土地は元々ヤミ市「渋谷第一マーケット」103

「立石仲見世」は「浅草仲見世」を模した。152

無職者の総称プー、プータローの語源は野毛。終戦後野毛にたむろした自堕落な路上生活者は「野毛の風太郎」と呼ばれた。これは「人夫」を探さ読みして「プーニン」⇒「プータロー」からきている170

0
2025年07月22日

Posted by ブクログ

あん肝ポン酢みたいな一冊。サブカルチャーとしての素晴らしさと、町歩きとしての素晴らしさの両面を併せ持つ、好きな人にはたまらないおつまみ。兵隊の慰安施設→RAA→赤線→小料理屋→スナックの流れとか綺麗すぎ。個人的に散歩で見つけて気になってた門前仲町の辰巳新道についても解説があってとても面白かった。全国バージョン欲しいなぁこれ。

0
2020年02月18日

「旅行ガイド・旅行会話」ランキング