あらすじ
≪TVアニメ「文豪ストレイドッグス」放送記念! アニメ描き下ろしコラボカバー版を配信!≫
16歳で詩人として出発し、30歳で夭折した中原中也。昭和初期、疾風怒濤の時代を駆け抜けた稀有な詩人の代表作品を、生きる、恋する、悲しむという3つの視点で分類。いま改めて読み直したい、中也の魂の軌跡。
<シリーズ累計250万部突破!「文豪ストレイドッグス」シリーズとは!?>
中島 敦、太宰 治、芥川龍之介、与謝野晶子、泉鏡花、F・スコット・フィッツジェラルドなど国内外の文豪のイメージをモデルに擬人化されたキャラクターが、「人間失格」「羅生門」などといった各文豪に関連する異能力を用いて戦うバトルアクションコミックス。
舞台は横浜。孤児院を追われた主人公・中島 敦は、とある自殺志願の男・太宰 治を助けたことから、異能力集団「武装探偵社」に所属することに。やがて、ポートマフィアの芥川龍之介らや、北米の異能力集団・組合(ギルド)との対決が激化していく――!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「生きる」「恋する」「悲しむ」の3つのテーマに沿った詩を、未刊詩篇も併せて収録。テーマごとに分かれているのでとっつきにくくなく、気分によって読む箇所を変えることもできて楽しめる。コラボカバーのおかげで中原中也どころか詩集を初めて買うような人でも手に取りやすい。
Posted by ブクログ
確か読むのに結構時間がかかった気がします。
詩の独特な言葉が印象に残りました。
例えば「っ」が「つ」になっているところとか。
私は「サーカス」がよく印象に残っています。
Posted by ブクログ
表現がとてもきれいで、印象に残りました。
昔の言葉であったり、「っ」が「つ」になっていたりして意味を完全に捉えきることは難しいかもしれませんが、心を揺さぶられるきれいな詩を書く方だと思います。
「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん」
など、独特な表現も相まって、私の一番好きな詩人の方です。
Posted by ブクログ
「生きる」「恋する」「悲しむ」で編纂された詩集。
綺麗に流れる詩の中に時折、不整脈の様ないびつなリズム。人の心の煮え切らなさの具現。
夭逝の詩人に現代を見て欲しい。ブランコは今も揺れていますか?ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。
Posted by ブクログ
初めて詩集というのを読みました。
この詩集は「生きる」「恋する」「悲しむ」がテーマのアンソロジーだそうです。
有名な「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」が子供の頃、何となく聞いて???な具合でしたが、一部始終を通して読むと、それが「空中ブランコ」と認識できる、イメージを集中すれば非常に理解はしやすいと感じました。
夕陽を「蜜柑」と例えるなど、現代人にはない想像力に触れて、次は全詩集を読みたくなりました。
中原中也という人物は、自然をとても愛した人なんだと感じました。
空や雪に憧れて、酒と煙草と立腹を愛し、可愛らしい色気が全体的に出ています。
フランス語のところは注訳が欲しかったかもしれません。
Posted by ブクログ
最近海外文学の比率高めで日本が恋しくなっていた。110円コーナー覗いてたら、そういえばこれ読んでなかったなと。
生きる、恋する、死ぬの3テーマに分けられた詩集。
有名なのは、
汚れつちまつた悲しみに…
これ昔日本語で遊ぼうでよく聞いていたな。当時はわからなかったけど、大人になってから読むとよく沁みてきた。
サーカス
かの有名な、ゆあーんゆよーんゆやゆよん。凡人には思いつかない言葉。
あとは、生い立ちの歌という詩が気になった。年代ごとに、私の上に降る雪は綿、霙、雹、吹雪、と変わっていってるのだけど、その年齢に何があったのか気になる。こんなにまじめに巻末の年表読んだの初めてかも笑
そして解説の最後の1ページで、汚れつちまつた悲しみに…の捉え方が、そういうことではなかったと覆される。爽快さすら感じる衝撃!
Posted by ブクログ
都会の夏の夜
いのちの声
夏と悲運
詩人は辛い
酒場にて
読むたびにドキッとする。
最後の数行で核心をつかれるような感覚。
思わずハッとさせられる。
Posted by ブクログ
10月22日は中也忌。(1907年~1937年)『文豪今日は何の日?』より。
受験問題で中原中也の「一つのメルヘン」が出て印象深かったので覚えている。
確か、こんな感じだった。
「一つのメルヘン」の全文が載せられており、
問1
"それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました"
の"それ"とは何を指していますか?(四択だったように記憶している)
問2
"蝶"は何のメタファーとして用いられていると思いますか?
貴女の考えを文章で答えなさい。
「げ。問2わからんっ!」当時の私はそう思ったけれど、入学出来たので何とかなったんだろう。
今ならもう少しマシな答えを導きだせるんだろうか。
そんなわけで、中也と言えばすっかり受験の思い出だ。
「汚れつちまつた悲しみに……」
七五調の詩だ。
第一段落と第四段落が"悲しみ「に」"となっているのに対して、
第二第三段落は"悲しみ「は」"となっていて、
視点が移動している。
けれどよくよく読み返すと、悲しみとの距離感は、単純に「に」「は」の使い分け同様、第一と第四、第二と第三がイコールなのではないように思えてきた。
第一→第二→第三→第四と、次第に悲しみが揺るぎなく大きな存在感をもって中也の胸中に襲いかかり、
明確になるにつれ"何も望みもなければ願うこともなく"、"倦怠感の中で死を夢みる"ものとなる………ように思えた。
そして"痛々しくも怖じ気づき"、"なす術もなく日は暮れてゆく……"。
この悲しみは今日限りの事ではなくて、"……"がついていることにより"これからも続いていくこと"のように感じる。
"汚れっちまった悲しみ"とは何だろう。
恋か?人生か?
本書は「第一章 生きる」「第二章 恋する」「第三章 悲しむ」と監修されているが、
当該作品は「序詩」となっていて、私には見当をつけられない。
ただその悲しみが何にせよ、純粋であった悲しみが、今は汚れてしまったということ。
でも何となく、中也のパーソナルな悲しみであることを感じることができる。
失恋でもしたんだろうか…。
"悲しみ"とは文字通り悲しいことであるのに、その悲しみが"汚れてしまった"とある。
この時の中也には受け止めきれない程の悲しみがあったのかしら。。。
"悲しみ"は時が流れることでオブラートにくるまれて、痛みも色味も淡くなり、"思い出"というものに形が変わることもある。
中也は、"汚れてしまった"という言葉をつけることで、その"悲しみ"はいつまでも痛くダークカラーのままで、"思い出"というフィルターがかかることもなく抱えていかなければならない程の"悲しみ"だと表現したかったのではないか?
「修羅街輓歌 関口隆克に」
"修羅"の文言や"○○輓歌"との表現に、宮沢賢治?と思って検索すると、やはり影響を受けているらしい。
(ただ元々はランボーなどのフランスの詩人に影響を受けていたとのこと)
☆関口隆克・・・のちに開成高校の校長となる人物で、中也の友人
☆序歌、Ⅱ酔生、Ⅲ独語、ⅢⅠ、の4つの段落から成る。
☆"ーー"に続く文章は、"内なる声"のような役割か?
☆"酔生"・・・「酔生夢死」という言葉がある。お酒に酔ったようにぼんやりと生きてきて、夢をみているかのような心地で死んでいくという意味だが、"Ⅱ酔生"は、ここからとっているのか?
☆"ーーパラドクサルな人生よ"・・・paradoxaleはフランス語で"逆説的"という意味とのこと。
☆雨蕭々と・・・雨が物悲しく降っている様
"序歌"では、
幼い頃の美しい思い出と、失ってしまった憐れみの感情と豊かな心に返ってきて欲しいと望む気持ちをうたっている。
詩人として生きてゆくには今よりも厳しい世の中であっただろうし、生きてゆくには辛い恋や人の裏切りも経験しただろう。
そんな世の中は中也にとっては修羅の道であっただろうし、そういった物事に晒されるうちに、人を深く思いやったり、詩を創作するに値する豊かな心を失い掛けている今を嘆いているのかしら。
"去れ!"と何度も"忌まわしい思い出"を振り払おうと踠いている。
"Ⅱ酔生"では、
これ迄の自分の生き方を振り返り、青春も過ぎ、傷ついた自分を、"寒い明け方の鶏鳴"と重ねている。
それでも"ー無邪気な戦士"と、立ち向かってきた自分の心を励ましているかのような表現だ。
"それにしても私は憎む、体外意識だけに生きる人々を。
ーパラドクサルな人生よ"
とは、
"自分達が属している組織やグループだけを尊重して生きている人々を憎む、
本来とは逆の考えである人生よ"という意味かしら?
"Ⅲ独語"では、
何を大切にしながら、どのように生きてゆくべきかを述べている。
"ⅢⅠ"
"酒ぐ"は"すすぐ"と読んで、洗い清める意味だと思うのだけど、「修羅街輓歌」では"そそぐ"とルビが振られているのは何故なんだろう。
単に古語?
それとも物悲しく降る雨に、お酒の意味合いも含むのかな。
Ⅰ~Ⅲを踏まえて、生きる悲しみや切なさを深く歌っている。
「一つのメルヘン」
学生の時に分からなかった良さを感じた。
キラキラと射す陽を"硅石か何かのようで"と表現しているのは賢治の影響かな。
渇いた河原に水が流れ始めるという、一頭の蝶が起こす奇跡。
中也の内面を描いているのかもしれない。
硅石か何かの粉末がさらさらと…まるで砂時計のようだ。
時は、過去から現在、現在から未来へと流動的なものだ。
その何処かの地点で蝶(良い兆し)が現れて、これ迄渇ききっていた中也の内面に水を流し始めたという意味かな。
蝶とは、長谷川泰子との出会いか、詩壇においての何かか、創作するにあたり言葉をキャッチする術を持ったのか?
「言葉なき歌」
ここで言う"あれ"や、続く
「月夜の浜辺」
で言う"ボタン"は、
詩となりうる言葉の欠片のことかしら?
"あれ"を無理に追い求めたりせずに自然と傍にやってくるのを待ったり、
"役立てようと"思わずに、けれども捨てずに"袂に入れ"る。
中也はそうやって言葉を紡いでいったのかな。
「時こそ今は……」
「時こそ今は花は香炉に打薫じ ボードレール」と添えられているように、フランスの詩人の作品から着想を得たよう。
"今まさに花は香炉にほんのり良い香りがして、何気無い気配です"かな?
その原文は知らないけれど、ボードレールの詩を泰子への愛の歌に落とし込んだということか。
泰子とは、女優の長谷川泰子。
中也と泰子、批評家の小林秀雄との三角関係は有名なのだとか。
☆籬・・・垣根
花を香炉に燻らせて、愛する泰子に対して"しずかに一緒に、おりましょう"と求愛する歌だけれど、幸せでうっとりという感じに思えないのは何故だろう。
単に私が、三角関係だったとの情報を得てしまったからか?
それとも"遠くの空を、飛ぶ鳥も いたいけな情け、みちてます。"に、いじらしくすがるようなニュアンスを感じてしまったからか?
"いかに泰子、いまこそは"と繰り返される、"いかに"と"いまこそ"に、中也の留めておきたい気持ちを感じるような気がするからか?
最終行は"花は香炉に打薫じ、"と読点で終わる。
そこから、この時間が終わらず続いていくような印象を受けた。
香炉からも、花の良い香りが漂い続けているような。
選んだ文庫が良くなかったかもしれない。
私のような中也初心者は、本書のような編纂されたものより、きちんと詩集を買うべきだった。
本書は序詩として「汚れつちまつた悲しみに……」があり、その後は「生きる」「恋する」「悲しむ」の3つの章に編纂されている。
当初はこの方が何を歌った詩なのか分かりやすいと思ったのだが、
いざ読み始めてみれば、その詩の前後作品、人生のどの地点か、季節はいつか等々が読み取れず消化不良感が否めない。
そして、宮沢賢治の「春と修羅」を読んだ時に感じた胸を貫かれる感じが無かった。
三好達治の「甃のうへ」を読んだ時に感じた心が震えるような思いも無かった。
表現の驚きと共感では尾形亀之助だしなぁ。
いや、「一つのメルヘン」は素敵で安らぎを感じたし、「汚れちまった悲しみに……」「朝の歌」「サーカス」他、幾つも好きな詩や知っていた詩はあったのだけれど。
単に私がときめきを失っているのか(笑)、中也の創作活動を終えるまでの年齢の若さかなぁ。。。
Posted by ブクログ
完全にオタク趣味から手を出した初詩集。
表題作や、サーカスという詩のフレーズは
馴染みがあったので
「おっこれだったのか」という感じ。
若くして亡くなった方の割にそんなに捻くれた印象はなかった。
気に入ったのは「夏の日の歌」「サーカス」かな。
Posted by ブクログ
文ストが好きなので詩集ならとジャケ買い。
言葉のリズムや響きがよかった。
大げさかもしれないが、日本語は美しいんだなと感じた。
YouTubeで朗読もあるので聞いたりもした。
まだまだ意味がわからないものの方が多いが、何度も読んでいきたい。
Posted by ブクログ
詩というものを一冊丸々読むのは初めての体験だった。
私は小説を読むとき、
その映像を頭で自分なりに描きながら読むことが多い。
そうでなければ、読み進めることが難しかったりする。
詩集というのはそういうことが難しいだろうと、
敬遠してきた。
この一冊を手に取ったのは、この表紙のためだ。
「文豪ストレイドックス」
とりあえず買ってみよう、と思って手に取った一冊。
読んでみて、ビックリだった。
この一つ一つの情景が映像になって頭の中に流れていった。
そして、とにかく次の詩、次の詩とページをめくる手が止まらなかった。
この後、どういう詩が書かれているのか気になって…
詩集を手に取ってみて、
いろんな感情が一冊に詰まっていて、
特に最後のページに書かれている、
中原中也の生涯を読んでから読むと、より一層感情移入できるんじゃないかと感じた。
ほかの文豪などの詩集も手に取ってみたいと感じた一冊だった。