あらすじ
戦後の日本にやってきた“自由”という価値観は、人々の暮らしや風俗、男女の恋愛観までも一転させてしまう。それは、しっかり者の妻とぐうたら亭主の夫婦にもこれまでの仲を揺るがすような大喧嘩をもたらす……。戦後の東京を舞台にある夫婦のドタバタ劇を軽妙な語り口で描きながら、痛烈な社会風刺も込めた獅子文六のあらゆる魅力が凝縮した代表作が遂に復刊!
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Posted by ブクログ
昔の言葉遣いが、何とも風情があり、言い得て妙で、感心しきり。
なるほどこんな表現があるのか!目の前に情景が浮かぶなぁ!といった感じ。
話の展開ももちろん面白い。
とんでもハップン=とんでもない
ネバーすき=大っ嫌い
なんともまぁ。
Posted by ブクログ
読みながらしみじみ「獅子文六好きだなぁ」って思った。
なんでもっと有名じゃないんだろう。
教科書に漱石や太宰を載せるのもいいけど、獅子文六、載せませんか?
内容について。
序盤の五百助がぐうたらすぎて、また同性ということもあって、ずっと駒子贔屓で読んだ。だからちょっと結末にんん?って気持ちもなくはないんだけど、会話にも地の文にも楽しませてもらったので大満足。
Posted by ブクログ
数年前に御茶の水で湯島聖堂の崖を上から眺めて何かの縁を感じたのは、昔読んだこの「自由学校」の舞台だったからなんだ。66年前のやっと戦争から解放された日本が、まるで大病の快癒期のように前向きで約束された明るい未来に向かって誰もが進んで行く、そんな時代背景の中で、ぐうたら亭主としっかり女房が織りなすドタバタ劇。当時、同時に2社が映画化したほど売れた小説なんだって。映画も観てみたい!
Posted by ブクログ
戦後ノンキ派な私は、時代を超えて共感すること多し!
ある夫婦それぞれの目線を通して、戦後の価値観の大きな変化を描いています。特に男女間および世代間のギャップの深さを描いていますが、結局のところは、、、というお話し。しかし360度まわって同じ場所に還るわけでなく、螺旋のように円を描きつつ、上下にすこしズレている。そのズレこそが新たな価値観なのかもしれません。まったく別天地へ座標がうつるのでもなく、まったく同じことを繰り返すでもなく。
やっぱり獅子文六の文体の、上品で軽やかなのがすばらしい。いかにも「純文学」といったような重厚さを感じず、文章の飾り立てがほどよく、詩的で読み応えのある表現もちょうどいい塩梅です。いちいち足を止めて眺めるほどの絶景ばかりだと、感動は多いけど疲れ果ててしまう。散歩のような心地よいリズムで読み進められて、内容も流れるように伝わってくるけれど、よくよく読み返してみると上手い表現がそこかしこにある、そんな味わいです。もちろん当時の世相や流行を知らないと意味が分からない単語・表現もありますが、それも軽いつまづき程度のもので、ストーリーを読み進める歩みに影響はありません。
主人公である夫の超然としたノンキさが、彼をなんとも憎みきれないキャラクターにしています(でも身近にいたら憎めるだろうな、、、いわんや夫婦をや)。しかしノンキな人間も、そのボー然とした面の奥で密かに思い悩んだり、絶望したり、幸せをかみしめたり、感じてるものは感じてるわけで、けして感受性が低いというわけではないということがこの作品で証明されたような気分になり、主人公同様ノンキな私に獅子文六先生が加勢してくれたようで嬉しい気持ちになりました。水木しげるの漫画に出てくるような、図体のでかいヌボーっとしたメガネのサラリーマンを想像しつつ読むと、トボけた味がより深く楽しめると思います。
夫に蒸発されひとり残った妻が、さまざまな男と出会うパートは、言ってみれば俗っぽい昼ドラのような、男女の生々しい関係が描かれます(と言っても現代の価値観から見るとかわいいものではありますが)。ムンムンと匂い立つような下品さを文章から感じないのは、獅子文六の丁寧な描写と、上質な表現力のたまものじゃないかと思いました。堅苦しさはないけれど、かといって安っぽさや露悪さもまったくないです。人の嫌な部分が垣間見える場面においても、そこまで露悪的に感じません。
中盤から物語が思いもよらぬ方向へ動き出し、物語への没入具合も一層深いものになりました。なるほど、妻は恋愛に自由を見出した一方で夫は自由を「コレ」に発見したか、と。ノンキさの権化のような主人公の、その朴訥さの奥にあるイキイキとした喜びが伝わるような場面です。
しっかりエンタメに振って、ドラマチックにストーリーを盛り上げてくれるので読んでいて楽しい。獅子文六は「大衆的すぎる」「純文学的ではない」という批判を受けていたことがあり、それを本人も気にしていたらしいけれど、彼の作品を令和になっても読めるありがたさはこのポップな作風のたまものだと思います。
脇役も本当にいいキャラクターで、叔父夫妻や、ユリーと隆文の存在もいい役割をしています。叔父夫妻、主人公夫妻、ユリーと隆文という三世代の男女のあり方の違いも、この話の要点のひとつでしょう。
皮肉が効いたオチも拍手を送りたくなる見事な着地で、非常に楽しい読書となりました。
社会と個人のあいだと、夫婦のあいだは似ている。そこに100%の満足はありえない。すなわち100%の自由はない、というメッセージが込められています。
【余談】
あるキャラクターに「戦前的虚栄と非科学精神の権化」という表現をあてていて笑ってしまいました。字面の圧力!(笑)
Posted by ブクログ
開巻早々、暢気者にして怠け者の夫・五百助に堪忍袋の緒が切れた妻・駒子さんは亭主を叩き出す。
昭和25年、敗戦により戦前の価値観は暴落し、台頭する自由の風潮の下、駒子さんはあんな役立たずの夫に縛られることはないんじゃないかと、夫なき身辺に現れる男性に改めて目を向けてみたり、追い出された五百助は日頃の妻の一々を煩く思っていたところ、これ幸いと独り身の自由を謳歌して放浪してみたりする。二人それぞれに我が身の自由に思いを巡らせ、彷徨する訳なのだが…。
皮肉と親しみを絶妙な塩梅で効かせて登場人物を描く筆致は流石という感じ。
右往左往の結果さてどうなったかというと、何かを学んだようで人の心なんてままならないんだなあ、という付録が効いている。
Posted by ブクログ
ウイットに富んでいて軽い文章は読みやすいけど、夫婦間のやり取りはくすぐってはくれるが、もう新しいとは言えないかも。この夫婦喧嘩は現代ならモラルハラスメント問題に発展だ。
自由になりたいとて仕事を辞めてしまったぐうたら夫を、あの当時(戦後5年1950年ころ)妻が夫に「出ていけ!」っていうのが新しかったので。
むしろあの頃の風景や風俗情景を知るにはよい。わたしは小学3,4年ころだったから社会や周りのことはわかっていない。「戦後ってこんなふうだったのね」という感じで読んだが、それが興味深くなおかつおもしろかった。