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Posted by ブクログ
(1)読んだ本
システムエンジニアとして知恵と胆力で危険をくぐり抜け、江戸時代の各種インフラ構築事業に邁進していく「江戸を造った男」を読んだ。
こんな立派な人が江戸の始めにいたことを知らなかった。新井白石との交流や、堀田正俊の刃傷事件のエピソードを絡ませながら、その活躍は見事である。
そして、いつか機会を見つけてこの偉人の足跡を辿りたい。
(2)感想
感動したポイントをビジネス、人としてのありかた、リーダ、仕事に対する心構え、家族愛に分類し、主人公のセリフをもとに、感想を述べたい。それらの一言一言に重みがある。
①ビジネスの基本
「あきないとは人のしないことをし人の望むものを望む形で供すること、目先の理にこだわらず大局観を持ち 互いの利を考える、今自分が何をすべきかを常に考える」
まさに特許やビジネス特許のことであり、Windowsの発明者ビル・ゲイツやアイフォンの発明のスティーブ・ジョブズが実行したことそのものである。
②人としてのあり方
「自分の人生は自分で決めよ、 責を追うのも自分だ、人はこの世にその恩を返すこと。自分より優れているものに対して敬意を払え」
古今東西の人としてのあり方である。簡単なようで難しい。
③リーダ、仕事に対する心構え
「最後の最後まで諦めるな、心地よく働ける 仕組みが大事、日々 小目標を設定し それを達成させよ」
部下掌握の基本であるが、なかなか実行できない。
だから、気持ちを掴んで仕事をさせよとか、ワンページでまとめよとか、PDCAが今でも不文律である。
④家族愛
「どんな悲しみでも前を向いて進む、丈夫な体に産んでくれた両親には大感謝」
苦しかったはずである。愛息を2人もなくした悲しみは想像ができない。また、健康な身体は、基本中の基本で、父母のお陰であり、自分も同感である。
(3)自分が学びたい点
①今を精一杯生きる
②細かいことをおろそかにしない
③自分の人生は自分で決める
以上
Posted by ブクログ
河村瑞賢と言えば、高校生の時、日本史の問題集で東廻航路・西廻航路とセットでおぼえさせられたくらいで、ほとんど知らない。
そしていつも私は角倉了以(高瀬川や天竜川などの開削をした商人)と河村瑞賢がごっちゃになるのだった。
河村瑞賢もまた商人で、幼いころ紀州から江戸の口入屋に奉公に出された。
主人が亡くなって店を辞めてから、彼は自分の才覚だけで生きていかねばならなくなった。
欲しいものを、欲しい人が、欲しい形で提供する。
今の世の中では当たり前のことだが、商売というものを論理的に考えることが今ほど当り前ではなかった当時、彼の目の付け所は当たるのだった。
そうして霊厳島で材木商として店を構えるようになったころ、明暦の大火で店は全焼。
なけなしの金を集めて瑞賢は考える。
江戸の町に今必要なものは何か。
雪に覆われ、道すらも埋もれてしまった木曾の山の奥に、瑞賢は木材を買いに行く。
そしてそれで得た金で米を買って、焼け出された人たちに振る舞った。
もちろん個人の財産で出来る事などたかが知れている。
しかしその行いを聞いた人たちが、幕府に納品した米の残りを瑞賢のところへ届けるようになる。
幕府に渡したところで、武士にしか行き渡らないことを皆知っていたから。
当時の幕府の中枢は、保科正之。
秀忠の隠し子で苦労しただけあって民政に長けた人である。
災害に強い街づくりの前に、野ざらしになっている遺骸を始末しないと悪疾が蔓延し、生き残った者たちの命まで奪われます、と直訴した瑞賢にその事業を一任し、そしてここから瑞賢と幕府のつながりが始まるのである。
増え続ける江戸の庶民に食料がいきわたるように、産地から江戸への航路を造り、推理が悪いために米が作れない越後に用水路を造り、川の氾濫に悩まされる大阪で治水工事をし、新潟の銀山の採掘に尽力する。
瑞賢がやるのは、道筋を造ることだ。
航路を造るということは、安全な港を見極め、積み荷の検査所や、陸を示す火をともす場所(灯台のようなもの)を造ったり、悪天候の時に船を休ませる溜りを造ったり…まあ、いろいろだ。
潮の流れを知り、季節ごとの雨風を知り、難所の航海に詳しい人たちを知り…まあ、いろいろ考えなければならない。
出来上がった道筋からは、瑞賢は身を引く。
必要な人を必要なところに配置できるのも、瑞賢の才の一つだ。
“人に「働け」と命じても、人は働かない。心地よく働く仕組みや状況を作ってやれば、人は自ずと働く。”
江戸を造った男、河村瑞賢は、江戸城を造ったわけでも、江戸の町を造ったわけでもない。
江戸幕府が民を安んじるための、つまり経世済民の基礎をつくったのだ。
公共工事をして終わり、ではなく、その先を見据えた仕事。
今目の前にある利ではなく、その先に大きな利となることを、自分だけの為ではなく、社会のためにできた男。
それが、河村瑞賢。
ということを、あっという間に500ページを読み終えてしまうくらいの勢いで読ませてくれた。
とても読みやすくて、伝記のような内容なのに、ずっと心がわくわくしていた。
よし、これでもう河村瑞賢と角倉了以を間違えることはないだろう。
たぶん。
しばらくは。
Posted by ブクログ
以下、本文より引用。
「わいなんか、取るに足らない男です。」
「人なんてものは皆、取るに足らないもんさ。
だがな、取るに足らない男ほど何事にも真摯に取り組む。
そして成果を出す。その見本があんたさ」
七兵衛と宗甫が声を上げて笑った。
「いかにも、わいの人生はその繰り返しでした。
人よりも劣るから人よりも懸命に働く。それだけです。」
「それが、あんたって男を築いたんだね」
宗甫は、「作った」ではなく「築いた」という言葉を使った。
その理由が、七兵衛にもよく分かる。
「宗甫さんも一芸を極めに極めた。
それで、どれだけの人が喜んだか分かりません」
「そう言ってくれると、人生の終わりを前にして、
晴れがましい気分になるってもんだ」
高らかに笑おうとして、宗甫は顔をしかめた。
痛みに耐えかねているのだ。
「七兵衛さんよ、これからの時代、
皆、あんたに倣って生きていくことになる」
「何てことをー」
七兵衛はこれまで、そんなことを思ったことなどない。
ただ、立ちはだかる問題を一つひとつ解決してきただけである。
Posted by ブクログ
河村瑞賢。まさに江戸時代の日本を造り上げた偉人。東回り航路、西回り航路などの海運の基礎を構築、さらに治水工事や銀山採掘などにも貢献し、初期の江戸時代の経済の根幹を支えたと言っても過言ではない。
本当にこんなすごい人がいたという事に驚きました。
商人ではあるが、目先の小利にはこだわらず、万民のために働き、巨万の富を築きあげた。為政者ではなく、商人であるが、巨万の富でさらに新たな事業をてがけ、結果として人々を潤していった。
この生き方が素晴らしい。
Posted by ブクログ
2019.10.01
商人とはこのようなものであったかと思う。尊敬される人とはこのようであるのか!とも思わされた。
しかし、人生の手本になるような一冊であった。
Posted by ブクログ
河村瑞賢という名前は歴史の教科書で
東廻り、西廻りの航路を考案した人物として載っていた記憶があったけど、本作を読んですごい人だなとしきりに感心。
明暦の大火で、建物には木材が必要だと気付いて、木材を
調達して財をなすものの、そのお金でお米を買って、明暦の大火で被災した人々に、お粥をふるまった話もびっくりしたが、なによりも、流れてきたナスやキュウリで、漬物を作って商売したりとアイデアもさることながら、ある程度商売が軌道に乗ったら、ほかの人にさっさとゆずりわたすあたりも
すごい。それで本来材木商でありながら、新田開発、銀山開発、航路開発といったプロジェクトに幕府の老中、大老に次々任命される。これ読んでみるといかに今の政治家が自分たちのためにしか政治を行っていないのがよくわかる。
Posted by ブクログ
河村瑞賢のおはなし。経世済民の具体例。江戸という100万都市を可能にする流通システムを作り上げた男の仕事人生。
振袖火事で燃え尽きた江戸を復興していくところから始まるところが良かったんだろう。建て増するより、更地になったところから都市計画を作ったほうが良いものができる。江戸の復興を担った保科正之とか松平信綱とかの都市計画を支えたのはこういう実力をつけてきた商人たちだったんだよなぁ。
経済規模の拡大ができる人ってのがポイント。歴史に名を残す商人になりたかったら、公共事業に私財を投入して、自分たちの市場を拡大して投資分を回収するのだ。現代の投資家であるビルゲイツとか孫正義もそういうことをしているよね。投資家の視点を江戸の商人で持っていた人がいるっていうことよね。
新井白石とか保科正之とかビックネームが出てくるから楽しい。
やっぱり日本は水が最大の敵だなぁ。水との闘い。それに立ち向かってきたものが世の中を革新してきた。そんな感じがある。
Posted by ブクログ
材木商河村屋七兵衛は、大都市江戸のインフラとしての開運航路を開発し、淀川の治水工事、銀山開発などに一生を捧げる。知恵と根性で難局を乗り越えた男の物語。
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立て続けに似たような題名の本を読んだ。
「家康、江戸を建てる」と本作「江戸を造った男」
「家康~」は主人公がたくさん、本作は河村瑞賢ただ一人。教科書にも名前が出ていたような気がする。
ただ本作は子供向け偉人伝みたいな造りで、成功、成功、また成功、ちょっぴり挫折みたいな。
気分爽快だけど、ちょっと悲哀に欠ける?
う~ん。滅びゆく大名豪族を描かせたら天下一品なんだけど。
Posted by ブクログ
めっちゃ面白い。
タイトルに引っ張られる感はありますが、江戸をと言うより、国を造ったと言っても過言じゃないかも。
ものすごく勉強になったのは、人間は安きに流れやすいのに、何とかしてやろうと思い詰めるほど考えて、考えて、考えて、やり抜くのは大切なこと。
今一度自分のやってることを振り返らねばと思った次第。
Posted by ブクログ
時代物は得意ではないのだが、これは非常に興味深く面白く読むことができた。かなり大作で長編だったが、引き込まれて読み終わった。
史実をベースにしたフィクションなのだろうけれど、何かを成し遂げる大変さと信念の大切さ見たなものを感じさせられた。今の政治家に欠けているものかも知れない。
いわゆるプロジェクト、プロジェクトマネジメントの教科書にもなり得るのではないだろうか。
まさに、経世済民のリアルな姿がここにある。
Posted by ブクログ
日本人は、武士階級にとどまらず町民まで
読み書きそろばんを、広く寺子屋で習得できた。
町民文化の豊かさは、その書物の多さにも知ることができる。
明治以降、江戸以前を否定し、西欧文化を推奨してきたために
知られずにいた、数々の物語が、古文書を読み解く研究者の
努力の賜物で、明治以前の日本人の魂を聞けるような
物語が読めることになった。
この本の主人公は、河村瑞賢。
河村七兵衛という商人。と入っても元々は地方の田舎に住む
貧乏な下級武士の子、町人になった叔父に預けられ
江戸に出る。叔父が亡くなり、一度は離散し、大阪へと
出るが、その途中ある老武士に出会い、
骨相を見ると
「己れ一個の欲心を捨て、万民に尽くす気持ちを持てば
天地の雲気が全て味方し、六十六国の大名はもとより
将軍でさえ、感謝する仕事ができる」と言われる。
その後、物流、灌漑用水、治水、銀山など
日本各地に行っては、藩はもちろん幕府の経済的窮地も
救い、人民のためになる大仕事をやってのけた。
年上だろうと年下であろうと、自分の知らないことを
知恵を技を持ってる人はすべて『師』と思うという
奢ることなく、どうしたら良くなるか、
どうしたら多くの人を救えるのかを考え続けた80年。
読み応え十分な一冊でしたよ。
Posted by ブクログ
高田屋嘉兵衛は海商だから分かるけど、この時代に国(藩)をまたいで終生活躍する政商なる者がいたのには驚いた。我が郷土にも清原太兵衛とか周藤弥兵衛とかの公人、私人が治水に挑む土木工事で功名を得るが、河村屋七兵衛のスケールは凄まじい。城米廻漕、治水、灌漑、鉱山採掘などなど、ことごとく成果を収める。難事業の数々だが、工事はもとより、複雑な利害関係を調整するその手腕がいかに優れていたかを教える。幕命によるいずれの公共事業も、齢50を超えて携わり、82歳で逝く間際まで仕事を請け続けたというから、高齢化社会で憂いに沈んではいられない。
Posted by ブクログ
今回の主人公は武士ではなく、商人の河村七兵衛という人物。まったく知らなかったけど、江戸を造った=江戸という時代を支えるインフラシステムを造った、こんな人物がいたとは。ラストも大円団で、読後のスッキリ感高し。
Posted by ブクログ
江戸初期の商人の河村瑞賢の物語。
直前に門井慶喜の「家康、江戸を建てる」を読んだところでしたので、時代や登場人物やエピソードが重なるかと思いましたが、タイトルは似ているものの、時代は4代将軍家綱から5代将軍綱吉の時代で、河村瑞賢の一代記でした。前半は小説らしく、七兵衛(瑞賢)の過去と明暦大火後の現在を交互にラップさせる構成でよかったです。
後半は幕府からの難題を、これまでの経験を生かして解決していく問題解決プロジェクトリーダー向けビジネス書であり、謙虚に崇高に生きる生き方指南書でした。
そういう点で、七兵衛の功績は時系列的にもよく理解できて、歴史好きの自分としては、名前とメイン功績くらいしか知らなかった河村瑞賢の勉強にはなりましたが、小説としては物語に引き込まれるほど魅力的な登場人物や行動や思索がなかったのは残念でした。
ともかく、タイトルは誤解を受けるような気がします。
Posted by ブクログ
新聞の紹介で知った本。
江戸を造ったという事で、家康の時代に江戸の基礎を築いたのかな?と思って読み始めたら、全然違っていた。
川村屋七兵衛の小さい頃から、順に書かれていたらもっとわかりやすかったと思うんですが、時々急に年代が飛ぶので、その辺が分かりずらかったのが残念でした。
しかし、12歳で家を出されて何の元手も無く、川から流れてきたナス等を漬物にして売るというアイデアにはびっくり。
そして、それが他の人にマネされてダメになると、又違った商売を思いつく発想の素晴らしさに感嘆しました。
その発想力と人を使う巧みさで、商いを大きくし、立派な材木屋に。
しかし、普通の商売人で終わらず、大人口に膨れ上がって、食物の足りなくなった江戸に米を潤滑に運ぶ、海路を開拓。
それも、東と西の両方。
それが終われば、用水路開拓、治水工事、銅山の採掘と、70歳を過ぎてもなお、人の為に働き続ける。
最後には、将軍にお目見えをはたし、川村瑞賢という名字帯刀を許された武士になる。
自分には無い能力だけれど、少しでも自分を向上させて近づきたいと思う、素晴らしい人物でした。