あらすじ
日本のコンピュータ産業は、米国より10年遅れてスタートした。そこから、どう巻き返して肩を並べる高性能を実現し、民生品では電子立国となりえたのか? 『月刊アスキー』1993年5月号~1995年6月号、および2002年7月号に掲載され好評をはくした、当事者26人へのインタビュー。【電子版特別収録として、70年ぶりに動いた「微分解析機」再生プロジェクトインタビューを収録】
・日本最初のコンピュータ……岡崎文次
・日本独自のコンピュータ素子……後藤英一
・コンピュータの基礎理論……榛澤正男
・コンピュータと日本の未来……喜安善市
・トランジスタの重要性……和田弘
・国産コンピュータの頂点と池田敏雄……山本卓眞
・機械式計算機のルーツ……内山昭
・世界を制覇したヘンミ計算尺……大倉健司
・日本外務省の超難解暗号機……長田順行
・タイガー計算器……村山武義
・弾道計算用機械式アナログ計算機……更田正彦
・コンピュータ研究と阪大計算機……牧之内三郎
・最大規模の国家プロジェクト……村田健郎
・巨大コンピュータに挑戦した三田繁……八木基
・二進法と塩川新助……岸本行雄
・数値計算……宇野利雄
・プログラミング言語とコンピュータ教育……森口繁一
・国産オペレーティングシステム……高橋延匡
・オンラインシステム……南澤宣郎
・電子交換機……秋山稔
・電子立国と若き官僚……平松守彦
・IBM側の証人……安藤馨
・リレー式計算機とカシオミニ……樫尾幸雄
・トランジスタ式から薄型電卓……浅田篤
・世界初のマイクロプロセッサ……嶋正利
・LSIと液晶……佐々木正
・特別収録 微分解析機再生プロジェクトをめぐって 和田英一氏に聞く
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「ちょっと詳しい」と思っていた自分が恥ずかしい。水銀やブラウン管をメモリーに使ったのははじめて知りました。もちろん、パラメトロンも。
「思っていたより進んでた」と「遅れていた」が共存した歴史でした。
P208 東大TACの6000本の真空管は滅多に切れなかった。
P263 「コーディング用紙に書かれたプログラム」よく見たらマシン語だった。
P289 69年から75年にNHKでコンピューター講座があったというのはおどろき。
P311 小野田セメントが日本IBMに納入を断られた(たぶん1953年くらい)
P326 東京五輪で、オンラインリアルタイムシステム(24時間)を日本IBMが構築。わたしは、オンラインバッチかと思ってました。当時を考えると発想自体がすごい。
Posted by ブクログ
電子立国日本の自叙伝を髣髴とさせる、温故知新の名にふさわしい良書。コンピュータに加え計算機のルーツにもしっかり触れており、各種アナログコンピュータの話題など大変興味深い。
Posted by ブクログ
日本のコンピュータ産業を育て上げた立役者26人のインタビュー集。読後、非常に印象的だったのは、彼らの「天才」や「閃き」などではなく、むしろ「志」や「愚直」といった側面だ。現代のエレクトロニクス産業にあって、こうした「志」や「愚直」がすでに通用しなくなっているのか。あるいは、日本人が「志」や「愚直」という競争力の源泉を失ってしまったのか。サムスンあたりにやられっぱなしになっているエレクトロニクス業界の地盤沈下を目の当たりして、改めて考えさせられる一冊。それにしても、シャープの電卓開発をリードした佐々木正氏の一言が凄い。「心臓も機械で動かせる時代ですよ。材料が体に合えば、電卓だって体内に入るでしょう。人間の細胞で計算機を作れればね」。もうすぐ100歳にならんとするおじいさんが50年前にはそう考えていたというのである。こんな人材が今の日本にもいないわけはない。いるにはいるのだが、会社や研究所では陽の目を見ない。そんなシステムにこそ問題があるのかもしれないと思う。