【感想・ネタバレ】つながりの作法 同じでもなく 違うでもなくのレビュー

あらすじ

“つながらないさみしさ”“つながりすぎる苦しみ”――自閉症と脳性マヒというそれぞれの障害によって外界との「つながり」に困難を抱えて生きてきた二人の障害当事者が、人と人とが「互いの違いを認めた上でなお、つながりうるか」という、現代社会の最も根源的課題に挑む画期的な書。

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Posted by ブクログ

とても面白かった。自己と向き合う、をビジネス書に書いてないアプローチで理解したい人にも良さそう。(でも抽象では同じこと言ってる)。

弱さは終わらない、と最後の章にあるように、一生付き合っていく自己との折り合いの付け方、がリアルでよい。

本質主義的にならない=決めつける、無理に答えを出すことを控える、は、深い。

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2024年09月01日

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アスペルガーの方と脳性麻痺の方による、それぞれの特性について当事者の立場で考察した交換書簡。特に自閉についてとてもよくわかった。

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2024年08月21日

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ネタバレ

「個々人の差異はそのままに、同時に差異を超えた共感と合意を立ちあげる」これがなかなか実現できないのが実際の社内であり、だからこそ諦めずに追求していく大きな価値がある課題。

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2023年12月11日

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 常識やコモンセンスといった液体で満たされたグラスの中に、マイノリティー成分とでも呼ぶべき固体(氷みたいなもの)が沈んでいる。
 恐らくはこの液体・固体両者を含めてのものが「私」。しかし色のついた液体は容易に固体を覆い隠す。またその状態こそが正解だと思い込まさせられる。結果、固体をもった私は「悪い私」となってしまう…。
 「対話」の場は、そんな「私」達が集い、氷を中央のボウルへと入れていく「場」である。このボウルは、安全安心という規則のもとで、出来るだけ常識・コモンセンスという液体が混ざり込まないように工夫されている。そこに集められた氷達は、ゆっくりとボウルの中でとけだし、緩やかに混ざりあう。
これは、従来の個々人の中では決してみられなかった現象だ。個人のコップ内にある限り、その固体は決して溶けない。異物として、マイノリティーとして残り続け、「悪い私」を産み出し続けてしまう。
 となると、この液体自体が強固な固体を作り出す作用を持っていると言える。固体の輪郭線を厚くするのは、固体そのものではなく、液体のほうの作用ということになる。

 そしてボウル内でとけだして混ざりあった新たな成分は、再び個人というコップに戻されていく。その結果生じたのは、もはや常識・コモンセンス色に染まったかつての「私」ではない。化学変化を起こした「変化し続ける私」なのだ。その中でマイノリティーとして沈められてきた固体成分が、私の一部として緩やかにとけだしていく。
そういうイメージだ。

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2023年08月17日

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私と似通った特性の綾屋紗月さんの当事者研究、パートナーの熊谷氏との共著。
自らの特性を深く追求し、研究し続けるさまに、頭が下がります。
多くの発達特性の人は、自らのセルフモニタリング能力が難しい中、綾屋紗月さんは、当事者研究に立ち向かっている生き様に、あこがれをいだきました。
私のこれからにも、
事者研究のスタートラインに立てたように思えました。文中のなかの、独特な表現に、「わたしも、あるよな〜で、おうちで、ぐったり」とうなずける部分あり。
熊谷氏のつながりの研究にも、頭が下がります。
当方、福祉の仕事についているため、利用者様に寄り添い、ただつかずはなれずてきにも、支援しようと学びの機会になりました

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2023年03月09日

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ネタバレ

アスペルガーと脳性まひを「つながりにくさとつながりすぎ」で表現するのが面白いなぁと思った。また、生きづらさを感じた人間が、自身の仲間を見つけることによって自分の存在を再認識して、そこのグループでまた疎外感を感じるようになるという流れがあること発見だった。最後の部分にある自閉症が1970年代から増えているっていうのは元々単純作業なら出来ていた人が、サービス業や複雑な作業をする割合が増えてきて、生活に支障が出る人が増えてきたのかなと思った。生きづらさを抱えているけど病名がついていない方にも読んでもらいたい。

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2022年04月09日

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とてもツラい時期にこの本に救われた。(お二方と同じ状況、境遇なわけではないけれど)わたしの孤独をわかってくれるひとがここにいたんだ、と。当時、暗くて出口のないトンネルを歩き続けているような日々だったけど、この本が理解者として優しく寄り添ってくれた。いまでも読み返すと涙が止まらない。

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2021年11月22日

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当事者研究、熊谷先生、「つながり」に関心があり手に取った。
ASD当事者と脳性麻痺当事者の、身体の中の「つながり」、他者・社会との「つながり」をベースに当事者研究について綴られていた。

自分の弱さをそのまま他者やコミュニティに共有し、少し心が軽くなる。また、それを経て自己の理解を更新し続ける。当事者研究のあり方をそう理解するならば、心や身体の状態に疾病や障害の名がついていなくても、苦しいと感じることがある人なら誰でもこの取り組みに共感し、実践していけるものだと思った。自分自身、何度も救われてきた友人との対話がこれに近いのではと感じた。
何度か引用されていた「その後の不自由」も読みたい。

印象に残った箇所。
・ネガティブな話は他者に話してはいけないものだという規範に生き… そうした規範こそが家族という密室の中で支配や暴力を生み出すカリクリとなっている…
・「横の笑い」は「あんたもやっぱりそうか」という仲間同士の共感
・身体や世界の不確実性に怯え続けている人は、不確実性を減らそうとして過剰に規範的になる場合も多い
・痛みの記憶は消えることはない。でも痛みが静かな悲しみに変わるということはあり得るのかもしれない

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2021年06月27日

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「当事者研究の可能性」という章の中に、「所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定が文化人類学者の大村敬一さんにならって「構成的体制」と呼ぶことにして紹介されているが、この「構成的体制」と、「個人の日常実践」との相互循環という考え方が読後に一番印象に残った。個人間の差異だけ見る、木だけ見るのでもなく、構成的体制という全体としての森だけを見るのでもなく、木のために森を見て、森のために木を見るというような印象を受けた。また、この構成的体制というのは、普段「当たり前」としていて意識にものぼらないもののことで、構成的体制を無意識に受け入れられているときは人は自由に思考できるという内容を読み、ある程度縛られている環境の方がより自由を感じやすいという自分の感覚にも合うと感じた。

また、それより前の章の「つながりすぎる身体の苦しみ」という章では、睡眠•覚醒サイクルの話が書かれていて、身体が日中に取り入れた情報は夜間に睡眠時という密室で処理•統合されるという話だった。

安定した「私」を手に入れるためには、「わたし」が得た情報と「わたし」が上手くつながる必要がある。上手くつながるためには、安心できる森の中の一本の木としての「わたし」が、日中に取り入れた情報を夜間健やかに眠ることで処理するというようなイメージが生まれた。

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2021年03月03日

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冒頭では、そもそもアスペルガーとは、自閉症とは何かを、筆者の日常とシナプスの結合という科学的な仕組みにより、非常にわかりやすく、イメージされやすく解説している。

その後、個と集団の両立の難しさや、同族感による安心感と煩わしさなど、私にも共感出来るような形で書いている。

個人的には、人と違うことは不安だけれど、かといって同調しないといけないのは面倒だという人間関係にはすごく納得がいった。
――――――
綾屋さんは、アスペルガー症候群と自分が気づくまで、自分と周りとの違い悩んだ。
やっと同じ症状の人がみつかり安心感を得られ、アスペルガー症候群への理解高まり、生活しやすくなるだろうと思ったら、そうでもなかった。

今度は集団の中でアスペルガー症候群らしくしなければならないこと、型にハメられる気がし、そもそも障害者と健常者の区別は何を持ってして決められたのかそもそもその基準を疑問に思う。

アスペルガー症候群と症状を括って、症状に対して社会的なアプローチをかけるのではなく、都度都度発生したパターンに応じてよりよい対処をしていくのがよいと考えた。

そうして、綾屋さんは、当事者研究として、自分の内面と外部環境を改善していくしくみを考えた。

観者的な役割と自信の経験を都度都度フィックスさせて、当事者研究を進めることで、自分への気づき、周りへの変化をもたらすと考えている。

――――――――――
章立てで流れるように記述されており、2人の著者の内容が、上手く絡まっており大変読みやすく、理解もできた。
1度読み、やっと自分なりにこの本を要約できだが、文の中にはたくさん心に残るワードが記されていたので、再度読み直そうと思う。

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2021年02月21日

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過剰につながれない綾屋と,過剰につながりすぎる熊谷の両氏が,それぞれの立場から,多様な他者を他者として認めた上でどのようにつながれるのかを考察した一冊。

どのようにしたらつながることができるのか(つながりの作法)についての著者らの考えは大きく4つにまとめられる。

1. 世界や自己のイメージを共有すること
2. 実験的日常を共有すること
3. 暫定的な「等身大の自分」を共有すること
4. 「二重性と偶然性」で共感すること

これらのポイントはなかなか実践するには困難があるものの,ポイント自体は納得できるものであるので,興味のある人は本書で確認してみてほしい。

個人的にはつながりの作法よりも当事者研究の成果としての本書に感銘を受けた。

・自分の経験を経験として終わらせず,体系化した「知識」にまで昇華し,他者と共有できる形にしたこと

・その「知識」を得るために,自身の経験をどのように捉えたら良いのかについての視点

・両極の経験から同じ現象を考える方法

など,自分の悩みをモヤモヤした曖昧なものに終わらせず,悩みを解消し,あわよくば他者の悩みを解消するきっかけになるものへと発展させている。本書で最も魅力的に感じたのはその点である。

読めば読むほど,つながるのが簡単ではないと感じるかもしれないが,味の出る一冊であるように思う。

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2020年02月15日

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面白い!
最近、自閉症の人が周囲の環境からどういう刺激を受けているのか、テレビなどで可視化されているが、この本はその先駆け。

それだけではなく、当事者研究の豊かな可能性を示している。

生きづらさを感じている人が生きやすい世の中に
なるヒントであり、健常者、マジョリティと思っている
自分も「地続き」であることを気づかせてくれる。

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2018年01月14日

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ネタバレ

おそらく当事者研究をとても分かりやすく説明した本なんじゃないだろうか。何べんも話す、は結構目からうろこ。

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2017年11月23日

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ネタバレ

とりわけ発達障害に関して言えば、これまで読んだどの本よりもわかりやすい。
当事者の内面がようやくわかったような気がする。
が、本自体は難解である。
一度読んだだけでは理解できない(少なくとも私には)。
ただし当事者研究についての具体的な記述は、ものすごくわかりやすかった。
あとがきにある「自閉者」の増加についての説明も、かなり鋭いところをついていると感じた。

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2016年12月24日

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アスペルガーの当事者の「つながらなさ」と脳性麻痺の当事者の「つながりすぎ」を比較することで、「つながりの作法」がどのように生まれ、そしてそれがいかに私たちを生きやすくしていくかを考察された本である。そしてその考察のヒントとして「べてるの家」の当事者研究、「ダルク女性ハウス」での自助グループ体験体験があげられる。「べてるの家」も自助グループから始まっているので根は一緒であるが。ただ自助グループから当事者研究への発展は「べてるの家」での実践から始まっているもので、当事者研究がいかに「つながりの作法」に通じているかがストンと身に落ちた。自助グループに色々と参加している専門家としてはいつも体験していて言語化出来ないものを言語化してくれた本として貴重な一冊であった。

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2016年10月28日

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ある方からお借りした。
かなり興味深い内容だったので、注文。(地方都市の本屋には、残念ながら在庫がなかった……)

綾屋さんの本は『前略、離婚を決めました。』も違う方からお借りして読んだが、合わせて購入に値する本だと思う。

発達障害を持つ綾屋さん、脳性まひを持つ熊谷さん共著で、それぞれの視点からのコミュニティに対する考えが読める。
影響し合い、まとめられた二人の意見は大変参考になる。

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2013年06月04日

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自分の特性に気づき、行き詰ったら臆することなく言葉にしてみる、自分だけではない、受け止めてもらえる。孤立することなく誰かと繋がることで一歩踏み出せるそれが大事。

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2011年03月08日

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 障害がどのようなものであるか、障害そのものにはどんな処方箋があるのか、と言ったことはこれまでに臨床を中心に考えられてきた。
 しかし、当事者本人が自分についての理解、そして他者との違い、かかわり方=つながり方に気付く当事者研究という考え方は、すべての人々に適用できるものだと感じた。
 障害のある、無しだけでなく、当事者研究の視点を取り入れて自分について、生活について、他者との関わりについて考えることはより適応的な生き方をしていくことに直結すると感じる。

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2010年12月26日

Posted by ブクログ

著者である綾屋さんは発達障害(自閉症スペクトラム)、熊谷さんは脳性まひという障害を抱えており、「自分がどう感じ、どう困っているのか」「他者とどう関わってきたのか」を、身体感覚や言葉、記憶を通して丁寧に語っている。

正直、専門的で難解な部分も多く、読み進めるのに時間がかかった。それでも、二人の語りからは、自分の感覚や苦しみを言葉にすることの切実さが、ひしひしと伝わってきた。

困難を抱えながらも他者とつながるとはどういうことか、その意味を深く考察しており、違いを認めたうえで関わり合うことの大切さを学ばせてもらった。

まだ咀嚼しきれていない部分もあるが、「違うまま共に生きる」ためのヒントをくれる、静かで力強い一冊だった。

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2025年07月21日

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第六章「弱さは終わらない」は、すごかった。
綾屋さんのぐるぐる沼感。
(そこまでは、淡々と当事者としての自己分析でわかりやすい。別にアスペルガー症候群の当事者でなくてもわかるところもある。)

第六章はなかなか生々しく、これはこれでそういうことなんだろうなと思った。
としか、言えない
「誰にも言えない」から「私には話さねばならぬ責任がある」へ。
「相手に迷惑をかけたくない」「相手をいやな気持ちにさせたくない」と思って話せないでいるのに、そうして黙り込むことこそが加害行為になってしまうと。

話すのは怖いけど、沈黙の暴力をふるわないために、私には「話す」責任がある。そこまで来てようやく、人に打ち明けることができると。

傷つきが深いほど、人は何度も同じことを話さないと良くならないとか、結局ユングだなー。
中井久夫の訳も本に出てきてなんだか、おーと思う。

決してマイノリティのための本ではなかったと思う。
ぐるぐるモードと、あたふたモード、すいすいモード

777のスイスイ人を思い出した。

熊谷さんのあとがきもよかった。
一人で傷つきを抱えこまないこと。そのための一つの方法が当事者研究。

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2024年02月23日

Posted by ブクログ

抽象的で難しい本だった。
綾屋さんのあまりに細かな語りには、なぜか同族嫌悪的な苛立ちも感じた。(ここは言語化が難しい)
終盤にある「話さねばならない責任」というくだりが胸に沁みた。問題を開示せず不機嫌に振る舞うことは相手を脅かす。沈黙は加害行為。
その後の何度も話すことを肯定する引用の一文も好きだ。「同じ話ができるようじゃないとよくならないわよね」

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2020年07月08日

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ロボットプログラミングするときにいくつもの条件を複雑に入れると失敗するのと似てるなって思った。当事者研究はきっと人工知能研究にもつながるんだろう。

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2018年04月08日

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発達障害を持つ綾屋と、脳性まひの障害を持つ熊谷の「つながり」をキーワードにした本。
「つながらない」綾屋と、「つながりすぎる」熊谷という区分の仕方はユニークでなかなか面白かった。
この本で何か特効薬を出そうというのではなく、結局「つながるもつながらないも、ほどほどがいいんだよね」という“あそび”を持たせて終わる感じがとても良いと思う。
つながるもつながらないも、コミュニケーションをして探っていくしかないのだと思う、きっと。

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2017年07月30日

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当事者による自閉症の説明
「バラバラな情報の大量のインプット」
とても分かりやすい

自閉症と診断される人が増えていることについて
ウイルスでもなく、ワクチンでもなく
社会の変化

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2017年02月15日

Posted by ブクログ

コミュニケーションについて新たな視点や考え方をもらえる良書。
新書なので読みやすいが、書かれていることは深い。
健常者ではない2人の著者による共著だが、健常者が読んでもむしろ健常者こそ読むべきだと思う。

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2013年01月13日

Posted by ブクログ

人間同士の関係と距離感を対立と差別でなく
対等で自在な自律する相対の関係で磨き合えれば
お互いに傷付くこともなくなるから傷付けることも起こらず
安心して切磋琢磨しながら共存することができる

アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)と診断された綾屋と
痙直型脳性麻痺による身体障害者と診断される熊谷の
二人のマイノリティが出合うことで「当事者研究」が始まり
共同戦線を張っているマジョリティー(多数派)と対決することなく
つながるための研究とその方向性にたどり着くまでの過程を
克明に描き出している本である

結果としてこの研究はマジョリティーどうににおける距離感にも
通じる一般性のある答えだということが見えてくる

そこには健常とか普通ということの意味の傲慢さと
危うさからなる不安と自己防衛本能による暴力が存在する

これを克服するには部分の差異を知って認めることと
距離感を捉え全体観を客観的に見る視野の広さの両立が必要になる

例えば自閉症の特徴とされる相互的社会関係能力の限界と
コミュニケーション能力の限界と想像力の限界の三つが定説とされているが
このどれもが多数派の健常者と自称する人々にそのまま当てはまることでもある
違うのは損得勘定という餌でも融通がきかないことである

枠を作ることと連帯することの矛盾をさておいた上で語るコミュニケーションは
一方的でナンセンスである

この本が主張する「社会の流動化」がすべての人を傷付けているのだと私には思えない
流動化が競争を舞台とする不自然な環境でに行われているのが問題なのであって
個人個人の創意から成る自然な流れならば
その波に調和することで自分を表現しながら発見を遊び創造する事ができるだろう
安定はステーブルによって得られるものではなく
回転して連載て流れている今を冒険によって生きること得られるはずであると
私は確信している

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2012年09月29日

Posted by ブクログ

アスペルガー症候群と脳性まひ、というマイノリティの身体をもつ、綾屋氏と熊谷氏の二人の立場から「人とつながるためにはどうしたらよいか」という問いについて書かれた本。

「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)」の特徴
1、相互的社会関係能力の限界
2、コミュニケーション能力の限界
集団での疎外感や空気の読めなさ
3、想像力の限界
4、自閉症と同じ症状を持つが、知的障害がなく言語も幼いころから話せる

あふれる刺激 = 感覚飽和
優先順位をつけにく
大量の情報を無視できずに感じっとってしまう
自身の内外の訴えをバラバラのまま感じ取ってしまう
運動のつながらなさ
外部と自分の動きの関係が読めない
e.g.,お茶碗運び、ドリブル運動、発生運動、パソコン操作
世界の崩壊
目の前に人がいても「つながり」を感じられない
多謝の表情や行動の同一性を見失う
物の位置の変化を見失う
自身の身体内の感覚を〃
痙直型脳性まひ
緊張しやすいので、一斉に筋肉が緊張する
幻想
過食嘔吐などでギャップを爆発させた
健常者幻想
パーフェクトな人間像を幻想して邁進してしまう
ギャップで緊張してしまう悪循環
厳しい社会幻想
母と子の密室幻想
つながり感を得る条件
アスペルガー症候群(つながらなさ)
過剰なつながりとつながらなさ
「差異の検出」と「全体パターンの検出」が同時に必要
脳性まひ(つながりすぎ)
外界で生じる差異を分節化して反応できない
仮説
密室をほどくこととと、密室を取り結ぶことの繰り返しこそが「差異」と「全体」の検出の両方を可能にし、つながりを与える
第一世代
自分がマイノリティと気付かずに社会から外されていると感じる時期

第二世代
病状認定
アスペルガー症候群の仲間たち
言葉を持たなかった感覚が承認される感覚
症候群への自覚
第三世代
互いの多様性を認め、仲間としてつながり続ける道を模索
アスペルガー症候群=見えにくい障害
脳性まひ=見えやすい障害
べてるの家の「当事者研究」(医学書院、2005)
「構成的体制」
所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定をいう(文化人類学者 大村敬一)
当事者研究とは、「わたし」が「私」のことを記述、解釈する実践


マイノリティの病を抱えた2人が人とのつながり方を考えた本であるが、人は誰しもマイノリティの部分を持ち、その糸口が見えずに悩んでいる部分がある。それを解きほぐす光明を見いだせる本でもある。
実際のところ、島国同一民族であるために日本はマイノリティに対して偏見を持っている。私自身も若くして地方の女性起業家(経営者)となったので、立場は違えど文化的に偏見の中で右往左往していたため、現在の女性起業家やジェンダー(男女の特性)の研究や支援をおこなっているといえるので、非常に参考になった。
以上

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2011年04月12日

Posted by ブクログ

pp.112〜113、p.123、p.163=回復とはある地点に到達することではなく、むしろ変化し続ける過程そのもの。

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2011年01月27日

Posted by ブクログ

「人と違う事の自覚」は、基準と自らの差を理解し、一方を正しいと思い込む事から生じる。ならば、正しさは理解できており、その通りに振る舞えば良いのだろうが、そう、できない。あるいは、人に指摘されて初めて自覚する。そんな生き難さを感じる著者。アスペルガー症候群と身体障がい者。生きる難しさは、よくわかる。人と同じように行動したり、言葉を理解し合うのは、いつだって難しい。ボーっとしていても話は進むし、かと言って同じ事を繰り返し言われているようで、そう感じてしまうと注意力は続かないし。油断してボーっとすると、隙をついて重要な事が述べられていたりするのだ。

そんな事を繰り返すと不安になるだろうし、更にできない自分を自己暗示し、強化学習してしまい、泥沼化。グループカウンセリングや当事者研究は、そうした自己意識を加速させないのだろうか。どんどん自分自身を規定してしまう気がする。

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2023年12月12日

Posted by ブクログ

自分もコミュニケーションに難ありとの自覚があるので読んでみた。
ああ、こういう考え方もあるのね、と納得する一方で、どこかしらのコミュニティの一員として生きていくのには、やはり努力が必要だとも感じた。

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2017年04月14日

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