あらすじ
「恥をかくのが怖くてチャレンジできない」「人に嫌われてると思い込む」これらは回避性パーソナリティー障害の特徴である。自尊心が傷つくことへの強烈な不安・心配ゆえに「何もできない人」が、能動的な日々を過ごすためのヒントとは。
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Posted by ブクログ
何しても生きるのがめんどくさくてタイトルで読んでみた。
知らず知らずのうちに自分も色んなところで回避しようと動いてるときが多いことに気がつけた。
めんどくささはまだあるし人生が大きく変わることはないけど、最後の「自分の人生を生きようと決意すること。そして、一歩だけ踏み出してみること。それだけでいいのだ」という言葉はなんだか心に沁みた。
Posted by ブクログ
生きづらいと感じる人の特徴、そうなった原因などについて医学的にどのように分析されているかを解説したうえで、そこから脱却して少しでも生きやすくなるための方法を提案する。
本書はタイトルの通り「回避性パーソナリティ障害」として医学的に分類される症状について主に扱っているが、実は同じように「生きるのが面倒くさい」と感じる人の中には、他に「恐れ・回避型愛着スタイル」「シゾイドパーソナリティ障害」というものがあるらしい。ちょっとややこしい。
「回避性パーソナリティ」とは人の世の煩わしさから逃れたいという願望を持ち、現実の課題を避けようとする傾向のことで、人とのかかわり自体は楽しい面もあるが気後れや不安の方を強く感じてしまう。レベルは人それぞれで障害とまでは言えず、何とか日常生活を送れる人もいる。
「恐れ・回避型愛着スタイル」は別の分類軸で、親密な関係を求めず、人と気持ちを共有することに関心が乏しい人のことである。愛情不足の生育環境に起因することが多い。
「シゾイドパーソナリティ障害」は、対人関係をもつことに喜びや関心が少なく、孤独なライフスタイルを好むタイプのことである。
それぞれ特徴や原因が詳細に記載されているので自分がどれに当てはまるのか見当がつけやすいと思う。
そんな感じで、あるあるー、分かるー、という感じで読み進められる。文章が論理的で誠実で、しかも難解ではないので、とても理解しやすい。
回避性パーソナリティも含めて世の中にはいろんな人がいるわけで、みんながそのまま自然に生きやすくなるといいんですけどね。
Posted by ブクログ
求めてもどうにもならないと悟ったがゆえに求めるのをあきらめることが執着を立つこと。本当に悲しい選択。求めないことを満たされていると勘違いすることはやめてもらいたい。好きで求めなくなったのではない。求めても答えてくれないから求めるのをあきらめただけ。>とても的確だと思う。西行はいい。家族はかなわん。ほんとに。こういういうのあるよねえ。いや、回避性の話じゃないんだけど。
安全基地になれというが、親のほうも定型発達とは限らなくてそれでも何とかやっていたりするからねえ。
困った。
Posted by ブクログ
読めば読むほど妻のことを書いてると感じる。ちゃんと名前がある症状だとわかってちょっと嬉しくなった。この本で書かれてあるような回避性パーソナリティの特徴について、本人も自覚はあるようなのだが、わかっていてもどうしようもないらしい。本人がこの人格とうまく付き合っていくためには、また配偶者としてそんな妻とうまく向き合っていくためには、といったことが知りたかったのだが、その辺は薄かったかな。著者の他の本も読んでまた勉強したい。
Posted by ブクログ
・幼い頃、愛情や世話が不足した環境で育つと、オキシトシン受容体の発達が悪くなってしまう。すると、どうなるか。人と交わることや子どもを育てることでは喜びが得られず、もっと直接的に側坐核を刺激するような物質や行為にのめり込みやすい。それが、ギャンブルや薬物、食べることや買い物への依存を生む。そうすることでしか、生きる喜びを味わえないからだ。幼い頃、愛情不足を味わった人で、依存症や過食症のリスクが増すのは、そうした理由によると考えられる。
・自己愛性が強まった状態では、現実が意のままにならないとき、すべてのことが無意味で、面倒に思えて、せっかくの能力や才能を生かすこともなく、無為に暮らす場合もある。求めるレベルが高すぎるため、手近なところで自分をほどほどに生かすということでは満足できない。華々しいこと以外は、面倒くさく感じてしまうのだ。
・自分が理想とすることにこだわり、何か違う気がすると、違和感の方にばかり目を向けてしまい、結局動かないというのが、回避のサイクルに陥ったときのパターンだ。そこから、抜け出せるときというのは、とりあえずできることをやってみよう、来た話に乗っかってみようとしたときで、道草に思えることも試してみると、そこから思いがけない可能性が開けてくる。
・回避性の人は、やろうかやるまいか悩んだとき、いつもやらない方に逃げてきたことが多い。それで、チャンスが全部逃げてしまっている。そこを、やってみる方に変えるだけで、人生は着実に変わり始める。小さな変化が、やがて大きな奔流に変わっていくこともある。
・迷ったらやる。小さいことを一つやってみる。それを実践するだけで、人生は変わり始めるだろう。
Posted by ブクログ
・私は、大学生の頃がこの「生きるのが面倒くさい」の気分のピークだったと思う。まあ今もうっすら無くはないのだが、「生きるのが」というほど人生全般に絶望しているわけではない。
・ではなぜ今この本を手に取ったかというと、自身の交友関係と社交性の貧弱さに絶望し始めていたからである。
最近、プライベートの人間関係の維持・構築への消極性に拍車が掛かっているように感じている。
この気分の打破のとっかかりとして、回避性パーソナリティへの理解を深めようかと考えた次第。
・前半は回避性パーソナリティの解説が中心で、まさに自分に当てはまると思いながら読み進めていた。読んだ限りでは、回避型愛着スタイルおよび恐れ・回避型愛着スタイルの気もあるように感じた。
養育者との間で適切な愛着が育まれないと発現しやすいとのことだが、これは所謂毒親に限るものではないようである。私の場合、母親が口出しは多いのに共感的な反応に欠ける人であり、このケースに当てはまるものだと思われた。それなりに愛情を掛け育ててくれた人で、毒親ではない(と私自身信じている)が、しかし物心ついた頃には既に、何かを相談する相手として適切な人だとは思えなかったのも事実である。褒めるよりも満点を取れないことを咎められ、何かと自身の選択や悩み・心身の不調の訴えは否定され(またそもそも相談したところで一方的に言いたいことを言われ彼女がスッキリするよう付き合わされるなど建設的な会話となることも稀であり)、自身の嗜好や思考・行動については後から父親や家庭外の人間へ恥を伴う否定的なニュアンスで伝えられ、思えば、いつということはない頃から、この人には自分の心の柔らかいところ・弱みを見せてはいけないのだと思うように(またどこか、見せても仕方がないと思うようにも)なっていた。
恐らくは、その心持ちが私の今日のあらゆる人間関係に向き合う姿勢のベースになっている。そういう発見があった。
・後半は、では具体的にどうすれば良いかということが書いてある。が、引きこもりの人がどうやって社会復帰を実現していったかということに主眼が置かれ、豊かな人間関係の構築に向けた積極性を取り戻すヒントには少し遠いように感じた。前半にはそのようなテーマの要素があったので、後半のテーマにも是非入れておいて頂けたらよかったのにと残念に思う。
人間関係の構築には、他の人には見えているのに私には見えないルールのようなものがあって、それが私を少し息苦しくさせているのではないかと感じている。誰か、そのルールを私にも教えてほしい。見えない空気を必死に読み見えない選択肢から適切だと思われる言動を選ぶ瞬発的な試みの繰り返し、そしてそれを上手くこなせない自分を後から繰り返し責めながら、他者の反応をネガティブフィードバックの強化として受け止める、そんな毎日にはほとほと疲れてしまうのです。