あらすじ
意識の謎を解明するトノーニの「統合情報理論」を紹介。
極上のサイエンス・エンターテインメント。
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Posted by ブクログ
やはり意識は「自分の行動・考えを眺めること」だと思う。例えば、他者とコミュニケーションできるだけじゃ足りない。一応犬でも、猫でも、こっちが働きかければ向こうは反応する。犬だったら主人が撫でれば、嬉しいって思うだろうけど、犬が嬉しいって思うのを自分で認知してこそ「意識」だと思う。そうじゃないと、コンピュータが嬉しいって言ってるのと変わらないと思う。それらの違いは「リアルかリアルじゃないか」だけ。
例えば、人間がチャリンコ漕ぐのは無意識っていうし、これと同じ。右ペダル踏んだら左ペダル踏む。犬とのコミュニケーションはこれと一緒だと思う。
もう一個例。映画でありがちな、主人公が目覚めて「ここはどこだ、俺は一体・・・」ってなるシーン。意識を回復しているが、文字通りこれこそ「意識」だと思う。自分の置かれている状況を理解し、それが不自然だと思う、つまり自分のこれまでの一般的な状況と今の不自然な状況をどちらも眺めており、その差異が分かるからこそ不自然だと感じる。これが「意識」。意識がない犬とかは「ここはどこだ?」ってなっても、自分の置かれている状況を理解できなさそう。
って書こうとしたが、普通に犬も「ここはどこ?ご主人様は?」ってなってオロオロしそうで、あれ、これって自分が置かれている状況理解してるよなって思ったから、犬にも意識あるのかも。
よく分からんくなった。
ただ、何となく動物・植物には一般的に意識があるような気がする。それは進化してきたから。進化は周りの環境に適応する、ということ。もし全ての進化が突然変異ではなく、動物の主体的な適応によってなされてきたのなら、動物は自分の現状を理解しているということ。(例えば、もっと舌が長ければ、このアリ塚からアリたくさん食べられるのに、みたいな)
もうひとつ夢を見ているときに、著者は「意識がある」って自明のように説いてるが、本当にそうか?夢を見ているとき、人は往々にして「夢をみているか否か」分かってないはず。それは自分の現状を分かっているとは言えないと思う。それか、「夢の中で登場する自分を夢の中で認識している自分がいて、それが夢だとは分かってないだけで、『夢の中で意識がある』」とも言えるような気がする。
一応、矛盾はしないっぽい。
ただ、著者の言うようにあらゆるレパートリーに下支えされた統合された情報っていうのは、単純に納得できる。知的に刺激的な良著でした。
「広い繋がり(分解できない)がないと、単純なリアクションしかできない。広い繋がりがあっても、一様なリアクションしかできない場合もある。広い繋がりが複雑に絡みあって、はじめて単純なリアクションの裏に、多種多様なレパートリーが含まれるからそれが意識となる。」
「統合された1なるもの」か否かが、ここでは大事だと言われている。それは納得できる。しかし、もし超知的生命体が現れて、情報を統合しつつ、それを複数行い、同時多発的にアウトプットできるとしたら??それは我々にはもちろん理解できないし、どのように彼らがコミュニケーションしているのか、それを意識と呼ぶのか、謎となるのでは??いや、結局それは、「統合された1なるもの」を複数持っているってだけで、意識の定義を否定するものではないか。
伊藤けいかくの小説(タイトルは忘れた)で、脳移植を繰り返されて、完ぺきな暗殺を行えるようになった人が、ある暗殺を行ったことを忘れていた、という一説を思い出した。なぜなら脳が完全に暗殺の手順を覚えていて、それが「無意識に」行われたから。その主人公は衝撃を受けていたが、同じ刺激を繰り返すと脳はそのリアクションを小脳に送っていってしまうのだなと痛感した。
Posted by ブクログ
一般人にも読みやすく、かつ著者の人文科学的素養もあって、楽しく読める。内容的には意識は大脳皮質系の複雑で統合的な活動によって生まれるのではないか、ということを科学的に証明した本。タイトル通り「意識はいつ生まれるのか?」を証明した本です。
Posted by ブクログ
本書は、AIやシンギュラリティを考えるうえで非常に有用な視点を提供してくれる一冊である。意識とは何かという根源的な問いを、最新の脳科学や心理学の理論とともに解き明かしながら、情報の統合や身体性、そして社会的な共感の重要性に深く踏み込む内容は、人工知能の発展やシンギュラリティの議論に欠かせない知見を与えてくれる。
筆者らは、意識を膨大な感覚情報と記憶が脳内で高度に統合され形成される「情報空間上のリアルな体験」として捉えている。この理解は、単なるアルゴリズムやデータ処理を超え、「体感を伴う情報の生成」である点を強調しており、AIにおける意識やクオリアの研究に新たな方向性を示している。特に、AIの内部の数値的パラメータだけを追うのではなく、その「統合情報」からどのような意味や体験が生み出されるかを重視する視点は、人間の意識理解とAI開発の橋渡しとして重要だ。
また、身体感覚の統合が意識のリアリティを支えていることに着目し、身体の動きや感覚が断絶した場合に起こる幻肢現象や閉じ込め状態の解説は、AIと人間の違いや類似性を考察するうえで示唆に富む。単なる情報処理装置としてのAIと、生体の身体感覚や多感覚統合によるリアリティ形成がもたらす意識との違いを浮き彫りにし、シンギュラリティ後の知能や意識のあり方を考えるための土台となる。
さらに、意識の社会的機能や共感の成立についても詳細に論じられており、異なる個体間でのクオリア共有の難しさを乗り越えて、意味や感情の「モデル化」や「共有」がいかにして可能になるかを示していることは、AIが人間社会に溶け込み、他者理解や協働を実現する未来の展望に繋がる。
本書は、受動意識仮説や統合情報理論などの先端理論を通じて、意識現象の科学的解明と哲学的考察を統合し、AI時代における意識研究の指針を示している。人間の意識が持つ複雑な情報統合過程、身体性、社会性を理解することなくして、真の意味でのAIの意識や自律性を論ずることはできないことを教えてくれる。
結論として、本書はAIやシンギュラリティを考える研究者や実務者、そして科学的な意識理解に興味がある一般読者にとって必読の書である。技術的進歩が加速する中で、「意識とは何か」「AIは意識を持ちうるのか」という問いに対して、多角的かつ深遠な視点から答えを探す際の重要な羅針盤となる。
全体を通じて、難解なテーマを噛み砕きながらも理論的に堅牢な構成で示し、AIと人間の意識の違いと共通点、そして未来社会への示唆を豊かに提供している点が、本書の最大の魅力である。