あらすじ
「分裂病は、研究者から転じて後、私の医師としての生涯を賭けた対象である。私は医師としての出発点において、実に多くの分裂病患者が病棟に呻吟していることを知った。…当時は、分裂病でも目鼻のない混沌とした病気で、デルフォイの神託のような謎だと言われていた。分裂病に取り組んだら学位論文ができないぞと公然と言われていた。幸か不幸か、私はすでにウイルス学で学位は持っていたが、持っていようといまいと、もう少し何とかならないかと私は思った。私は、それまでの多少の科学者としての訓練や、生活体験や、文学などの文化的体験を投入して、何とかこれに取り組もうとした。」1966年にウイルス学から転向して精神科医になった著者は、それまで研究者の数も少なく、治療よりも「不運な人の傍らにいよう」という時代のなかで、本格的に分裂病の治療に取り組みはじめた。以後30年、分裂病の回復過程の問題を中心に、一方は「風景構成法」を編みだし、データやグラフや絵画療法を駆使し、他方では病棟などの治療環境も含め、患者との関係のあり方に配慮を尽くして対処してきた著者の活動は、日本の分裂病研究に「革命」をもたらしたといってよい。1997年3月5日、聴衆で立錐の余地のない神戸大学医学部第五講堂で、文字通りの第一人者がこの30年間を語り下ろした最終講義は「専門」をこえた感動を読者に伝えるであろう。
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偉大な精神医学の研究者・中井久夫氏の神戸大学退官時の講義を書籍化。その後先生は私が通う大学で研究室を開かれた。先生の授業はとても聞き応えがある上に、「昼食後は眠たい。それは体の正常な反応。アフリカンアワーと言ってね、昼寝の時間だ。だから私の授業中も寝ていて結構だよ」とか「人間が耐えるコトのできる“待ち時間”は14分まで。だからデートは15分遅れちゃダメだよ」などといった楽しくて温かい内容の講義だった。本著は統合失調症について学ぶ学生には是非一度読んでいただきたい“バイブル”とも言える一冊。
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著者のエッセイで精神科医としての仕事ぶりも垣間見てはいたが、こちらはより生々しくその様子が伝わる。個々の症例にある回復までの長い道のり、または予後の悪かった患者たち
昨日、たまたま電車で隣に意味不明の独り言を繰り返す男性と乗り合わせた。あれもこうした困難を抱えている人なのだろうか。もしそうだとして、中井のような救いの手は差し伸べられているのだろうか
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みすず書房
中井久夫 最終講義
1997年に大学で行われた 分裂病(統合失調症)の最終講義。講義というより臨床記録であり、個別研究から得られた治療の一般モデルにも思う。治療経過図や症例比較もあり、素人でも理解できる構成
「病気は、人生の仕切り直しの機会」は名言
著者は「分裂病をマインドコントロールに対する防衛」と考えており
「睡眠、夢、心身症が分裂病から人間を護っている」としているが、現代の主説はどうなのだろうか?
「分裂病の回復は〜山を下りるときに似ている〜病いが始まった時は 患者はすでに山頂にいる。ひとりで下りられない山頂〜四方が断崖の絶頂にいる」
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100分で名著で説明されている本である。本文を番組では朗読しているが、それだけではなく、患者が書いた絵の説明が丁寧であり、さらに患者の状態を説明したグラフが丁寧に解説している。
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最終講義―分裂病私見
(和書)2009年01月27日 23:11
1998 みすず書房 中井 久夫
分裂病(統合失調症)に対する姿勢がとてもよく現れていました。患者に対する医者としての姿勢などとても明確に書かれていて精神科医を目指す人には参考になると思いました。
患者(統失患者)に対する分析又は批判(吟味)はとても詳細に(繊細に)されていて病気として成立する理論的根拠などに対する根本的批判(吟味)の姿勢が存在しています。そこが読んでいて救いになると感じました。
この本では患者ではない人(所謂健常者)に対する姿勢に触れられていませんでした。
自己同一性の幻想に固執するという分裂病者への指摘などありましたが、非分裂病者はどういった精神的姿勢をしているのだろうか?木村敏のアンテ・フェストゥムを指摘してしましたがそれが病気として成立するためにはどういった囲い込みがされるのだろうかなどが面白いところだろうと思います。
柄谷行人は自己同一性の幻想が失われると深刻な病(統合失調症)になると指摘している。彼は事後の立場に立つことと事前の立場に立つことを同時に指摘している。私は自己同一性の幻想を事後の立場から立って見てしまうことが統失になる理由の一つだろうと感じている。それを事前の立場に立ってみることができればそれは反省的又は自由・倫理という言葉で表すことができる存在になるのではないかと感じました。
木村敏のアンテ・フェストゥムによれば事前の立場に立つことは分裂病(統合失調症)の精神的姿勢と言うことになるけれどそこを分裂病者(病気として囲い込まれた者又は病気として成立する理論的根拠を適用された者)と非分裂病者との違いは何処にあるのかが追求されれば面白いところだろうと思った。分裂病(統失)親和性と言われる姿勢を持った人とそうでない人との違いなど面白い指摘が幾つもありました。
そこら辺をこれから追求してみようと思いました。
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神戸大学医学部退官時の講義のために準備した文章が元となっている。
94ページまでがその時の文章で、残りは図表と解説になっている。
統合失調症に関する知識の増加を狙って読むというのではあまり期待できない。
知識の増加という意味では、下痢などの身体症状が出るのは回復の兆しだという事を知る事ができた。
科学が一回性の現象や一つしかないものも扱うという言及は、世間の「理系的知に対する批判」の多くと違い同意できるものだった。斎藤環の著作に「恋はこの私のこの相手に対する現象だから恋愛の科学はありえない」というような事を言っていたが、それなら、「特定の山の雪崩に関する知識は他の山の雪崩に関する知識として使えない」というような事になるのでは、というような事が思いつく。
自らの症状をまとまった言葉で語る事ができるのは、症状を対象化している状態だから、少し症状がおさまってきた状態だというのも同意できる。
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O先生が勧めてくれた本。長いことお蔵入りだったけど、時間が出来たので取り出して読んでみた。著者は精神科領域では大変有名なDr.でして、分裂病と言う呼称こそ今では過去のものとなりましたが、この領域の疾病を持つ方々と著者の歩んできた道のりに思いを馳せました。こういう本を読むたびに「自分はなんてちっぽけなんでしょう…」と軽く凹みます(笑)
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中井久夫先生の最終講義の逐語録。先生の研究の概略が一般の人にもそれなりにわかりやすく書いてあるので、これから中井先生の本を読むという人にお勧め。