【感想・ネタバレ】シンギュラリティは近い [エッセンス版] 人類が生命を超越するときのレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

テクノロジーは線形ではなく指数関数的に増加しているというのが氏の主張している所の根拠の肝となる。
「収穫加速の法則」

※生命のタンパク質をベースとしたメカニズムは限 界がある→脳をリバースエンジニアリングする事により脳を再設計できる(人と機械の融合)
※人間の脳内のニューロンの計算速度は遅いが超並列処理がなされる→ナノボットによるスキャン、人体の再設計
※感情の反応力も機械に置き換えられうる→機械によるおもてなしが発生する
※現在の経済学のモデルの多くは歴史を線形で捉えたもの(社会保障制度)→それがひっくり返る可能性大

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2017年03月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本書はテクノロジーの進化により到来する未来を予測している。
生物の進化も科学技術の進展も、線形的ではなく指数関数的であり、加速していくものである。
現在のテクノロジーは、人間の生物学的脳の能力を超えるコンピュータを生み出す段階に達しており、数十年内には全人類の脳の能力を1台の安価なコンピュータが凌駕する時代がくる。
脳の計算能力は既にコンピュータに敵わず、脳の持つ超並列処理能力(一度に100兆の情報を同時に処理できる能力)については現在のコンピュータでは再現できていないものの、今後も到達できない理由はなく、テクノロジーが進歩すれば近いうちに到達可能であることを著者は確信している。
こうしたテクノロジーの進化によって、生物学的脳+非生物脳によって人間の知能を圧倒的に向上させる可能性や、血球程度の大きさのナノボットを血管内に入れることによる知能の大幅な向上、栄養吸収の最適化(どれだけ食べても太らない)、排泄の自動化(排便行為を要しない)、身体の自由な変形、神経の中枢を刺激することによるVRの実現 などがもたらされることを予測する。
本書の原版は2000年代に書かれたものであり、私が読んだ時点(2019年)から見ると、現実が著者の予測よりやや遅れている観は否めないが、それでも予測の内容そのものの実現性に疑問符がつくものではなく、強いinspirationを受けることばかりだった。
最後に、最も考えさせられた項目として、テクノロジーによってもたらされる脳の完全なコピーやバックアップ(非生物的な素材による)に伴って問題が顕在化する「意識」と「アイデンティティ」に関する考察がある。「わたし」は数ヶ月で物質的に完全に入れ替わるが、それにも拘わらず数ヶ月前の自分と今の自分は連続性をもった同じ「わたし」であると考えている。つまり、「わたし」とは物質的同一性ではなくパターンの同一性と連続性なのである。川に例えると、「わたし」とは入れ替わり続ける水分子ではなく、それが生み出す流れの模様やパターンそのもののことである。であればコピー可能で、コピーすれば複数の「わたし」存在することになるが、それらすべてを「わたし」として受け入れるかという問題が生じる。新しいコピーができたから古い今の身体と脳は壊してしまおうと思えるかということだが、これはできないだろう。ここにアイデンティティの問題内包するジレンマがあり、本書ではそのジレンマにたいする解を出してはいない。(ただし、本書のヒントを基にすると、パターンの連続性こそが「わたし」を「わたし」たらしめる本質であると理解すれば良いことに気づく。同時多発せず、漸次的に変質していく場合は「わたし」が維持されているという主観的認識を保てるのではないか と考える。)
また、非生物的な知能は確実に「意識」を主張し出すので、それは受け入れるべきとの主張をとる。
結局のところ、自分以外の人間の意識ですらその存在を検証することはできず、存在するだろうと想像するしかないものであるから、非生物的知能であっても、表れる現象が意識を持つように見えるなら、それを尊重すべきとの見解だ。
未来予測の視野を広げてくれた点、自分とは何かとい哲学的な問いを突きつけてくれた点で、自分の中で貴重な読書体験となった。

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2019年10月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

前半は少し退屈ですが、最後の「それでもまだ人間なのか?」は興味深い。
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・徐々に身体が置き換わった場合、古い私と新しい私が同時に存在することはない。
一体どの時点で、私の身体と脳は、別の誰かになってしまったのだろう、と。
・実は正常な生物学的プロセスの一環として、私の中身はつねに入れ替わっている。ところが、先の思考実験によれば、私のパターンが維持されていたとしても、その漸進的な置き換えは私の死を意味することになる。では、私はたえず、少し前の自分とそっくりの別人に置き換えられているのだろうか。
・いずれ人間は非生物的な存在に意識があることを認めるようになると、私は信じて疑わない。

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2018年01月28日

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