【感想・ネタバレ】昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたかのレビュー

あらすじ

月光仮面、ウルトラマン、仮面ライダー…、数多のヒーローたちは、実は時代と世相を反映している。彼らの戦いの背後には常に、折々の日本が直面してきた問題が隠れているのだ。そしてヒーロー番組の底流には、スタッフ、キャスト、スーツアクター、音楽関係者たちの渾身の思いがある。ヒーローたちが戦った敵とは何だったのか。彼らは死闘を通じて私たちにどのようなメッセージを残していったのか。新聞記者である著者が長年蓄積した情報を交え、特撮ヒーロー番組と現実世界との相関をひもときながら、その文化性を検証する! 著者イチ押しの見どころ紹介コラムや昭和特撮ヒーロー作品リストも収録!

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Posted by ブクログ

「宮部みゆきが「本よみうり堂」でおすすめした本」でお勧めされた本第一弾。

これは今年のベスト10候補です。「まえがき」で、テーマも展開も要約している。もう読む必要ない?そんなことはない。「本章」を読めば、興味深い事実がどんどん出てきて置く能わずの経験をする。面白いテーマを発掘して、本気で書いている証拠だ。少し長いが、「前書き」の一部を紹介する(←この時点で800字以内のエンタメ系レビューは諦めた。記録系レビューです)

モノクロ画面の中、建設途中の東京タワーを背景に戦った月光仮面は、戦争からの復興を告げ、右肩上がりの高度経済成長の時代に生まれたウルトラマンは、カラーテレビの中で輝かしい未来に向かってすくっと立ってみせた。公害問題など、経済成長の負の部分が露呈してくる中に登場した仮面ライダーは、掘り返された住宅造成地の赤土の上で敵を倒し、国際婦人年の75年に誕生したゴレンジャーでは、女戦士のモモレンジャーが、すらりと伸びた足で悪者たちを蹴り上げた。
これほど多くの特撮ヒーローが、長年にわたって生み出されているのは、世界でも日本だけだ。
(略)ヒーローはどんな絶体絶命の状況にあっても決してあきらめなかった。ヒーローは、一敗地にまみれても自分を信じて特訓を重ね、困難を乗り越えて明日に進んだ。ヒーローは「赦す」ことの大切さを説き、敵を殴った拳の痛みを伝え、争いのない世界の実現を訴えてきた。(06p)

以下、マイメモ。

◯「月光仮面」(1958)はヒーローの元祖。平均視聴率40%、最高視聴率67.8%というお化け番組。武器は二丁拳銃。しかし悪人でも決して人を殺したことはない。ヒーローの代名詞「正義の味方」という言葉は作詞家であり本作の原作・脚本・川内康範が作りだした。最初から「正義」そのものではなく、それをを手助けする存在として作られた。1本50万円という超低予算で作られた。その分縛りがないので比較的自由に作られた。本格特撮「マンモス・コング篇」は、朝霞駐屯地ロケ、自衛隊の本物が使われた。「幽霊塔の逆襲篇」は米軍立川基地闘争の「砂川闘争」をモデルにしたという。当時は戦後の影響もあり不良が跋扈する時代だった。月光仮面のスローガンはその中であえて「憎むな、殺すな、赦しましょう」だった。

◯1966年「ウルトラマン」シリーズが始まった。65年にいざなぎ景気がスタートし、実質経済成長率57ヶ月平均11%超という時だった。怪獣ブームを巻き起こし、37話「小さな英雄」では42.8%の最高視聴率をたたき出す。米ソ対立を背景としたジャミラが出たり、ベトナム脱走兵を想起させるキュラソ星人。その他社会派の名作が幾つも生まれた。空想の物語だったから可能だった。ヒーローの巨大化は、ゴジラから考えれば必然だったとはいえ、時代的に超高層ビルの建設ラッシュもある。また、アジア圏にはもともと巨大英雄が崇められていた。

◯1971年、経済成長の歪みの負の部分を背負って誕生したヒーローが、仮面ライダーだった。公害と過疎・過密が問題化された時代。等身大ヒーローの「もと」を作った。変身ポーズ。変身後は高い場所から登場。効果音(←歌舞伎から?)。周辺グッズの販売。又、頑張れば未来を信じられる時代だった。ヒーローは負けても特訓して敵を倒す。また、もともと改造人間の彼等には悲しみと悲哀がある。プロデューサー平山亨は、映画界から人員整理でジャリ番組に追われた身。よって、強い者に虐げられている者のために必死に戦うヒーローを作った。「正義の味方」スローガンは封印した。「人間の自由のために」といい、一度も「正義」は唱えなかった。73年オイルショック、74年実質経済成長率マイナス。10作以上あった特撮ヒーローものは78年には4本に落ち込んだ。

◯悪の組織も随分個性的。そしてその変遷はもっと面白い。
ショッカーの首領は声だけで姿を見せたことはない。その下に死神博士、地獄大使などの日本支部大幹部、作戦実行の怪人たち、その手先の黒タイツの戦闘員達がいる上位下逹のピラミッド型組織。ナチスを彷彿させるのは、作り手の多くが戦争を実際に体験した世代だからか。怪人は「公害」を作戦に組み込む。また、「過激派」のように本拠地は「アジト」と呼ばれ、ラッシュ時の新宿駅西口を襲おうとし、ガスタンクを爆破して東京と大阪を火の海にしようとした。
「アイアンキング」(72年)の脚本家、佐々木守は、重信房子の自伝もまとめた「新左翼」シンパ。敵役「独立幻野党」からしばしば正当らしき批判が入る。
一方、「ウルトラマン」シリーズでは、怪獣は「悪の組織」所属ではない。(今回初めて知ったが)バルタン星人は核実験で故郷を失い地球にやってきた「難民星人」だった。科学特捜隊も一度は前向きに検討しようとしたが星人の人口が20億3千万体と聞いて態度を硬化させる。無理矢理移住を強行しようとしたところをウルトラマンのスペシウム光線で宇宙船ごと爆破される(^^;)。
異彩を放つ悪の敵は「スペクトルマン」(71年)。もともとタイトルは「宇宙猿人ゴリ」だったので、主役というべきか。天才科学者ゴリは腹心ラーと共に、地球を汚す人類が許せないと征服を企む。送り出す怪獣はミドロン、モッグスのような公害怪獣。「その頭脳を平和のために役立てたら」という主人公の提案をゴリは断り自殺するという異例すぎる最期を遂げる。
現実の悪がフィクションの悪を超えたのが95年。オウム真理教の毒ガス殺人、炭疽菌噴霧、地下鉄サリン事件、薬物や電気ショックを使った洗脳、自動小銃の密造。結果、これ以降邪神を崇める宗教組織は悪の組織に出てこなくなり、殺人ガスも薬物頒布も姿を消す。「メタルヒーローシリーズ」の「洗脳作戦」はアフレコ段階で言い換えになった。21世紀ライダーシリーズも、ヒエラルキーのある敵側組織が存在しない。この時代、悪はつかみどころがない。悪は私たちが内包しているように見えるし、何者をどう倒せば世界に「平和」が訪れるのかよく見えない。その上「戦隊シリーズ」でも「ライダーシリーズ」でも「被害者」が死ぬ描写が無くなった。背景に「正義」への疑念(イラク戦争など)が広がり、現実が「正義の暴走の恐ろしさ」を私たちに伝えた。という事がある。
しかし、と著者は書く。
「唯一無二の「正義」はなくても「善いこと」と「悪いこと」は、確かにある。「人は殺してはいけない」「弱いものいじめはいけない」というような規範は、どんなに時代が変わっても変わらないはずだ。そして、そういう規範こそ、ヒーロー番組に伝えていって欲しいものなのだ」(76p)
←著者の気持ちはよくわかるし、わたしもそうあって欲しいと思う。しかし、実は、その2つの「規範」は「戦争」によって簡単に逆転されるものではある。勿論ここでは展開できない。反対にいえば、平和の時代にしか「ホントのヒーロー番組」は作れないという事なのかもしれない。

◯「月光仮面」によって「正義の味方」ヒーローをつくった山内康範は、改めて「正義」を問うた。「愛の戦士レインボーマン」(72年)。1話2話は、主人公の修行シーンで変身しないという異例の展開。しかも、主人公はあくまでも人間で、変身は修行の成果。敵も異例「死ね死ね団」。目的は漠然とした世界征服ではなく日本人を忌み嫌う外国人による「日本人の抹殺」。戦争で身内を殺された人、高度経済成長でやりすぎたことで恨んでいる人たちで構成される。よって、作戦も、偽札をばら撒いてハイパーインフレを起こして、食糧不足による飢餓を引き起こす作戦やら、地底戦車モグラートを使って大地震や津波を起こしたり、天然ガス貯蔵センターを爆発させて「日本は危険な国」というイメージを植え付け国際社会で孤立させようとしたり、かなり「高度な」作戦をとっている。それに対してレインボーマンは、食糧危機で暴動が起きれば大臣に掛け合って食糧無償供給を実現させたり、首都東京爆破計画の時には都民に避難命令を出させたりしている。あくまでも、敵を倒すのではなく人々を救うのが、彼の目的なのである。死ね死ね団の首領ミスターKは行方をくらましたきり消息不明だ。

◯ヒーローバブル期、72年、悪のヒーローが誕生した。
ハカイダーである。「人造人間キカイダー」第37話から登場した。キカイダーを作った博士を操って作らせた最強の人造人間で、悪魔回路を内蔵し、頭脳は博士の脳なので、一定時間ごとに血液交換する弱点と、キカイダーの攻撃を防ぐ「盾」になる強みも持っている。人間体サブローはイケメン(真山譲ニ)で、キカイダー抹殺のみを目的とするアウトローで、悪の組織の言うことも聞かない。卑怯な作戦は嫌い、クールで強い、自分の美学を貫く。出演はわずか6話で、いまだにこれ以上の人気「悪のヒーロー」は出ていないらしい。72年にはアニメで、悪魔の心も持った不動明という「デビルマン」も始まっていた。

◯特撮ヒロインの歴史は、そのまま日本における女性の社会進出の歴史と重なる。
1975年、女性の本格的戦士が初めて登場する。「秘密戦隊ゴレンジャー」で小牧リサ演じるペギー松山はモモレンジャーに変身した。それまでも一時的には戦うヒロインは存在した(トリプルファイター(72)、「好き!好き!!魔女先生」(71)のアンドロ仮面、「キカイダー01」(73)のビジンダー(志穂美悦子))。でも継続的に戦ったのは75年から。時代的にも国際婦人年でもあり、鉄の女サッチャーが英国首相になった。強くておしゃれなモモレンジャーは、恋さえする。今までアンヌ隊員のモロボシ・ダンへの恋心はダダ漏れだったが、決して表に出さなかった。ペギーは上官と昔恋仲だったことを明かし、彼が最後に悪役に変身し「君に僕が撃てるかな」と吐かすとしっかり成敗し「すべて終わったのよ」と呟いて終わる。それでも、彼女たちの描き方は「紅一点」だった。あくまでも例外的存在で、男目線であり、女の子たちは、深層心理にその構造を落とし込んでゆく。変化したのは、84年「超電子バイオマン」から。ここからヒロインは2人に増える。組織を変える力になってゆく。91年「鳥人戦隊ジェットマン」からは女性管理職が登場。悪の組織では早くも80年代から、ほとんど女性幹部がいるようになる。概算では、歴代幹部の女性の割合は28%。正義の戦士はどうか?女性26%。政府の女性幹部を3割にするという目標に特撮現場では既に肉薄している。もっとも、彼女たちは独身で若い。これは未だ課題だ。

◯70年代終わりから80年代にかけて、特撮ヒーローは「冬の時代」を迎える。SF&ロボットアニメに喰われて、制作費のかかる番組は淘汰された。82年「宇宙刑事ギャバン」は、メタルヒーローとして唯一輝いた。

◯スーツアクターは、誰にでもできる安直な仕事ではない。誤解している人があまりにも多い。視覚も動きも制限されるスーツの中で、ヒーローだから激しく危険なアクションをする。これが映画ならいざ知らず、テレビで40年以上に渡って、普通のように流れされている日本はとんでもなくすごい国なのだ。

◯2015年現在、「ウルトラ」「ライダー」「戦隊」シリーズは続いていて、ジャリ番組扱いこそはされなくなったが、日本アカデミー賞にノミネートにされることはない。未だ「子供とマニア向け」「所謂イケメンによる一過性の人気」という偏見があるのではないか?それにおもちゃを必ず沢山紹介しなくてはならないというジレンマがある。また、人が死んだり、バスジャックや毒殺もNGになり、最近は悪の側の事情が詳しく語られ、最近のヒーローはやたら悩むタイプと、一切の空気を読まない脳天気タイプの両極にふれるようになった。それに政府主導のクールジャパンは、商売が全面に出る。ホントの目的は、日本のヒーローが訴えてきたことに共感してもらう事だろう。これを観た国同士の人々が、お互いがわかり合えば、それは日本の安全保障にもつながる。

◯日本は「八百万の特撮ヒーローの国」である。ヒーローたちが伝えたかったこと。大人向けのドラマでは「青臭い」とされ、ストーレートに表現しづらい正論を真正面から説くところに、筆者はヒーロー作品の真髄があると思っている。(219p)
例えば、ウルトラマンAの最終回、夕陽の中にすくっと立って彼は「優しさを失わないでくれ。弱いものを労り、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようとも。それが私の最後の願いだ」と述べた。
そして一貫して「諦めない」ことも説く。
ヒーローたちの中に暴力を推奨するものなどいなかった。ウルトラマンは事情がある怪獣は宇宙に帰していたし、仮面ライダーが怪人を殴る時の顔からは、その拳の痛みまでもが伝わってきた。ヒーローたちの洗礼を受けた私たちの世代は、いつの間にか社会の中核を担っている。私たちはいまだに何が正しいのか迷うことも多い。それでも、人々に困難が降りた時や、被災地に向かう人々などに、私たちは、確実にヒーローたちの姿を見ているのではないだろうか。


本書は、2015年までの特撮ヒーロー番組を全て見渡した上で「特撮ヒーローは、正に八百万の神、子供たちの理想の姿を、衒いも無く真正面から語っているところに特徴がある」という一点を、通史として論証するために書かれた本である。この人の「全て見た」という自信からくる「真正面の論」は、とても新鮮な論であり、彼女だけの論だと思う。勿論、細かい瑕疵はあるだろう。でも、このような歴史全てを見渡して書いた本が今まであったろうか?私は大いに支持する。

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2024年02月25日

Posted by ブクログ

日本特撮党党首、われらが美潮さまの渾身の一作。腰巻きに寄せられてる昭和トリプルライダーと水木アニキからの推薦文。表紙を開く前にいきなり豪華すぎる。

イケメンについて書いてあるのかしらん、なんて思うと思い切り返り討ちに遭います。硬派!初期の特撮作品に関する記述がすごいボリューム。川内康範先生の3部作についてとか、個人的に待ちわびた論考も満載でした(実はこれらの作品群がかなり好きだったんだけど周りにあまり共有できる人がおらず…)。

ライダー、ウルトラについては他にも詳しいだけならたくさんの本が出てるわけだけど、それらにとどまらない石ノ森ヒーローや巨大ヒーロー、カルトヒーローたち(ズバットはこの枠)についても頁が割いてある、特撮ラバーには嬉しい内容がいっぱいで物足りなさは感じなかった。

また、個人的にはスーツアクターさんについての章が非常に“痒いところに手が届く“もので、いっそのこと美潮さんに次はスーアク論を分厚いボリュームでお願いしたい!と思った。

昭和世代の私たちには最近のスポンサー縛りがきつすぎる中での作品づくりについて、状況に理解はできつつも何とももどかしい思いがあると思うのだけれど、そこは著者も思いを強くするところなのだろう。愛情は抱きつつ(愛するがゆえに)苦言を呈さずにはいられないつらさが滲み出ているように感じた。

個人的に思うところがまったくないわけではないのだけど、そこは単に好みや思い入れの問題であって言い出すとキリがない。それより、これだけの労作をものした著者に敬意を表する思いで☆5です。

追記:最近の作品は自主規制もあってか人が死ぬシーンを見せない、という表記があったように思うが、たとえば最近の平成ライダーでは「鎧武」など物語上表現される“人の死“についてきちんと描かれていたことは記しておきたい。

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2015年07月26日

Posted by ブクログ

昭和の特撮ヒーロー時代の初期にびったり
世代的にあっているのですが。実は
ほとんどリアルでは見ていないのです。
仮面ライダーは、四国の高松では放映されておらず。
親が厳しく、テレビをあまり見せてもらえなかった
ことを覚えています。でも、仮面ライダーは父母の実家
の大阪に帰省した時に見ていたこと。ウルトラマン。
ミラーマン。キカイダー・ハカイダーなどは
どこかで見ていたのだろうと思います。なんとなく
覚えています。

子どもが小さい時に仮面ライダー・戦隊もの・それ
以外のヒーローものはよく見ました。
仮面ライダー電王などは、子ども本人よりも、
楽しんで見ていたと思います。
おもちゃもいっぱい買わされました。

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2015年08月09日

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