あらすじ
なぜ人はアーティストを目指すのか。なぜ誇らしげに名乗るのか。美術、芸能、美容……様々な業界で増殖する「アーティスト」への違和感を探る。自己実現とプロの差とは?最新事情を増補。
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Posted by ブクログ
「アーティスト」という言葉に魅かれる不思議さ、浅ましさについて。
誰でも「アーティスト」になれる状況で「アーティスト」とという言葉の定義を考えてみるには適している。
「他者」の存在とアートという観点が「アーティスト」には、必要なことと気づかされる。
文庫版、あとがきのもう、「サブカル」は存在しない、という言葉はこれから、先、一つのテーマになっていくはず。
ただ、これから、先、アーティストという「職業」がなくなることには納得できない。
嫌みな文体も好きと言えば好き。
Posted by ブクログ
あとがきが一番面白かった。かも。
結論 「セルフブランディング」のために「アート」という表現を手段として使っている人をアーティスト症候群というのかなと。
どういうことかと言うと。 極端なことを言えばただ好きなものを作りたい、もしくは作るのが好きなだけならば公の場に出す必要はない。
何か公の場で表現するということは、少なくとも伝えたい「事」があり、伝えたい「人」が存在するはずである。
にも関わらず、コンセプトを伝えきれない。何か言われればそれが「自分のこだわり」だとか「分かる人に分かればいい」とか開き直る。
「分かってもらう」ことがゴールでないにしろ、
公に発表するということは、表現のコンセプトは自分の中に絶対なくてはならないもので、聞かれたら答えられるものとして存在しなければ作品を発表することの意味はない。
なぜならばそれが「不快」を与えるものであった場合、相手を納得させられるだけのコンセプトがなければただの「暴力」になるのではないかと私は思いました。
「表現の自由」を盾に「やりたいこと」「こだわり」を発信するのなら、ブレないコンセプトは持っていなければならない。 いつでもそれを出せる状態にしておく責任は表現者にはある。
自戒を込めてそんなことを感じました。
芸術表現そのものを伝えたい、理解してもらいたいというよりは、そんな表現を手段として使っている「自分」を理解してほしい。なんとなくかっこいい「アートな自分」を認めてほしい。 そういう状況に陥っていることを著者は「アーティスト症候群」と名付けたのではないでしょうか。
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どうやらこの本に、もう少し辛口を期待してたのだと思う。
そのためか穏やかな気持ちで読み終えてしまった。
あとがきには、嫌な気持ちになったと思うなんてことが書かれていたが、ほぼ共感できる内容で新鮮さもなく相づちを打ちながら読んでいる感覚でした。
この本には「アーティスト、クリエイター」という肩書きは魅力的なイメージを保持し続けていると書かれている。
そして、基本をスルーした人たちの逃げ道としての肩書きであるかのようにもかかれている。
自分流だとか自然体だとかでごまかして「オンリーワンの自分を認めて」なんて人が「アーティスト」を名乗り出したらその肩書きは魅力的なイメージどころか安っぽくなる一方だと思うのだけど。
不思議である。