あらすじ
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新渡戸稲造の『武士道』には、現代の日本人が忘れてしまった普遍的思想が貫かれている。その深遠な日本精神を、戦前日本の教養教育を受けて育った台湾の哲人政治家が、古今東西の哲学知識を総動員して解説する。 ノーブレス・オブリージュ―高貴な身分の者に課せられた義務。著者は「武士道」の本質をそこに見出す。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
プロテスタントと武士道の親和性から紐解く体験的日本人論に納得しました。素晴らしい。在りし日の日本人論であるとともに、生き方の処方としたいなあ、ノスタルジーにしてはならないと強く思いました。
Posted by ブクログ
「武士道」解題
ノーブレス・オブリージュとは
著:李 登輝
紙版
小学館文庫
台湾で日本人の一人として育ち、帝国軍人として終戦を迎えた、日本人以上に日本人らしい、台湾の李登輝総統の、日本人へ向けた応援の書が本書です。
本書の結論は、日本人よ自信を持て、日本人よ、「武士道」を忘れるな です
日本人の心は、大和心という
本居宣長 敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花
この 大和心こそ、日本人が、最も誇りに思うべき普遍的真理であり、人類社会がいま直面している危機状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか
吉田松陰 かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂
気になったのは、以下です
日本の教育を重視した書
善の研究 西田幾太郎
武士道 新渡戸稲造
鈴木大拙 禅と日本文化
教行信証 親鸞
百田百三 愛と認識との出発、出家とその弟子
カント 純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判
外来の文化を巧みに取り入れながら、結局のところは、自家薬籠のものとして自分にとってより便利で都合のいいものに作り変えていく このような新しい文化の創り方というのは、私は一国の成長・発展という未来への道にとって、非常に大切なものだと思っているのです
他人のためではなく、克己、すなわち、自分に克つため
人格主義:世界観、および、価値観の中心に人格という概念を据える思想のこと
Be honest! 正直であれ
結局、唯物主義や、功利主義、享楽主義などというものは、すべて人生の価値の否定につながっていく
山中鹿之介 憂き事のなほこの上に積れかし 限りある身の力ためさん
死を知ることによって、生をどう生きるかという問題意識を持つことが何より大切なのです
陽明学の知行合一、知ること、と、実行すること、とは本来2つには分けられないという言葉です
実践重視、体験重視の立場をとりました
孟子 仁は人の心なり、義は人の路なり
論語 義を見てなさざるは勇なきなり
いったん緩急あるときの、勇気や、誠に必要なのは、平静、すなわち、心の落ち着きだ
孟子 天下心服せずして王たる者はいまだこれあらざるなり
中庸 仁は人なり
仁が人を生み、人が仁を生む
菅原道真 東風吹かば、匂ひおこせよ梅の花、主なしとて春なわすれそ
孔子 徳、孤ならず、必ず隣あり
目次
はじめに -いま、なぜ「武士道」か?
第1部 日本的教育と私
第1章 世界に目を開いてくれた先哲の教え
第2章 新渡戸稲造との出会い
第3章 新渡戸稲造、国際人への旅立ち
第2部 『武士道』を読む
第1章 道徳体系としての武士道
第2章 武士道の淵源
第3章 義
第4章 勇・敢為堅忍の精神
第5章 仁・惻隠の心
第6章 礼
第7章 誠
第8章 名誉
第9章 忠義
第10章 武士の教育および訓練
第11章 克己
第12章 自殺および復仇の制度
第13章 刀・武士の魂
第14章 婦人の教育および地域
第15章 武士道の感化
第16章 武士道はなお生くるか
第17章 武士道の将来
あとがき
参考・引用文献
付 慶応大学三田祭・幻の講演原稿 日本人の精神
解説 田原総一朗
ISBN:9784094057928
出版社:小学館
判型:文庫
ページ数:352ページ
定価:600円(本体)
2006年05月01日初版第1刷発行
Posted by ブクログ
こういう人が日本にも出て欲しいと思う。頭がいいのは当然ながら、ノーブレス・オブリージュを本気で進めた人だと思う。義・勇・仁・礼・誠。昔の人はこれらの文字が意味するところを懸命に考え、筋の通った行動を取ったのだと思う。もちろん昔と今では状況の複雑さが違うが、だからといって物事の基準、行動の規範がブレてしまってもイイ、という訳ではないし、複雑だからこそ基本がしっかりしていることが求められると思う。理屈ではなく、そうあるべきもの、という世界。それを宗教というのかどうか分からないが、どちらが正しいかとなった時に基準になるべき考え方はあってもいいんじゃないか。最近はそういう考え方をせず、自分にとって都合が良いか悪いかだけで動く人が多い気がする。李登輝もそういう日本が心配になったのだろう。
Posted by ブクログ
台湾でなぜあんなにも歓迎されたのか。
道端で足を止めてまで、日本が好きだと伝えてきてくれたのか。
日本統治時代に、
日本は徹底して台湾の人々に武士道の精神から、教育を施してきた。
洋の東西を問わず、様々な古典を台湾国民に読ませた。
作者の李登輝氏は、
その統治時代があったからこそ、今の台湾があると考え、台湾の先人たちが隠したがる自分達の失態をも含めて、国民に教育を施した。
結果として、
台湾人は事実をありのままに受け止めて
自身の国のルーツを知り、自立した国民へと成長した。
日本への感謝がそこにはあった。
リスペクトが。
それは、
今の私たち日本人の先人たちのおかげである。
700年間培い養ってきた大和魂、武士道精神を自らの足で踏みつけてきた戦後日本が、
立ち上がっていけるかどうか。
日本人の真価が今試されている。
Posted by ブクログ
読み終わった, まずは、本書の抜粋を読んでください。---231~232ページ かつて、ルース・ベネディクトは、名著「菊と刀」の中で、「日本人は『恥の文化』に生きてきたから、『罪の文化』にとらわれてきた西欧人とは全く異なった、世界でも特異なアイデンティティーを確保するに至った」 と指摘しました。しかし、いまの日本のどこに真正の「恥の文化」が生き残っているというのでしょう。カーライルも、「恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である」 と言い切っています。敗戦の直後に、アメリカの高名な文化人類学者から、「日本人の国民性」をあれほどまでに高く賞賛されたというのに、この直後から、自らの足で「武士道」を踏みにじり、「恥の文化」を捨て去った ――― これが、私が最も愛した日本というすばらしい国における戦後史の偽らざる実態であったとすれば、かえすがえすも無念至極なことと言わざるを得ません。--- 著者は元台湾総督、李登輝氏です。日本人よ、自信を持て、日本人よ、「武士道」を忘れるな、と戦前、戦中を日本人として生きた著者は、我々に呼びかけます。日本をこれほどまでに愛し、自身の祖国と中国との関係悪化の危険性を冒してまで本書を出版した李登輝氏の心情には、計り知れない尊さを感じざるを得ません。 今の日本は、世界に類を見ない自虐的史観を持ち、一方で、小ざかしい処世術と、拝金主義がまかり通る情けない国家となってしまいました。しかし、このような状況を予期し、警鐘を鳴らし、本来、大和民族に備わった精神文化を伝える著書を残した新渡戸稲造を生み出したもの日本であり、非征服民である李登輝を前述のような心情たらしめたのも日本であります。今こそ、個々人が、本来の日本精神文化とは何か、本書や、武士道(新渡戸稲造著)に問うべき時なのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
昔の日本の教育ってすごい!こうやって自分を省みずにこの国の将来を思って教育に人生をかけた人がいたから、今の私たちがあるんだ、と実感でき、私も将来の子供たちの為にがんばろうと思える一冊。
Posted by ブクログ
李登輝の「武士道」との出会いや、それが人生や総統としての考え方にどう影響したかを知れる。彼が強調しているのは、無私の精神。西郷隆盛の考え方に共通するものがある。また、経営者に求められる高い志にも通ずる。凡人は高い地位に就いたからこそこれらを意識するものだと思うが、彼等は違うのかもしれない。
Posted by ブクログ
ある取引先のトップがこの本について社内勉強会をしているとの話をお聞きし、単純な自分はたまたま古本屋で見つけ読んで見た。
第一に基礎知識の足りない自分には読んですべて理解するには時期尚早だったようです。
理解出来たのは李登輝さんのとてつもない教養の深さと哲人ぶり。親日家というのは、表面的なものではなく、もっと精神世界における繋がりであることが良くわかる。
随所に出てくる引用文献の数々。ゲーテの『ファウスト』やカントの『衣装哲学』等をまったく読んだことの無い自分の無知ぶりを改めて痛感する。
新渡戸稲造の武士道の原文は英語で書かれ、それを台湾出身の李登輝さんによって『現在の日本へもっと自信を持ちなさい』とお叱りを受けているという複雑さな感覚。
今の日本のリーダーたる方々によく読んでいただきたい。
また我々国民の方も諸問題の本質がどこにあるのか、もっと勉強しないと我利我利の口の上手い輩のプロパガンダに簡単に流されます。
引用文献にあるような書籍を一通り目を通してから改めて再読したい一冊。
Posted by ブクログ
キリスト教、哲学、日本思想、儒教など広範な知識を持つ文化人であることに驚きました。また台湾は中国、韓国と異なり日本に好意的だと聞いていましたが、なるほどという感じでもあります。新渡戸稲造への心酔ぶりも日本人以上に日本的な部分を持っている著者を感じます。外国から今の日本が精神的バックボーンを失ってしまっていることに警鐘を鳴らしているわけですが、古い日本の良さを知っていた人が客観的な立場から発言しているだけに、余計に今の日本の政治家の理念のなさを痛感しました。(中曽根氏の立候補断念の際の言葉に通じるものがあります)一方、敬虔なクリスチャンである著者が現在の中国指導部の話になるといささか、興奮して悪口気味になるのが、人間味があって一寸面白く、やや違和感も感じた部分です。ただ、同じプロテスタントではあるものの、残念ながら靖国神社参拝への肯定的スタンスは私には理解できないところでした。