あらすじ
終戦直後、GHQにより廃止の瀬戸際に立たされた靖国神社は、皇族出身の筑波藤麿宮司の指導のもと、様々な改革を実施していった。筑波宮司は昭和天皇の意を汲み、A級戦犯の合祀を求める圧力に終始、消極的な姿勢を崩さなかった。
1978年に筑波宮司が亡くなると状況は一変する。筑波氏の後任と目されていた権宮司に、靖国神社の職員寮内のいさかいから反感をもった反権宮司派は、靖国神社以外から新宮司を招聘すべく画策する。そして新宮司に選出された松平永芳氏は、自らの特異な信念に基づき、就任したその年にA級戦犯の合祀を決行した。
記者が「まるでその場にいたかのようだ」と、靖国神社関係者を驚かせた徹底取材で、 昭和天皇の意すら介さぬ松平氏の独特な政治・思想はどのように育まれたのか、靖国神社の最高意志決定機関・崇敬者総代会の内情、そしてA級戦犯合祀の真相をえぐりだす「靖国問題」の決定版的一冊。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
戦後の靖国神社の内情をA級戦犯合祀に焦点を当てて解説する一冊。
靖国神社という一個体としてではなく、
時代時代の宮司、権宮司、政治、官僚、遺族会など
数多くの人物や団体を絡めた内容となっており、
非常に納得が行き、かつ面白い。
特に戦後30年強、なぜA級戦犯が合祀されなかったのかが、
筑波藤麿という一個人を軸に説明され興味深かった。
神道の持つ懐の広さから、世界平和を希求する発信基地としての
靖国神社像は今から考えると大変に美しい。
また、それを良しとしない人物らが当然のようにおり、
その大きな意思によって抜打ち合祀それた経緯は、
戦後総括の矛盾そのものであるように感じられ、悩ましく思う。
よく調べられた良書。
Posted by ブクログ
靖国神社で会うことを誓って死んでいった天皇の赤子が祀られている靖国神社に、A級戦犯が合祀されてからは昭和天皇は一度も参拝されなかった。遺族の方々はさぞ悔しい想いをされたことでしょう。戦犯の分祀もできないとなれば、今後天皇の参拝もないことになるのでしょう。また、国家が靖国神社を管理することも、憲法に定める政教分離規定に抵触するため法案は廃案になっています。このような様々な問題を生むことになったA級戦犯の合祀を敢行したのが、松平春嶽の直系の孫である松平永芳であった。
Posted by ブクログ
靖国神社は普通?の民間の神社にはなかなかなれないと思いました。やはり戦争を押し進めた経緯を反省するとか、責任を認めるとか、そういう態度をとりたくない政治が反映されている神社なのだと思いました。
Posted by ブクログ
A級戦犯を合祀した松平正芳は、靖国反対派からは大悪人と思われているだろうが、かれはもともと郷里の福井市立歴史博物館館長としてその余生を送ろうとしていた。それが靖国神社という宮司になったのは、戦後筑波宮司のもとで戦後の民主主義と平和主義を掲げていた靖国神社を面白く思わない勢力の巻き返しであった。松平氏はひたすら国家と皇室の護持に生きた人で、人間としてはいちずでよこしまのない人であったろう。しかし、そんな人が靖国の宮司になったことで、78年以降の靖国神社はもはや戦死者を慰霊するところではなくなってしまった。筑波宮司と松平宮司の人物像、それに靖国神社における意志決定のしくみを探った労作。