終戦直後、GHQにより廃止の瀬戸際に立たされた靖国神社は、皇族出身の筑波藤麿宮司の指導のもと、様々な改革を実施していった。筑波宮司は昭和天皇の意を汲み、A級戦犯の合祀を求める圧力に終始、消極的な姿勢を崩さなかった。
1978年に筑波宮司が亡くなると状況は一変する。筑波氏の後任と目されていた権宮司に、靖国神社の職員寮内のいさかいから反感をもった反権宮司派は、靖国神社以外から新宮司を招聘すべく画策する。そして新宮司に選出された松平永芳氏は、自らの特異な信念に基づき、就任したその年にA級戦犯の合祀を決行した。
記者が「まるでその場にいたかのようだ」と、靖国神社関係者を驚かせた徹底取材で、 昭和天皇の意すら介さぬ松平氏の独特な政治・思想はどのように育まれたのか、靖国神社の最高意志決定機関・崇敬者総代会の内情、そしてA級戦犯合祀の真相をえぐりだす「靖国問題」の決定版的一冊。
Posted by ブクログ 2013年09月29日
戦後の靖国神社の内情をA級戦犯合祀に焦点を当てて解説する一冊。
靖国神社という一個体としてではなく、
時代時代の宮司、権宮司、政治、官僚、遺族会など
数多くの人物や団体を絡めた内容となっており、
非常に納得が行き、かつ面白い。
特に戦後30年強、なぜA級戦犯が合祀されなかったのかが、
筑波藤麿とい...続きを読む
Posted by ブクログ 2009年10月07日
A級戦犯を合祀した松平正芳は、靖国反対派からは大悪人と思われているだろうが、かれはもともと郷里の福井市立歴史博物館館長としてその余生を送ろうとしていた。それが靖国神社という宮司になったのは、戦後筑波宮司のもとで戦後の民主主義と平和主義を掲げていた靖国神社を面白く思わない勢力の巻き返しであった。松平氏...続きを読む
Posted by ブクログ 2015年09月19日
靖国神社で会うことを誓って死んでいった天皇の赤子が祀られている靖国神社に、A級戦犯が合祀されてからは昭和天皇は一度も参拝されなかった。遺族の方々はさぞ悔しい想いをされたことでしょう。戦犯の分祀もできないとなれば、今後天皇の参拝もないことになるのでしょう。また、国家が靖国神社を管理することも、憲法に定...続きを読む