あらすじ
2015年参議院予算委員会で三原じゅん子議員が「八紘一宇」ということばを口にした瞬間、部屋の空気が変わり、ざわついた。戦時中の日本の海外侵略を正当化する役割を果たしたと認識される一方で、宮沢賢治、石原莞爾、北一輝らを魅了した、日蓮主義者・田中智学のこのことばは、どういう意味そして経緯で戦前戦中の日本人を、天皇を中心とする熱狂に駆り立てたのか? そして戦後、八紘一宇はどう生き延び、日本に溶け込んでいったか? 現代に連なる日本的精神を読み解く画期的論考。
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Posted by ブクログ
2015年3月16日に三原じゅん子(元コアラの嫁)が衆議院で、戦時中に日本の海外進出を正当化する役割を果たした「八紘一宇」ということばを持ちだすという出来事あった。
この言葉について宗教学者の島田裕巳氏が解説した本。
軽い気持ちで読み始めたら、田中智学から日蓮主義、そして日蓮主義者であった宮沢賢治や満州事変の首謀者である石原莞爾へと話が進み、読むのをやめられなくなった。 そして血盟団事件や2.26事件などへも話は展開していく。
戦前の日本で日蓮主義がいかに力を持っていたかや、日蓮の教えを基礎として創価学会など、三原じゅん子はどこへやらで日本の近代史を学べてとても面白かった
。
創価学会のライバルであった霊友会のメンバーが新たに立ち上げたのが立正佼成会なのだとか、知らなかった事実も知る事ができた。
創価学会も立正佼成会もどちらも日蓮の教えの流れを汲んでいるので、現代の日本でも日蓮教えが受け継がれているという事になる。
ぼくは無宗教ですが、新宗教に興味がある方にもオススメしたい一冊です。
Posted by ブクログ
八紘一宇。なんとなく戦時中に国民意識を高揚させるために使われていた言葉だということは知っているけど、詳しいことは知らない。戦争を煽る言葉のようで、なんとなく口にすることも憚られる雰囲気がある。だから、書店でのこの本を目にしたとき、八紘一宇について知りたくてすぐに買った。
国会で三原じゅん子が八紘一宇発言をしたのは2015年の3月だ。麻生太郎財務大臣は、宮崎県にある八紘一宇の塔(現在は平和の塔)について言及した。実際に、そんな塔があるなんて知らなかったし、戦争肯定として捉えられるからPHもしていないんだろう。八紘一宇の塔は紀元2600年ということで、昭和15年に宮崎県知事の発意で完成したらしい。
では、八紘一宇という言葉はどこから来たのか。それは、田中智学が造語したらしい。田中智学は国柱会の設立者だ。そして、国柱会は時代を動かす思想的原動力のエンジンとなった。二・二六事件しかり、国体論しかり。また、その運動に関係した人は、石原莞爾であり、宮沢賢治であり、牧口常三郎という面々だ。少なからず現代にも影響を与えている。だからこそ、避けられる言葉なのかもしれない。
このあたりは、もう少し勉強したいなと思う。そのための入口本としてはいい本だと思った。
Posted by ブクログ
日本人は無宗教の人が多いと言われるが、多くの人がクリスマスは祝うし、正月には神社へお参りしたりする。また先祖のお墓参りも多くの人は欠かさず行っている。どこからどこまでを宗教を信じる人=信者というから微妙だが、昔読んだ本では、神道や仏教、キリスト教などを織り交ぜたミックス宗教を信じてると言えるのかもしれない。もちろん純粋にキリスト教やイスラム教、仏教の信者も沢山いるし、最近では統一教会で話題になったが新興宗教の信者も沢山いるだろう。人それぞれ何らか程度の差こそあれ、何かを信じて生きている人の方が多いかもしれない。また、そうした行為はそれなりに信じる人に勇気や活力を与え、生きる上での指針になっていると感じる。だが、そうした力が思わぬ方向へ人を導く事もあり得る。かつてのオウム真理教の引き起こした事件や、海外におけるテロ事件などもその一つだ。熱心な教徒が心まで完全にコントロールされ、通常では考えられない凄惨な事件を引き起こす事は過去の歴史に於いて何度も人類は経験してきた。中国史の中にも、西洋史の中にも、日本の歴史に於いてもだ。
日本がかつてアジア太平洋を戦場に侵略的な行為を繰り返した戦争では、「八紘一宇」のスローガンの元、世界を万世一系天皇の下に統一する必要があるという考え方が存在した。本書は近年、政権与党の自民党議員がそれを国会答弁で発言した事から、その言葉の意味や成立の過程、その後の社会でどの様に影響してきたかについて述べている。少しこの辺り、太平洋戦争関連の歴史書を読んだ方なら、この八紘一宇の言葉には、満州国設立の歴史を思い浮かべる人も多いだろう。五族協和と並ぶこの言葉をスローガンに、民族の違いを超えて共存する事を目指した満州国。そしてその設立に深く関わった石原莞爾なども本書には登場する。八紘一宇の言葉を中心に繰り広げられる歴史の事件が次々と紹介されていく中で、その言葉を生み出した田中智學の考え方、さらにその土台となった日蓮の教え(智學自身はその後、還俗)。智學は日蓮宗の影響を強く受けながら、日本は天照大神を祖とする万世一系の皇統が支配する国体の考え方を中心とした国柱会を設立。その国柱会を支持する思想家、文学博士の高山 樗牛。文学といえば、石川啄木の「アメニモマケズ」の一節にも仏教に帰依した啄木の姿を見る事ができる。日蓮の教えが彼らのベースにあり、その教えを各々の考え方や生き方に照らし生涯を捧げていく人々。
若い頃は世の中を動かしているのは「教育」と「宗教」だと考えていた私にとって、この日蓮の教えが果たした役割の大きさは計り知れず、かつそれが全ての根元にあるとは言えないまでも、大きく影響し、影響ある人々に手段として用いられた場合に生じさせるインパクトの大きさに改めて驚かされる内容だった。日本は確かにその後戦争に突入し、その方向に向かう道を歩む人々の中に間違いなく、こうした考え方を持つ人間と、それにより全てを正当化しようとする人間がいた。そして、血盟団事件で有名な井上日召、二.二六事件の精神的支柱となった北一輝、同事件やそれ以前の五.一五事件の首謀者となった陸海軍の若く血気盛んな将校達。それら多くの人々の人生が変わっていく背景には、間違いなく宗教的な要因が大きく影響している。戦後も一時期は得票数で第二党まで上り詰めた創価学会。そして様々な新興宗教も生まれ、今なお人々の心の支えとなるだけでなく、心の支配者として君臨している状況は続く。
果たして、世界平和や全ての人々の安全・平穏・平等・幸福にどの程度宗教が寄与しているかは、定量的に測る事はできないものの、人々の生活に深く浸透し、政治や経済を動かす力になっているのも事実だ。我々は決してそれらに制御されてはならないが、寄り添って生きる程度に於いては、少しの安心と活力になり得る宗教。そして今日も「(お命)いただきます」と言いながらご飯を頬張る自分がいるのだ。