あらすじ
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怪しげな雰囲気を持ち、様々な仏がいて、修行が厳しい……。そんな一面的なイメージで語られがちな密教は、実は日本仏教の根源に深く関わっていた──。密教の成り立ちや他の宗派との関係などの基本から、「曼陀羅」「真言」といった用語の意味、日本に密教を伝えた空海の生涯、特徴ゆたかな仏たち、そして密教最大の目的「生きながら仏になる」とはどういうことなのかまで、密教が持つ独特の世界観が、豊富なイラストとわかりやすい文章で楽しめる。
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Posted by ブクログ
【読もうと思った理由】
仏教の勉強をしていると「密教」が出てくる場面が多く、仏教を学ぶ上では密教も勉強してみた方が良いと思い、初心者にも優しそうなこの本を手に取ってみました。
【感想】
密教について、初心者にも分かりやすく、イラストも多く解説されていて、かなり分かりやすく入りやすい内容でした。また、日本密教の開祖と言ってもいいような空海についても詳しく分かりやすく解説されていて、その人となりが理解出来たのが良かったです。
ただ、密教については「宗教だなぁ…」という印象が強く、個人的にはいまいちピンと来ませんでした。もしかしたら、また数年経ったら捉え方も変わるかもしれませんが、なかなか入り込みにく印象がありました。
【以下、本文で気になった箇所をメモとして残します】
密教は平安時代に日本へ伝わった(公式に)
奈良仏教には密教部があり、祈祷も行われていた
「日本の仏教=日本密教」と称しても
過言ではないほど、空海が日本に伝えた密教が、 日本の仏教の「核」となっている。
四諦とは、人生とは何ぞや、という真理を理解するための4つの真理。これを理解することで、人生の苦の原因を説いた。
八正道とは、解脱に至る修行の基本となる、8つの徳であり、正しい行いのこと。これを実践することが修行となる。
▼「四諦」について
苦諦 【くたい】
苦という真理。「人生は生老病死という苦しみに満ちているということを知り尽くしなさい」
減諦【めったい】
苦の滅という真理。「煩悩をなくせ。 そうすれば苦しみは生じない。心は平 和に包まれる」
集諦 【じったい】
苦の原因という真理。「苦しみが生じる原因は、自分の欲望が満たされないと不満を抱くことにあるのだ」
道諦 【どうたい】
苦の滅を実現する道という真理 (=八 正道)。「正しい8つの行動の実践に より、悟りの境地へ至ることができる」
▼八正道について
正見 【しょうけん】
四諦を正しく理解し、正しくものを見、 そして理解しなさい
正思惟 【しょうしい】
俗世の価値観にとらわれず、正しくありのままに考えなさい
正語 【しょうご】
ウソ、悪口、無駄話をしない。そこから身を遠ざけなさい
正業【しょうごう】
殺生、盗み、社会道德に反する性的関係から身を遠ざけなさい
正命【しょうみょう】
所有することへの隷属から離れ、正当な仕事を持ち正直に生きなさい
正精進 【しょうしょうじん】
まっとうな努力をしなさい。安易な方法をとらないこと
正念 【しょうねん】
いま現在の内外の状況に気づきなさい。 正しく思慮深くあること
正定 【しょうじょう】
正しい集中力を持ちなさい。それにより正見を得ること
空海は、「密教」に対しそれ以外の仏教の立場を「顕教()けんぎょう」 とひとくくりにした。顕教が主に教典の研究、あるいは言葉の理解によって解脱の道を模索しようとするのに対し、密教は「大日如来」から真理を直接、体を使った修行によって得ようとする。
この思想が、密教思想の基本であり、特徴のすべてでもあるといえる。
密教=秘密の教え・隠された教え。
教典の研究によってではなく、宇宙の命の根源たる「大日如来」から真理を直接、体得しようとするところに密教の最大の特徴がある。
大乗仏教は、人はみな仏になる種を持っており、自分よりも他人の幸せを願う「利他行(りたぎょう)」の精神を持つ。
自分自身の成仏を望むのであれば、一切衆生(生きとし生けるものすべて)を救いたいという心を前提とする。
主な経典としては…
「般若経』:大乗仏教の原点。多くの宗派で重視される。
「法華経」: たとえ話を多用、天台宗が特に重視する。
「華厳経」:東大寺を大本山に持つ華厳宗で重視。
「阿弥陀経」:浄土三部経の一つ。念仏によって救われる。
この大乗仏教と、古代から続くタントリズムが結びついたのが、密教だ。
密教は身体を使う修行を特徴とする。すなわち、 手に印、心に仏を思いながら、真言を何千・何万回も唱える三密行だ。
それによって仏に心が集中し、澄み切った没我状態=「三摩地(さんまじ)」の状態に至り、さらには、生身の身体のままで仏になる=「即身成仏」を目指す
真言=マントラ
「マントラ」とは、サンスクリット語。「マン」は「思う」、「トラ」は「手段、方法」を表す。本来の意味は「思考する道具」であるという。
マントラとは、サンスクリット語で本来は「思考する手段」の意味。神々に直接アクセスして、人間の思いを伝えるツールだ。密教の「真言」は「マントラ」を意訳した言葉
結印 真言+心に仏を思う「三密行」で仏とダイレクトにつながる。仏の教えを、身体をもって受け止め生身の人間のままで仏と一体化する 「即身成仏」を最終目的とする
曼荼羅は、仏教、とくに密教における世界観を表したもの
そこには宇宙の、そして仏の教えのすべてがある
言葉で表現すること のできない教えまでもを伝える、「絵で描いた経典」の役 割を果たしている
即身成仏とは、人間が宇宙と直接的に交流し、その存在を感覚的に理解し、最終的に宇宙と一体になることを目指す教えである
真言密教では、三密加持により、仏と合一を目指す。
行者は、手には印を結び(身の動き)、口では真言を唱え(口の動き)、 心を宇宙に投入する(意の動き)ことによって、宇宙の根源である大日如来と一つになろうとするのである。
そして、最終的に三密のすべてが大日如来と合一している状態を目指す。それが実現したときが、自らのうちに仏を体現した「即身成仏」である。
三密(身体の働き、言葉の働き、意の働き)
密教では、宇宙は「体・相・用」から成り立っているととらえる。体は物体・本質のことを表し、これを「体大(たいだい)」という。
そして、「体大」=「六大(ろくだい)」であると説いた。
六大とは「地・水・火・風・空・識」の6 つであり、この六大から宇宙のすべては成りたっている
▼六大とは?
・地=個体。固い性質。
・水=液体。流れ、清める性質。
・火=温め、上昇、浄化する性質。
・風=気体。活動や影響。「宇宙の呼吸」
・空=空間。包容力、無限の性質。
・識=心や理性。ものごとを意識する、決定する。心の知恵の働き。
密教では宇宙はこの6つの要素が混じり合い、お互いに影響し合って宇宙として統一されている。すなわち、人間や動植物などの生き物、あらゆるものが融合して一つの宇宙を形作っていると考えるのである。
そして、そのすべての宇宙の根元にある原理そのものが大日如来、言い換えると、宇宙は大日如来の身体であり、心そのものである
「十住心論(じゅうちゅうしんろん)」は悟りに至る心の状態を示す 10のステージである。と同時に、他宗教, 思想による心の到達度合いをそれぞれ10のステージに振り分け、なおかつその思想の歴史に則って順位付けをし、その位の頂点に自らの真言密教を位置づけた。
(第一住心)「異生紙羊心」:人間が本能、 欲望のままに生きている心のステージ。
(第二住心)「愚童持斎心」: 倫理や道徳へ目覚めている心のステージ。
(第三住心)「嬰童無畏心」: 仏教以外の宗教を信じる心のステージ。
(第四住心)「唯蘊無我心」:小乗仏教に目覚める心のステージ。
(第五住心)「抜業因種心」: 悟りの世界に気づく心のステージ。(小乗仏教)
(第六住心)「他縁大東心」 菩薩の境地である慈悲の心が生まれる心のステージ。(大乗仏教)
(第七住心)「愛心不生心」あらゆるものは空と悟る心のステージ。(大乗仏教)
(第八住心)「一道無為心」あらゆるものに仏性を認めようとする心のステージ。
(第九住心)「極無自性心」:宇宙の悟りを感じ取る心のステージ。ちなみに、真言密教と比べ、他の宗教での到達点はこの第九住心までだと空海は言及している。
(第十住心)「秘密荘厳心」人が仏と一体になる最終段階。究極の悟りを実現した心のステージであり、あらゆる真理に目覚めた状態。この段階に至ることが可能なのは、 真言密教のみであると空海は説いた。
空海の目的、それはこの世のあらゆる人々を救い、現世での利益を施すため、人々が仏になることができるように導くことだ。これを済世利人(さいせりにん)という
大日如来は、法身そのものを人格化した存在
顕教(けんぎょう)とは、釈迦如来が言葉や文字で明瞭に説き示した、誰にでもわかる仏教の教えのことです。真理を直接伝える「密教(みっきょう)」に対する言葉
▼密教と顕教の比較
〇現世での成仏は可能か?
密教:あり
顕教:なし
〇成仏するための期間は?
密教:現世で可能(三密の実践が重要)
顕教:三劫成仏(永遠のような時間の末に至る)
〇仰ぐ対象は?
密教:大日如来(法身そのものを人格化)
顕教:釈尊(歴史上の人物)
〇習得プロセスは?
密教:事相(三密)と教相が重要(大日如来へ直接アクセス)
顕教:経典の理解(釈尊の言葉へ)
▼曼荼羅
〇金剛界曼荼羅
日常的な世界から仏の悟りの世界への道筋や、仏が救済を説く道を表している。同じ仏がその道筋の中で何度も登場するのが特徴である
〇胎蔵界曼荼羅
大日如来の慈悲の世界をれた大黒天や弁財天なども配されている。 表している。如来や菩薩といった位の高い仏だけでなく、ヒンドゥー教から取り込まれた大黒天や弁財天なども配されている
「智」を表す金剛界曼荼羅と「理」を表す胎蔵界曼荼羅の2つを合わせて両界曼荼羅(りょうかいまんだら)と呼ばれる。
密教における究極の目標は大日如来との一体化=即身成仏である。これを実現させるために行うのが三密の行だ。
三密とは、「身密」「口密」「意密」である。
「身密」は身体的な働きのことで、その修行は手で仏の印を結ぶことなど。
「口密」は言語活動のことであり、口で仏の真言や陀羅尼を唱えること。
「意密」は心の働きをいい、意識を集中して(三摩地。三昧ともいう)、心を仏の境地に至らせること。
「密」は秘密を意味する。
密教では2つの秘密があり、それは「衆生秘密」と「如来秘密」である。「衆生秘密」 とは、人々が気づかずにいる、自分の中にある仏と一体化できる能力のこと。「如来秘密」とは人々にははかり知れない仏の教えことである。
印とは両方の手指を組み合わせ、仏や喜薩などの悟りの内容を象徴的に表現したもの、または宇宙の真理をそこに凝縮して表したものである。様々な形があり、これらは一つひとつに意味があり、また、仏、菩薩などそれぞれに固有の印がある
印を結ぶことで仏や菩薩に働きかけ、その力を受け取り、そしてそれらと一体化することができるのである。
密教の重要な儀式に「灌頂(かんじょう)」がある。仏と縁を結ぶ、密教の修行に入る、秘儀を授 かるなど、正統な継承者となるタイミング に行う儀式である
灌頂という言葉の意味は「頭頂に水を注 ぐ」というものである。この儀式はインドが発祥で、王の即位や立太子の式典などの際に行われていた。それが仏教にも取り込まれ、仏の智慧の水を授けるという意味合いを持つようになった
灌頂にはいくつかの種類があるが、主だったものは「結縁灌頂」「受明頂」「伝法灌頂」の3つである
〇結縁灌頂(けちえんかんじょう)
仏との縁結びを行う儀式。 出家した者だけでなく、在 家も授かることができる
〇受明灌頂(じゅみょうかんじょう)
弟子となり、深く密教 を学びたい者が、学ぶ ための許しを得る儀式
〇伝法灌頂(でんぽうかんじょう)
厳しい修行を正しく積 んだ者が阿閣梨となる ことを許される儀式
密教の様々な儀式において、必ずといっ ていいほど見られるのが「護摩(ごま)」である。 護摩は、火を焚くことによって仏に祈りを伝え、成就を願う修法であり、そのルーツはバラモン教にある
祈りとともに投げ込 んだ供物が焼かれ、炎となって天に昇り、 神へと届き、願いが叶えられるという
密教の護摩には2つの目的がある
〇外護摩(げごま)
炉に火を焚き、信徒や参拝者の願いの成就を願う
〇内護摩(ないごま)
心の内側に仏の智慧である炎を燃やし、煩悩を焼き尽くす
Posted by ブクログ
「密教とは何か?仏教とどのように異なるのか?」という疑問を抱えながら本書を読み始めた。密教と顕教のどちらが正しいのか、またどちらを信じるべきなのかについては、正直なところ全く分からず、そんなことは重要ではないのかもしれない。ただ、密教が当時の主流であった顕教と比べて、いかに先鋭的で画期的であったかは理解できた。天才・空海がその命を賭けて現世に伝えた密教には、一定の真理が含まれていると感じた。
【仏教の考え】
- 人の生死は悩み、迷い、苦しみに満ちている。
- 人間は何度も、動物を含む生物に転生する。この生まれ、死に、転生する一連の流れを輪廻と呼ぶ。
- つまり、永遠に続く輪廻の中で、人は永遠に苦しむことになる。
- 輪廻の苦しみから抜け出すためには(=解脱)、仏教の修行が必要である。
【密教の特徴】
- 密教は「秘密の教え」である。一般的な教え(経典の研究)とは異なり、宇宙の根源である「大日如来」から真理を直接体得しようとする点が最大の特徴である。「考えるな、感じろ」といったアプローチと言えるだろう。
- 修行方法は「三密修行」である。コロナ時代には絶対にアウトな内容だが(笑)、身体、口、心の3つを組み合わせた修行である。
- 身体:印を結ぶ。例えば、大日如来との合一を表す合掌である。
- 口:真言(仏の言葉)を繰り返し述べることである。
- 心:心の中で仏を思い浮かべることを指す。身体を使った動的な修行を通じて、静的な瞑想をパワーアップさせるという点が特徴である。
- 現世に生きながら、没我の状態を目指すことで即身成仏を実現できる点も重要である。顕教では、長い時間をかけて修行し、成仏することが求められる。
- 仰ぐ仏が異なる点もある。密教では大日如来、顕教では釈尊が中心である。大日如来は法身そのものを人格化した存在であり、キリスト教で言う「神」に相当する。一方、釈尊は歴史上の人物としてこの世に姿を現した存在であり、キリスト教で言う「イエス・キリスト」に当たる。