【感想・ネタバレ】従属国家論 日米戦後史の欺瞞のレビュー

あらすじ

昨今メディアを賑わせている集団安全保障、憲法改正論議には、現代日本をつくった「戦後の初発」という視点がすっぽりと抜け落ちている。日本の「戦後」とはいかにして始まったのか。実はそこには、大いなる欺瞞(ぎまん)が隠されていた。それを直視しない限り、ほんとうの憲法改正論議などできないのだ。本書では、戦後の始まりから平和憲法、構造改革からTPPに至るまで「戦後日本」を規定してきた「日米の非対称的な二重構造」を丹念に描き出す。なぜ、保守も革新も自ら進んでアメリカに追従してきたのか。なぜ、沖縄の基地はやめられないのか。なぜ、規制緩和の大合唱が起きるのか。それはわれわれが、意識している、いないにかかわらず、外交から政治・経済政策、言論に至るまで常にかの国の顔色を窺わなければならない「従属国家」だからである。だが、覇権争いとでも称すべき冷戦後の世界において、こうした「意識的/無意識的なアメリカ追従」はもはや最良の道ではなくなった。戦後70年間日本人が抱え続けてきたディレンマを鮮やかに切り取り、これから我々が進むべき方向を指し示す。現代を代表する思想家が放つ、待望の戦後論!

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Posted by ブクログ

佐伯啓思氏の持論が展開された本であり、今国会で論議されている欺瞞がよく理解できる内容だ。

ポツダム宣言受諾、GHQによる占領、サンフランシスコ条約へと進む、アメリカ的価値観への盲目的従属。

日本の独立を維持させるため開国し便宜的にも西欧化せざるを得なかった近代日本の矛盾。

真に日本の独立を希求しながらもう一度しっかり江戸末期から日本社会がとってきた態度を検証すべき時が到来しているのだろう。

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2015年05月28日

Posted by ブクログ

1952.4.28のサンフランシスコ講和条約で日本が占領体制から独立したことになっているが、実はアメリカの戦略によって、完全な主権を持つことができなかったという事実が、その後の日本の様々な問題の根源になっている ことを力説している.憲法9条の「国権の発動たる戦争と・・・永久にこれを放棄する」の部分の英語の原文を普通に訳せば、「国民の主権的権利としての戦争を永久に放棄する」となる由.主権を放棄していることになる.意図的な誤訳だ.
このような事実が次々に出てくる.勉強が必要だ.

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2015年11月29日

Posted by ブクログ

日本は敗戦によりアメリカに支配された。それが現在まで続いている事がよく理解できた。しかし、そこからの脱出は難しい事も分かった。

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2015年11月11日

Posted by ブクログ

戦後の日本を踏まえて、アメリカの従属国家であるということを説いた一冊。

自分がこれまで考えてきた、いわゆる右よりとも左よりとも違うバランスの取れた意見で、特にアメリカが日本を箱の外から覗いている状態という表現は、腑に落ちた。

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2015年11月02日

Posted by ブクログ

安保法案が論点になっているこのタイミングで読みべき本。日本人の大半が憲法も主権も国防も理解していない、勉強不足だと認識させられる。

国民主権とは何なのか、民主主義はどうあるべきか考えなければならない。

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2015年08月13日

Posted by ブクログ

アメリカという外の軍事力によって日本の安全を確保した上で、内においてはいっさい武力行使を放棄するという平和国家なのです。このことそのものが矛盾であり、欺瞞なのです。

普遍 universal uni 単一 vertere 方向づける ひとつのものへと方向づける

戦後がはじまったのは 1952/4/28 サンフランシスコと講和条約

単純に侵略戦争の一語で片付けられるような戦争ではなかった。
すでに戦争がおわって何十年もたって、それを歴史のそとから傍観してあまりに簡単に断罪すべきではないでしょう。まずは当時の人々がどのような意識をもっていたのか。その一点こそが重要ではないでしょうか

日本国憲法 占領下主権を持たない時に作られた

共和国は市民が武装して国を守る
アメリカに自国の防衛を委ねている日本は、主権国家にならない

技術的法的な手続き論も必要ですが、本当に重要なのは「だれが国を守るか」という原則論にこそあるのではないでしょうか

半主権国家の平和で民主的な60年

岸信介首相 新安保条約 日本は米軍に基地を提供する代わりに米軍は日本および極東の安全保障の責務を負うという、相互の責務を明確にしたもの。より双務的で、多少は対等に近づいた安保改定がなぜかくも国民的反対にあわなければならないのか、たしかに心外であったかもしれません

ポツダム宣言 トルーマン、チャーチル、蒋介石の連盟だが、事実上トルーマンが一人で作る
日本の戦争遂行能力が破砕されるまでは、連合国は、日本国の諸地点を占領する。日本から軍事的勢力がなくなるまで、日本国の中の諸地点を占領する。日本国を占領するとは書いていない

無条件降伏するのは軍隊 uncontional surrender of Japanese armed forces

天皇及び日本政府の統治権はGHQ最高司令官によって
従属する、外務省訳 制限される subject toの訳

アメリカに従属していながら、しかし日本の国内では、何か、主体的に物事を決めているかのように装っている。(戦後レジームの二重構造)

われわれが、いかにも主体的に物事を決定したと自ら考えている、そのこと自体を疑ってみたいのです。問題はアメリカでなく、われわれの側にある。われわれが自明だと思っていることそのもにおおきな落とし穴がある
それを生み出すのは、日米間の非対称な二重構造

無意識で自発的な自己検閲を生み出すことこそが、占領政策の重要な意味でした

1950/7 外務省がはじめて侵略戦争という言葉をはじめて使った。ここでは侵略戦争も無条件降伏ももはや当然のこととなっている 1945がら1952年までの間に、戦争解釈が大きく変わっているのです。自存自衛の戦争から侵略戦争に変わった

war guild information program

この戦争を日本軍国主義による世界秩序への挑戦とする侵略戦争観が、反省に基づくあらたな再生へと向かう日本にとっても実は好都合だったのかもしれない

朝日新聞こそが、戦後日本の公式的価値を代表した。戦後日本の公式価値とは、あの戦争を日本のアジア侵略によってはじまった侵略戦争とみなし、敗戦を連合国による日本の軍国主義からの解放とみる。そして占領政策をへて、日本は民主国家、平和国家へと再生したという歴史観

日米安保体制は、もともと、どうみても力の差がありすぎる。軍事力をもたない国(行使できない国)と軍事大国との同盟というのは奇妙なものです。だから本当のいみでも同盟にならない。同盟ごっこになってしまう

勝ち負けは力の問題であり、時の運であり、状況の問題である。敗北は分かっていても戦わなくてはならぬときはあり、戦うべき時に戦うこと、それ自体に義がある。その義をすてることは卑怯者のすることであり、卑怯者として生き残ることは義について死ぬことより恥ずべきことだ、という観念が日本には伝統的にあります。

諦念と覚悟という道徳

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2015年06月06日

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