あらすじ
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東京裁判のA級戦犯も合祀されている靖国神社。そこに参拝することは、日本人として負い目を感じなければいけないことなのか。“文化干渉”を毎年くり返す中国、韓国とそれにおもねる国内の反靖国派―彼らの“暴論”に対し、大原康男氏らが徹底論駁する。外圧に弱く閉塞する日本の核心は「靖国問題」にあるといっても決して過言ではない。日本人にとって靖国神社とは何なのか、今こそ、日本人にかけられた呪縛を解く!
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Posted by ブクログ
靖國神社について論じるには、知っておかねばならない「基本」が記してある。靖國神社と全国にある護国神社は、全く相違なく存在している。神社そのものと、参拝は区別して論じるべきだろうが、靖國の教義といわゆる東京裁判の見方が、どの保守派の言辞においても一致しているのは、論議が単調に過ぎる。東京都千代田区三番町にある「無名戦没者の墓」である千鳥ヶ淵戦没者墓苑(ちどりがふちせんぼつしゃぼえん)についても議論しているが、参拝者数についての論議に確執、宗教と国家の関係から論じていないのが残念。「宗教」としての議論の枠から外れており、他宗教の存在の仕方を認め無い可能性を持ち、その点での深みのある再構成が論議として靖國が神道という宗教であるなら必要だだろう。■伝統、習慣、習俗としての靖國と戦後の靖國の違いが存在様式としてあるからこそ、靖國の捕らえ方が、「保守」の側でも揺らいでいるとの問題意識が無いという点で、朝日新聞の靖國参拝非難とほぼ同じ位相にある。■国民国家としてのアイデンティティーとしての靖國に公準を求めるのは、大衆的、政治的には無理がある。後学によって守られ無ければならない古き良き「伝統」論とはなってはいないのが非情に慙愧に耐えない。