【感想・ネタバレ】日本国家の神髄のレビュー

あらすじ

偏狭なナショナリズムが渦巻くなか、愛国者にこそ読んでもらいたい!
長い間品切れだった『日本国家の神髄』、待望の新書版の登場!
そもそも祖国日本とはどのような国なのか?
日本国家を成り立たせる根本原理たる「国体」に関する認識が失われているからこそ、中韓ともギクシャクする。現代日本の生んだ知の巨人が、戦後GHQによって禁書とされた『国体の本義』を懇切丁寧に読み解き、「国体」を明確に呈示する(編集部による詳細な脚注・口語訳も附記)。
現下、われわれにとって重要なことは、わが「国体」を再発見することである。

主な内容
*「国体」は構築できない
*「日本神話」再確認の必要性
*「教育勅語」の根本とは
*われわれの抱く「天の感覚」
*日本は敵対者をいかに統合していったか
*ナショナリズムを超克する日本の愛国精神
*「大和」とは何か
*なぜファシズムはわが国体と合致しないのか
*出自同じくする日本人と日本の国土
*祭政教一致の日本
*超越性における欧米人との差異
*外来思想、知的遺産の土着化

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Posted by ブクログ

ネタバレ

戦後GHQが禁書指定した「国体の本義」の本文を全て掲載しながら筆者が解説する。

国体とは何か、そこに過去から未来まで変わらず存在し続ける日本の真髄こそが国体であり、国体の理解こそが今の日本に必要だと論じる。


というわけで読み終わった。正直、本文は読みづらかったのだが内容は何となく把握した。

戦後70年経った今、国体の本義というテキストには現代人の意識からは乖離した部分があると思うが、現代にも必要とされる思想も書かれている。
読んで思ったことを書いていこうと思う。

まず、国体の前提として、国体の本質は天皇を中心とした祭祀共同体である。そして高天原の御代から日本は神々の国であり続けるということ。

この前提が現代人の意識から乖離しているように感じる。

「神の国発言」で森総理が失脚したのは懐かしい話だが、この事からは「日本が神の国である」という思想に一般的日本人は忌避感を感じたという事だ。

竹田恒泰の「なぜ日本は世界でいちばん人気があるのか」を胡散臭く感じるのに似ている(俺だけ?)。

初詣には神社仏閣へ参り、それでなくても常日頃から神社に参り二礼二拍手一礼をする。
そういった日常的に行う習慣を指して「日本は神の国であるから、あなたも神社に行くのだろう」と指摘されると、それは違うと思う。さして意味は無く、ただなんとなく、そうするのだ。

そして、天皇は日本の象徴とされる。それはそうなんだろうと思う。しかし、日本の中心は天皇なのかと考えると違うと思う。

一般的日本人は普段天皇の事を考えることはない。だから、そう思えないのだ。


では日本の中心とはなんなのか。それはその時代の人たちが拠り所としたものではないのかと思う。

明治より前は知らないが、明治政府が国体を書き記してからは天皇が、戦後に心の拠り所としての天皇を失った人たちが頼ったのは経済発展という夢だろう。

そして、経済発展して伸び切った日本には拠り所が無くなった。日本の中心、拠り所の欠如がマイナス成長の原因ではないかとも思う。

一部の人たちが拠り所にしたのは新自由主義だったり、拝金主義だったり、しかしながらそれらはまやかしに過ぎなかった。

長くなってしまったが、国体の本質が天皇を中心とした神の国という意識は、すでに現代人の意識とは乖離していると思うし、その意識を取り戻そうとも思わない。

橘玲の「(日本人)」では日本人こそが超個人主義的だと指摘する。俺にはこの考えのほうがしっくりくる。
拠り所という人を束ねる存在を失った日本人が超個人主義に生きているから少子化、単身世帯の増加が起きているのだと思う(まさに俺)。
一旦手にした個人という楽な状態を手放そうとはしないのだ。


国体のテキストから現代に必要だと思ったのが「外来文化を土着のものとする思想」だ。

西洋文化に勝てないと悟った明治政府が国体に書き記したのは、決して排外主義ではない。先進的技術を取り入れつつ国力を増強する方法だった。

何故それが出来るのかは内田樹「日本辺境論」より、辺境民だから外来文化を独自に変えても知らないフリが出来るから、という理由が合っていると思う。

日本には無かったSocietyという概念を「社会」と訳すなど、明治期の日本は異文化を咀嚼して日本の文化にする力があった。

しかし、現代日本ではその力が失われている。外来語を単に横文字にしてありがたがっている。

グローバル化の本質は、地元ルールの適用を断じて許さないことだ。世界は均質化の方向に動いている。
アメリカが作ったルールをありがたがっている間に、日本独自の力が失われてグローバル化の波に飲まれて沈んでいる最中である。

異文化を咀嚼して日本のものにする。この力を取り戻すことが重要だろう。


そして、教育についてよいと思ったことがある。

「なんで勉強しなきゃいけないの?」小学生のころ、誰もが疑問に思うことだろう。

将来困るから、自分の可能性を広げられるから、様々な理由があるが、その理由は個人のために収束する。

では、勉強して、いい学校に入って、いい会社に入ると良いのだろうか。
全くそんなことは無かった。結局、今までの勉強が活かされているとは全く思わない。

「国体の本義」で書かれているのは、学問は世のため、人のために行うというもの。
これこそが「何のために勉強するのか」に対する答えだ。

世のため、人のための勉強という意識を小さいときから教育することは必要だ。知力の飛躍的向上につながる。

そして、ここに日本の問題の解決策があるように感じた。

日本こそが超個人主義であると述べた。それは拠り所がないからだ。
次の拠り所は世のため人のため「社会的繋がり」にあるのではないか。

シェアハウス、ソーシャルワーカー、日本でも社会的繋がりを求める萌芽がある。

人の役に立ちたい、と思い合う心が停滞した日本を救うのではないか、と思うのだ。


うわぁ、長くなった。そんなわけで、以上。

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2015年01月10日

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