【感想・ネタバレ】田舎でロックンロールのレビュー

あらすじ

70年代、英米のロックは百花繚乱の様相を呈していた。そして、日本の片田舎に暮らすオクダ少年もその息吹を感じていた。少年にロック魂はいかに宿ったのか? 著者待望のエッセイに、青春音楽短篇小説も特別収録!

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Posted by ブクログ

ロックが音楽ジャンルではなく、ムーブメントだった時代。ラジオにかじりつき、FM放送から流れる曲に息を止めてタイミング合わせ、録音ボタンを押していた。まさに同じ。本書に書かれている奥田少年の音楽体験は、最初から最後まで自分のそれとかなりの部分がぴったりシンクロし、当時の記憶を懐かしく思い起こしながら読んだ。
他人の音楽遍歴や評論は、いつもそれほど共感できなくてそれほど面白いと思ったことがないが、本書はどんぴしゃだった。しかし、ただそれだけではなく、ところどころ作者が短くぽろりともらす意見、考察が憎いぐらい気がきいていて、なるほどそうだと膝を叩きたくなるんですね。そこらへんは、さすが力のある人気作家、着眼点、表現力に感心させられ、本当にうまいと思う。
音楽のジャンルは生き物のように、誕生があり、ピークがあり、衰退があると思う。自分も今のポップミュージックは、80年代にあらゆることをやりつくしてしまって、以降、もちろん時々おお、っと思うようなヒット曲は出てくるものの、あらかたの楽曲はすでに原型があるものの再生産だと思う。
でも、エルビスやビートルズがある時いきなり誕生したように、そのうち、これまで誰も聴いたことのない、まったく新しい音楽が産まれるんだろうな、と漠然と思うし、ぜひ聴いてみたいなと思う。

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2017年04月28日

Posted by ブクログ

世代は違えどわりと近い地元、非常に楽しく読ませていただいた。ビジネス臭のしない当時の熱気を感じられて(しかも多感なティーンエイジャー)、羨ましく思う。巻末の短編小説も面白かった。

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2016年09月02日

Posted by ブクログ

オクダ少年のロックな日々!?私は疎くてほぼ知らない世界なのですが、それでも十分に楽しめました♪
ちなみにツレは、ほとんど知っているようでしたね~w
聴いてみたいアルバムもあったので、ツレの膨大な・・・というより整理されていないコレクションのなかから発掘してもらわないとww

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2014年12月14日

Posted by ブクログ

久しぶりの奥田エッセイ。期待通りに、いやそれ以上に面白かったー。好きだなあ。

著者がロックおじさんであることは知っていたが、その始まりとなる中学から高校までのゴールデンエイジのことが語られている。同い年である私には、ああそれよくわかる!というエピソード満載。①田舎育ちの②50代で③多少なりとも「洋楽」に興味のあった人は、心から楽しんで読めるはず。ディープパープルやツェッペリンに魂を奪われた人なら、悶絶ものでは? これに当てはまらなくても、一風変わった青春記として十分読む値打ちがある一冊だと思う。

レコードを買おうにもお金はなく、町にレコード店と呼べるほどのものもなく、そもそも家にステレオもない。そんな中学生がロックに目覚め、ラジオにかじりついて好きな曲を何とか聴こうとする。念願のステレオを買ってもらったときの天にも昇る心地、高校生になり初めて行ったライブのめくるめく興奮、やっとの思いで買ったレコードがスカだった時の激しい落胆。いやいやまったく、ロックに限らず、昭和の(田舎の)子供は好きなものが容易には手に入らなかったものよ。情報もすごく限られてた。オクダ少年の喜怒哀楽はまことにうなずける。

私自身はロックにさほど興味がなくて、「洋楽」との出会いはカーペンターズやミッシェル・ポルナレフ、その後ビートルズ、流行ったのはそれなりに聴いたけど「ホテル・カリフォルニア」止まりであった。奥田氏の当時から今に至るロックへの「愛」と傾倒ぶりに感嘆しつつ、そういうマニアになる人とならない人との違いを指摘した次のくだりに、かなり納得した。
「わたしの印象では、洋楽ファンの枝分かれは、このインプロビゼイションに反応できるかどうかだったような気がする。延々と続くギターソロやドラムソロを退屈に感じる少年少女も当然いるわけで、そういう子たちは演奏よりも曲が好きだったのだと思う」

マニアではない身にとっては、当然ほとんど知らないミュージシャンの名が次々登場することになるが、絶賛したりクサしたりするその評がとても面白いのだ。知らないのにねえ。各章の終わりについているレコード評も、字が小さいのにみっちり楽しんだ。やっぱり愛があるからかなあ。難解とされるライ・クーダーについて「世の中にはこういう高等遊民がいないとそれは味気ないもので」と述べているところなんか妙に心に残った。

奥田英朗といえば、偏屈で鳴らしているわけで、ここでもそれは遺憾なく発揮されている。
プロフェッショナルな熟練の技を尊敬するゆえ、パンクも社会派も大嫌い。アイドルにも同じ理由で無関心。
「学芸会レベルの歌と踊りに夢中になる心理がまるで理解できない。あんなものがクール・ジャパンとは国辱もの」「日本人は永遠にコドモですな。ははは」

音楽性と商業的成功との兼ね合いについて書かれたところも面白い。
「さり気なく問題発言をするが、売れるというのは馬鹿まで相手にするということである。スタジアムでライヴをやるようなミュージシャンは、それを引き受ける図太さ(あるいは強烈な自己顕示欲)がなくてはならない」「(売れるというのは)聴き手のリテラシーを不要にするということなんですね」
これって音楽に限らないわけで、奥田さん自身、作家としての自分のポジションについて、ロックシーンにおけるスティーリー・ダン(えーっと、よく知らないですが)が憧れだと書いている。
「一年に一作ぐらいのペースで本を出し、それなりに売れて、評価もされ、長く愛してくれるファンがいて、裏切らない。ああ、そんな作家でいられたら--。わたしはずいぶん虫のいいこと書いてるなあ。ははは」 まったくだ。ははは。

それにしても、こういうものを書いて、同世代にしか通じない懐かし話にならないのはさすがである。その上で、同い年としてはやっぱり、つまらん小ネタに喜んじゃうのである。わたしも放課後の教室でコックリさんをしてキャーキャー言ってた中学生だったし、石橋正次の「夜明けの停車場」を今でも歌えるよ、奥田さん!

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2014年12月05日

Posted by ブクログ

 本作は、奥田英朗さんによる洋楽エッセイ集である。田舎の中学生・オクダ少年が、少ないお小遣いと環境にめげず、いかにロックに夢中になったか?

 オクダ少年と同様に、洋楽に夢中になった少年時代を送った読者には、気持ちがよくわかるし、懐かしさが込み上げるだろう。僕が最初に友人からテープにダビングしてもらったアルバムは、マドンナの「Like a Virgin」だったと記憶している。それから一気に洋楽にのめり込み、毎週の全米チャートのチェックを欠かさなくなった。

 各編のタイトルは有名アルバムから取られているが、その1作を掘り下げるのではなく、オクダ少年が情報収集に苦労したり、名演に狂喜乱舞したりする様子が雑多に描かれている。うん、そうだよなあ。中学のとき、洋楽好きの友人はクラスに2、3人だった。FMのエアチェックも試みたけれど、あいにく我が家は電波の入りが悪く…。

 僕は単なるミーハーだったが、オクダ少年は筋金入りのマニアックだった。チャートを追うなど早々に放棄している。一方で、新しい音にも貪欲に飛びつき、興味が次々と移る。飽きっぽいとは敢えて言うまい。若者ならではの吸収力と柔軟さのなせる業。

 本作は1977年で終わっているが、奥田さんは1978年以降は商業主義だと斬り捨てている。僕が最も洋楽に夢中になっていたのは’80年代だが、’90年代に入るとチャートのチェックはやめてしまった。僕の興味は、どんどん過去に向かうことになる。結局誰でも、10代の頃に聞いていた音楽に、いつまでも思い入れがあるものだ。

 近年、ビートルズを筆頭に、洋楽の名作のデジタルリマスター化が相次いでいる。かつての洋楽少年がターゲットなのは明白だ。データだけが売買される現在、洋楽はもはや憧れの対象ではなくなった。ジャケットも含めて作品だなんて、古い考えなのだろう。

 最後に収録された短編は、オクダ少年の青春そのもの。若者にとって音楽が必要なくなったかといえばそんなことはない。彼らは彼らの好きな現代の音楽を、校内放送に乗せたいに違いない。我々中高年は思い出に浸って生きる。それでいい。

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2014年11月17日

Posted by ブクログ

自分に正直。奥田さん。昔のどこにでもいる田舎の少年が、ロックにのめり込む越し方が生き生き書かれていて楽しい。青春って背伸びして甘酸っぱい。

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2022年04月13日

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読んで良かった。奥田少年は、いや奥田さんは今でもザ・バンド、ライ・クーダーは分からんと書いている。僕もさっぱり分からない。ライ・クーダーなんて貰ったチケットで1978年の虎ノ門・久保講堂での初来日コンサート行ったけど、わかなくて帰りたかったけど、アンコール何度も何度も出てきて帰るに帰れなかった。

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2016年08月02日

Posted by ブクログ

 どちらかというと、邦楽少年であったが、出てくる音楽には、ほとんど馴染みがある。
 あの頃は、まあ合わせても、そういう程度の量の世界だったわけだ。
 それは、結構しあわせなこと。

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2015年10月26日

Posted by ブクログ

誰が言ってたかなぁ
人はこれまでに食べていたもので出来ている

さしずめ「文」ならば
これまでに触れてきたもの
これまでに見てきたもの
これまでに聴いてきたもの
これまでに考えてきたもの

支えられてくるのでしょうね

1959生まれの奥田さん
その時代に生まれて
そのあと
耳に入ってきた「音」
共通項が多ければ多いほど
そのおもしろさの度合いも
多くなることでしよう

私も むろん その一人です

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2015年05月03日

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岐阜県各務原市という田舎町(作者曰く)で1970年代洋楽小僧が誕生したいきさつを、時代への哀惜の念を込めて描く
好き者にはたまらないだろう、と思われる一冊

鑑賞力の素地がないと退屈な大人になってしまう。鑑賞こそ趣味の王道という作者の意図が十分に伝わってくる
読後、LPレコードを処分したことを激しく後悔。早まったかぁ。チキショーッ!

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2015年01月31日

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1972年~1977年までの、奥田氏中1から高校3年までの洋楽ロック青春記。
同じようなものにイラストレーター牧野良幸氏の「僕の音盤青春記1971-1976」がある。牧野氏は愛知県岡崎市。奥田氏は岐阜県各務原市。牧野氏のも中学から高校にかけてのもので、70年代に、田舎で、中高時代に洋楽に目覚めのめり込んでゆく、という図が描かれている。同じ時期、同じような田舎で、ラジオから、何か今まで聴いてきた日本の音楽とは違う、聴いたことの無い、ワクワクする音とで出会う、このワクワク感、初めて経験する、というこれが青春だろう。

奥田氏は、中一になり小遣いでラジオを買う。最初は南沙織や天地真理などの歌謡曲、そしてフォークに移り、AMラジオにリクエスト葉書を出す。半年もすると外国のポップスに心をとらえ始める。「木枯らしの少女」「愛するハーモニー」「気になる女の子」・・ これら外国の音楽に惹かれた理由を「なぜかしらん、自分でもよくわからん。西洋に対するあこがれがあったのか。」「外国のポップスを聴くと、日本の音楽はどれもみすぼらしく感じ、もう歌謡曲にもフォークにも戻れなくなった」とある。英語に関しては「ボイス、楽器として聴いている」と。ここがまったく同じだ。

日本語の歌が好きな人にはよく、意味もわからないのに、といわれるが洋楽に夢中になるタイプは、英語、歌詞の部分は楽器として聴いているのである。ここのところが、邦楽派か洋楽派かへの分かれ目ではないか。

奥田氏がロック好きなのは小説のはしばしからこぼれていたが、この本でそれが明かされる。当時外タレ(古語ですか)は東京にしかこないものと思っていたが、名古屋にはけっこう行ってたんですね。氏は高校時代にクイーンとかサンタナを名古屋で観ている。

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2014年12月24日

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奥田さんのロックンロールにかけた中学・高校時代のエッセイ。
同郷同世代の私には頗るよく分かる時代背景。
そうそうそうだった!の共感の連続。
ただオクダ少年ほどロックに興味はなくちょっと残念。
奥田さんのロック心酔度は半端なく、今でもあの時代のロックを熱く語れるのだろう。

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2014年12月11日

Posted by ブクログ

自我が確立されゆく思春期にロックにハマり、
親や教師の干渉から逃れロックにのめり込んで行く、
片田舎に住む奥田少年の、輝かしい青春時代が描かれている。
わかる、わかるなぁ。みんな経験するよね。
この時期特有の、過剰な自意識が作り出すこっぱずかしさや、
こまっしゃくれた感じを思い出し、身悶えするほど懐かしいのである。
(音楽に限らず)あの頃心を揺さぶられたものが、
今の自分の根っこを作っているような気がする。
他の作品を読み、作者に対し、ひょうひょうと生きる自由人というイメージを持っていたが、
当らずとも遠からずかな?
そのアイデンティティーの根っこは、こんなふうに形成されたんだなぁ。

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2014年11月24日

Posted by ブクログ

まだレコードしかなかった時代の話。友達の家にレコードをききにいっていたことをなつかしく思い出しました。

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2022年03月13日

Posted by ブクログ

自由じゃないからこそ、得られるものがある。
かつて、聴きたい曲を自由に聴くことができない時代があった。
物理的に。
経済的に。
そして、倫理的に。
そんな時代に、ラジオ、ステレオ、レコード、雑誌などを通して最新の洋楽と奮闘した著者による、1972年〜1977年までの、体験的、自伝的エッセイ。

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2019年04月07日

Posted by ブクログ

奥田英朗の洋楽青春期。

01 サージェント・パパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
02 名前のない馬
03 スライダー
04 展覧会の絵
05 アビイ・ロード
06 狂気
07 ライヴ・イン・ジャパン
08 黒船
09 クイーン?
10 ウッドストック
11 フィルモア・イースト・ライヴ
12 明日なき暴走
13 シルク・ディグリーズ
14 夏草の誘い
15 南十字星
16 彩(エイジャ)
青春音楽短編小説(ボーナス・トラック) ホリデイ・ヒット・ポップス!
あとがき

作者の中学生から高校生の間に触れたロックの回顧録を熱く語る。

ディープ・パープルぐらいしかわからなかった。

ちょっと世代が違いすぎたかも。

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2018年11月17日

Posted by ブクログ

この本は大変面白い小説を書く奥田さんが、
自らの少年時代を綴ったエッセイ集です。
具体的には1972年から1977年、
中学1年から高校3年までの間に
出会った洋楽ロックの事を中心に書いている一冊です。

読んでみたら、オクダ少年にとても親近感をもってしまいました。
なぜなら洋楽ロックとの出会いや付き合い方が
まるで自分の事を書いてるのか?
と思ってしまうくらい似通っていたからです。

筆者と自分では年齢がひとまわり離れていますので
出会ったアーティストは違ってはいますが、
感じた事やなんかがほぼ一緒なんですね。

FM放送から流れるヒットチャートをノートに記録したり
カセットテープにエアチェックしてみたり
レコード店でLPレコードを視聴させてもらったり
雑誌「ミュージックライフ」を穴が空くほど眺めたり・・・。
TLEX、ビートルズ、Queen・・・・・。

まさに同じような事をしていたし、
同じような何かに憧れがあって。

そう感じるのは僕だけではないでしょうね。
LPレコードやラジオから聴こえてきた洋楽ロックは
今YouTubeで聴ける音楽とは
何かが絶対に違っていたような気がします。
その点懐古趣味とは云わせません(笑)

巻末にこのエッセイで書かれていた出来事を
モチーフにした短編小説が収録されています。
小説家が自分の体験を、
どのように小説というカタチに昇華させていくのか?
という視点からも興味深く読めました。

2016/4/1 快晴

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2016年04月01日

Posted by ブクログ

ロックやヘビメタが好きだが、少し上の世代の話なので、ふーんやへーみたいな感覚が多かった。僕の時代も大変だったが、オクダ少年の時代はもっと大変だったことがよく分かった。

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2016年03月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ひと世代前のロックの具体的な話は、ぴんとこないため流し読み。
好きな著者、結構不真面目な学生時代だったんだなぁ。

鑑賞こそ趣味の王道、納得させられる、楽しんでる気持ちにこちらも楽しくなるあとがきでプラス1。

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2016年02月07日

Posted by ブクログ

岐阜の田舎で育った奥田英朗氏のエッセイ。ロックンロールに憧れ、ロック狂いの中学、高校時代を描いた作品。ほぼ同時代を生きた者としては、そうだったそうだったと思い出しながら読むことができる。

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2015年09月12日

Posted by ブクログ

時代は違うのに自分の中高時代を書いてもらえてるみたいで端々で嬉しくなった。奥田英朗が好きなのは育った環境が似てるからかなぁと想像してたけど、本当に似てることが分かった。修学旅行の整列の練習をするのなんてうちの中学くらいと思ってたけど、他にもあったのか。

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2015年01月21日

Posted by ブクログ

少年期、ロックンロールで育った世代にはたまらにエッセイ。ディープパープルのライブインジャパン。自分も脳天をぶちのめされた一人。震える狂熱と興奮が鮮やかに蘇ってくる。ハイウェイスターは何百回と聴いた。奇しくも同楽曲は自分も初めて聴いたのはライブインジャパン。後で聴いたマシンヘッドが冷めたピザに感じられたという件は激しく頷いた。あくまでもクイーンⅡが最高傑作でオペラ座の夜にはどうしようも馴染めなかった。歌詞がわからない分、無限にイメージが拡がり空想を楽しめたこと・・・・・・・・どれもこれも自らに思い当たった。頷きすぎて首が腱鞘炎になるかと思ったくらい。
とりわけ、この件はとことん痺れた。「私は基本的に学校が嫌い。同じ服を着させられる。整列させられる。それだけのことに屈辱を覚え、反抗したくなる。自由を規制し、単一の価値観を植え付けようとする権力の支配を心から憎んでいる。故に自分とロックとの相性の良さは必然と言えるものである。」自分とロックの関係性が明瞭な輪郭をもって胸に迫ってきた瞬間でもあった。

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2015年01月02日

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