【感想・ネタバレ】道徳を問いなおす ――リベラリズムと教育のゆくえのレビュー

あらすじ

「人に親切にしろ」「故郷を愛せよ」「社会のマナーは守ろう」。学校の道徳の時間に教えられてきたのは、このような徳育でしかなく、こういった言葉はもう十分、聞き飽きた。では、いまの時代・社会にフィットした道徳とは何か?また、それをどのようにして、子どもたちに教えたらよいのか?本書では、様々な倫理学の知見を掘り下げながら、哲学的にその本質に迫っていく。ひとりでは生き延びることができない時代に、他者と共に生きるための道徳が求められる。

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Posted by ブクログ

現在、紙の書籍が絶版のところをみると、あまり読まれていないようだが、これは名著だと思う。道徳教育は従来のような徳育ではなく、民主主義社会を維持し発展させる主権者の教育であるべきだというのが筆者の主張であり、それはとても説得力がある。民主主義社会の担い手を育てるための教育論はこれまで「シティズンシップ教育」の名の下に展開されてきたが、筆者はその意義を認めつつも、従来のシティズンシップ教育論の問題点をも鋭く指摘しており、学ぶところが多かった。また、ほんらい筆者の専門領域とはいえない政治哲学の議論の整理がじつに見事で、「善」と「正義」の区別など、現代リベラリズムの基本スタンスの理解に役立った。

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2025年03月04日

Posted by ブクログ

中学・高校校時代の道徳や生活指導について、「心に響かなかったなぁ」「息苦しかった!」などの印象を持つ人であれば、かなり共感・納得できる内容だと思う。道徳教育という言葉にちょっと不信感を持ったまま大人になってしまった人(※自分もまたその一人です)に、まず読んでもらいたい。

中学2年の我が子にも、「今の学校での道徳教育では何が過剰で、何が過小かを書いているページ(15~31ページ辺り)と、海外の教科書が紹介されているページ(p207~211、p226~228、p234~235など)があるから、そこだけ読んでごらん」と勧めてみた。
中学生くらいだと、リベラリズムとかシチズンシップといった用語にぶつかった瞬間に敬遠されそうだが、上に挙げたページなら学校生活との関連も感じられて興味を持ってくれるのでは、と期待。読んでくれるかなぁ~??

本著では公徳心と公共心、正義と善などの、一見よく似た言葉がしっかり使い分けられている。本著を読んだ後で、我が子の通知表の生活面の評価項目を改めて眺めてみた。現在の教育現場の指導の中では、著者が言うように公徳心が過剰に強調されている割に、(筆者が定義する意味での)公共心につながる項目は案外少ないことを認識できた。

本著は、日本で行われてきた教育の弱点・急所にズバリ切り込んでいると思う。著者自身が支持するリベラリズムや民主主義についても手放しで賞賛はしていない。また、様々な立場からリベラリズムに浴びせられる批判も誠実に検討している。リベラリズム・民主主義を支持する立場と、愛国心、共和主義などを支持する立場などが、丁寧に比較され「こっちの立場をとれば、こういう問題が生じやすい」など、各々のデメリットが整理・検討される。

ゆっくり読み進めていくうちに、全く問題が起こらない思想や制度といったものはなく、どれを選んだとしても何かしら問題は生じてくるだろうが、現段階で、個人や社会にとって一番良さそうな思想・態度が、自由・平等を尊重するリベラリズムであり、それを実現しやすいのが民主主義なのだと、ゆっくり読んでいるうちに頭が整理されていく。

民主主義の主権者として考え、行動できる大人を育てるために、海外では日本とは全く違う教科書が使われているそうだ。後半で紹介されているスウェーデンの教科書など興味深かった。道徳教育については、学校だけでなく家庭、地域などが果たすべき役割が大きいことを感じた。

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2021年01月07日

Posted by ブクログ

道徳教育と聞くともうなんとも「イヤな感じ」を受けるのだけど、本書も前半部分はそういう感じ。ただ第3章からは「それっぽさ」が薄れて読みやすくなる。

法と道徳についての重なりの過剰さ、法を守る=道徳的という認識に対しての批判のあたりはおもしろかったし、アフォーダンス理論にヌスバウムとセンを綜合し、というあたりは著者らしい感じがしたので読み応えがあった。

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2020年07月16日

Posted by ブクログ

memo:高校生くらいの頃から漠然と思っていたことだが、日本人は身内にはとことん関心を持ち、何かあればその身内の人間を気持ち悪いほどに庇ったりするが、それ以外の他者には殊に無頓着であり、むしろ身内を守るための無意味な攻撃性をも有している気がしていた。

和辻が言う「公共心」を持った人間とは、単に自分の身の回りに配慮するだけの人物ではなく、万人を公平に道徳的配慮の対象として扱える社会を構築することを望む人間である。
私の中の日本人像は「公共心」を持っていない。

ドイツ留学を終えて帰国した和辻が1928年当時に日本人に対しそう感じていて、それから戦争まで経て現代に至るまで結局何ら変わってないということだ。もしかしたら道徳「教育」なんかでは育たないものなのかもしれない。

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2018年04月04日

Posted by ブクログ

道徳教育に関して哲学的な議論を展開しているユニークな著書だ.前半は道徳に関するこれまでの弱点や様々な引用でややとっつきにくい感じだったが,第4章 「道徳には哲学が効く」でかなり具体論が出てきてほっとした.道徳性についての思考力と行動力を養うものとして,主権者に対する道徳教育を哲学として創設すべきだ という主張である.道徳教育を哲学という科目で実施するメリットととして,批判的思考力と生活統合を養うことができるからだと強調している.あとがきにあるように,道徳心を強調する人が,道徳的に素晴らしい人物であったためしがない という件は大いに納得できるものだ.著者が示した構想を教科書としてまとめている事例も紹介されている.非常に示唆に富んだ内容だったと感じた.

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2017年10月09日

Posted by ブクログ

★内容はズシリとした重さがあるので、一読後気になった箇所を再度読み直しながらメモをとっていった。
良かった点、最初はよくわからなかったが序章が長く書かれている。『道徳を「問い直す」』の「問い直す」への序章であってこの部分が私には意味があった。
和辻哲郎がドイツから帰国した1928年に、「日本人には公共心がない」といわしめた言葉からはじまる。 著者も言っているが、道徳という言葉には何処か胡散臭さがあって近寄り難い分野であった。ここ数年日本社会で起きている様々な出来事が、「公共」を『社会のことは自分のことではない』という日本での概念を持ち出すことである程度理解できてくる。この本は本来の「公共」を日本人に取り戻すための処方箋の様な意見書なのかもしれない。著書の本は初めてですが、きっかけは、出口汪氏の「好きになる現代文」にでていた問題文『善悪は実在するか』を解いていて、そのモノを視る着眼点に惹かれて、著書の本を探り当てました。何処に、宝がころがっているがわからないものです。
2013.08.11

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2014年06月20日

Posted by ブクログ

現代の道徳教育のあり方、不完全な点を問いなおす本。著者の本は初めて読みますが、この本は新書でも深く突き詰めて書けていると感じました。
新鮮だったのは「民主主義の本質は対立を維持し続けること」という主張。確かに、何人も人間が集まっている場で、ひとつの意見に集約できるわけがなくて、そうやって対立とか異質性をどううまく扱うか、というところに民主主義の本分があるのかな、と思いました。
ただ、けっこう難しい内容も中にはあったので、また読んで理解を深めたい。

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2012年05月18日

Posted by ブクログ

民主主義社会を、最も個人の尊重が可能な政治体制であるというリベラルな考えのもと、現在の日本の道徳教育への批判と新たな教育手法の提案を行う。

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2011年05月27日

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和辻哲郎が生きた時代から公共心が無い日本人。その日本人を公共に参加させる(政治参加)ために、道徳、もしくは道徳教育は何をすれば良いのか。

そもそも民主主義社会における道徳とは何かに立ち返って、サンデルの共和主義的な手法をも批判しながら、考察した一冊。

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2011年04月13日

Posted by ブクログ

例えば自分がよかれと思って行った善が他人にとっての善ではなかったとしても、それは自分がよかれと思って行った善だから相手にフィットするような形で自分が工夫しようとするはずだ的なことを言ってて、案外善は独りよがりじゃないんだと認識した。

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2022年05月09日

Posted by ブクログ

著者は、メルロ=ポンティやギブソンの生態学に基づく哲学的考察をおこなっており、とくに近代哲学における近代的自我の立場を根底から批判することに力を注いできたことで知られています。そうした視点は本書でも生かされており、道徳が心理主義的に解釈されがちな傾向が現代社会に広がっていることに異議を唱えています。

また著者は、アマルティア・センとマーサ・ヌスバウムによって提唱されたケイパビリティ・アプローチと、ギブソンらの生態学的心理学の視点を重ねあわせることで、個人にとっての能力の開発に焦点を当てたリベラリズムの道徳教育へ向けての提言をおこなっています。

どことなく腑に落ちないところがあって、それを自分でもうまく言い当てることができないもどかしさを感じています。以前から、ギブソンの生態学的心理学の哲学的意義を掘り下げることで、近代的自我に対する批判を構成する著者の仕事には興味をもっていたのですが、そうした認識論的なレヴェルから倫理学のレヴェルへと連続的に議論がつながってしまうことに、一度は立ち止まって反省する必要があるのではないか、という気がしています。

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2017年11月29日

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