【感想・ネタバレ】太陽の子のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

沖縄出身の両親とともに神戸で生まれ育った「ふうちゃん」と家族が営む「てだのふあ・おきなわ亭」(沖縄の家庭料理の店)を舞台に、そこに集う沖縄出身の人々の物語。

小学6年生のふうちゃんが主人公の物語ではあるが、本作は単なる物語と呼ぶべきではない。

日本人とは、沖縄とは、生きるとは、死ぬとは...

「とんび」(重松清)を読んだ時に感じた「考えさせられる」とはちょっと違いますが、本作もすごく考えさせられる作品でした。

本作の中で少し触れられた先の大戦での沖縄の悲劇。

「悲劇」なんて簡単な一言で済ませてはいけない。

「太陽の子」というタイトルから想像していた内容よりもすごく深い作品でした。


説明
内容紹介
ふうちゃんが六年生になった頃、お父さんが心の病気にかかった。お父さんの病気は、どうやら沖縄と戦争に原因があるらしい。なぜ、お父さんの心の中だけ戦争は続くのだろう? 著者渾身の長編小説!
内容(「BOOK」データベースより)
ふうちゃんは、神戸生まれの女の子。おとうさんとおかあさんは沖縄出身で、神戸の下町で琉球料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。やさしい常連さんたちに囲まれて明るく育ったふうちゃんだが、六年生になった頃、おとうさんが心の病気で苦しむようになる。おとうさんの病気の原因は何なのか?ふうちゃんは、「沖縄と戦争」にその鍵があることに気づきはじめる…。戦争は本当に終わっているのだろうか。なぜおとうさんの心の中でだけ戦争は続くのか?今、日本人が本当に知らなくてはならないことがここにある。

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2021年02月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

素晴らしい本

太陽の子
小学生のふうちゃんが

死と真剣に向き合う

生きるとはどういうことかを
改めてかんがえさせてくれる

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2019年05月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 本の裏表紙のあらすじを読んでから読むと戦争の話が出てくるまでずっとまだかなまだかなとムズムズしてしまったから何も知らずに読みたかった。

ふうちゃんがすごくいい子だった。

p270.271の梶山先生の歴史を勉強することに対しての考え方は私にとっても大きな学びになった。

幸いにも戦争に関わることのなかった人たちにとっては歴史であるが、実際に経験した人たちからするとずっと記憶として残っているから死ぬまで戦争は終わらないということを知った。今も戦争を経験した過去を持った上でご存命の方々の中では終わってないのだなと思うと心が痛む。

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2022年09月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ブンガク
かかった時間100分くらい

再読。
かつて必要に迫られて読んだとき、この作品は率直にいえば「良い作品なのかもしれないが、強い違和感がある」作品だった。

再読してみて、「強烈な違和感をもたらす作品」になった。

沖縄戦を背景に、神戸に暮らす沖縄出身者たちが、「日本人」がすでにそれを忘れてしまっているにもかかわらず、戦争が生んだ不平等や偏見、トラウマを抱えながらも、やさしく力強く生きていく、という物語だ。
主人公の「ふうちゃん(小学6年生)」は、やさしくあたたかい周囲の人々のふるさととしての沖縄のみを知る少女だった。しかし、父親の精神病の発症や同年代の少年が受けた差別や、身近な沖縄出身者の抱える暗い過去を知り、それらを強く受け止めようと決意するとともに、そのようなつらさを経験したものーーつまり沖縄の人だけが、いろんな人のつらさをわが事のように受け止め、寄り添うことができるのだということに気づく。周囲の、決して金銭的な価値では語れない「すごい」人たちや、若くて熱心な担任の男の先生も、「ふうちゃん」とともに生きることを考え、いろいろな気づきをくれる。
ラストで父親の自殺を目の当たりにした「ふうちゃん」は、同じように「沖縄」がもたらした死によって姉を亡くしたキヨシ少年とともにピクニックに出かけ、「大きくなったら子供を2人産む、ひとりはお父さん、もうひとりはキヨシのお姉さん」と話す。

さて、この話の強烈な違和感はどこから来るのだろうか。

…と格好をつけて書いて放置していたけど、ありがたいことにコメントをいただいたので、ざっくり書いてみる。

作品の中には、「被差別や逆境を痛感している沖縄出身者は、そういうつらい体験を経てきたからこそ人間として尊い」という論理が繰り返し語られる。そして、これは同時に、「ふうちゃん」をはじめとした、バックグラウンドを沖縄にもつ登場人物が、それを克服するためのチカラとして位置づけられている。
つまり、思いっきり単純化していえば、いじめられていた子は、いじめられていた「からこそ」、いじめに立ち向かう力を身につけることができた、ということである。問題を克服するためのファクターとして、当該の問題の存在が位置づけられているのだ。「あのときいじめられていたから、強い心が育ったね。あのときいじめられていたからこそ、私は前を向けるのだ」というように。

もちろん、過去をそのような形で受け入れざるを得ない登場人物の立場はわかるけれども、語り手が手放しにそこを肯定してしまうことは、なんの解決にもつながらないんじゃないかなあと。

まあ、そんな気持ち悪さを感じたのです。

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2018年08月19日

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