あらすじ
ふうちゃんが六年生になった頃、お父さんが心の病気にかかった。お父さんの病気は、どうやら沖縄と戦争に原因があるらしい。なぜ、お父さんの心の中だけ戦争は続くのだろう? 著者渾身の長編小説!(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
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ふうちゃんはキヨシに会ってからすごく心が不安定になった。この文章は、‘人と出逢う事’というのはどういう事なのか、どんな意味があるのか考え直すきっかけとなった。
キヨシは今までふうちゃんが想像もしなかった世界で生きてきて、ふうちゃんとは違う価値観を持っている。それを受け入れようとしたからふうちゃんは一時不安定になったんだと思う。また、それに伴って今まで悪口を言わなかったふうちゃんが人の悪口を言うようになったという描写もある。これはふうちゃんがおとなになっていっていることを示しているのではないか。
自分にとって嫌な人を遠ざけるのは身を守る手段として妥当である。でも、私達は幼い頃、そんなことをしただろうか?どんな人とでも関わってみて,衝突してもお互い歩み寄っていたのではないか?悪く言ってしまえば、その歩み寄りを‘諦める’ことは大人になるのと同義なのかもしれない。
さて、この本の本題はそこではない。今生きている人の中には死んだ人がいる。やさしい人はこれまでに何か辛いことがあった人だ。そんな言葉は聞き飽きたような気がしていた。しかし、この小説を全て読み切ってやっとその言葉の本当の意味がわかった気がする。辛い時というのはきっと心がひとりぼっちの時だ。そんなときは周りの人を恨んじゃいけない。ひとりでたくさんたくさん考えて、落ち着いてからまた人と話そう。人を理解しよう。全部知ったら悪い人なんてきっとこの世にいないんだと信じて生きようと思う。
沖縄戦の話をしているシーンは毎回胸が締め付けられた。どうか今後同じ痛みを経験する人が1人でも減りますように。
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沖縄の人々の温かい性格と、戦争の残酷さを強く感じた。戦争は終わったとされても、全てを奪われた人々にとっては決して終わりではなく、苦しみが続いていくという現実に胸を打たれた。
そんな中で登場するふうちゃんは、子どもでありながらとても聡明で、人の気持ちを深く理解できる存在だった。最後におとうさんを亡くしてしまっても自暴自棄になることなく、キヨシ少年の思いを受け止めようとする姿に感動した。
この作品を通して、私自身もふうちゃんのように他人を思いやれる人間になりたいと強く感じた。戦争の悲惨さと同時に、人を信じて支え合うことの大切さを学んだ一冊だった。
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主人公は、小学6年生で、沖縄2世の女の子です。ときは、1975年、家は神戸の下町にある沖縄居酒屋で、沖縄出身者が集まる場所。
みんなに可愛がられて、優しい人たちに囲まれていて幸せだと思う反面、大人には、子供に話さない、なにか事情のようなものがあることを、なんとなく感じるようになっていた。
戦後、沖縄出身者の心情に迫る小説である。
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・親に勧められるもなかなか機会がなく、ようやく読むことができた。戦争に翻弄された沖縄と沖縄の人々。その悲惨さと悲しみを描きつつも、てだのふあ・おきなわ亭に集う人の温かさに心が慰められた。
・p.340 「沖縄の人間が戦争をはじめたわけやなし、まして、子どもになんの関係があるねん。みんな戦争のあったことなんかすっかり忘れて暮らしているときに、なんにも悪いことをしてえへん沖縄の人間が、まだ戦争をさせられとるわけやろ」
・今年はちょうど戦後80年。もう80年なのか、まだ80年なのか。戦争はまだ終わってない。
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児童書?
いえ これは今の大人へのメッセージです
我が家のわりと近くに「太陽の子保育園」がある
神戸出身の灰谷健次郎さんが理想の保育園を目指して創設されたとか
昔読んだ本を再読した
〈 ふうちゃんが六年生になった頃、お父さんが心の病気にかかった。お父さんの病気は、どうやら沖縄と戦争に原因があるらしい。なぜ、お父さんの心の中だけ戦争は続くのだろう?〉
本当のやさしさとは?
絶望から?
沖縄にまだ平和はない
美しすぎる海
海岸に巨大な基地がどんどんつくられている
報道はない
神戸を愛し、何よりも沖縄を愛した灰谷健次郎
この本はもっと読まれるべきだと
≪ ひっそりと 考えるのよ かなしいとき ≫
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沖縄の友人はたくさんいましたし、沖縄の歴史についても知ったつもりでした。優しい人が多いし、おおらかでとても気が合う仲間が多い。
でも、その人たちや、その人たちの祖先が沖縄戦のつらい悲しい経験をしてきたからこそ、強く優しいのだと思いました。
ふうちゃんの明るさと素直さ、見習いたいほど魅力のあるとても良い子。こういう子が、この作品を通して増えたらいいなと思います。
心が温かくも悲しく、優しい気持ちになれた不思議な良書です。世の中から悲惨な経験をする人が少しでも減りますように‥また思い出したときに読みたいです。
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テレビや教科書では知ることのない沖縄と沖縄の人たちの苦労が痛烈に心に響く作品。過去の出来事が現在の沖縄にも繋がっている。どの世代でも読むべき必読本
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優しさとは何か、歴史を学ぶとはどういうことなのかが物語を通してじわじわ伝わってくる。沖縄で起きた惨劇は、その時も、その後も社会の中で形を変えて影響し続けた。
ふうちゃんの幼さが人との出会いやお父さんの心の病気を通してどんどん成長していく。そんなふうちゃんの成長に合わせて読者も同じように喜んで、怒って、悲しんで、傷ついて、沖縄の歴史や本当の優しさを知っていく。
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最近読んだ小説の中では久しぶりの5つ星。
もちろん「名作」とは聞いていた。初出版(1978年)直後の大学当時で既にその「好評」を耳にし「読んでみよう」と思ったものの、それから丸45年も経つまで一度たりとも書店で手に取ることも無かったとは。斯くも「読書は長く人生は短い」のだ。これからも、死ぬまでに一度たりとも手に取って読むことなく記憶にも残らぬ本が無限に存在するのだと思うと、本当に悲しくなる。
...そんな哀しさすら本気で感じるほど、読み終えるのが惜しいくらいに「いつまでもこの本の世界の中に居続けたい」と思える稀有な読書体験が味わえた。
中でもやはり主人公・ふうちゃんの超弩級の魅力に尽きる。少年時代にこんな娘に巡り合えることが出来たなら、好きにならないワケが無い。そのくらい、人として愛される才能の全てを持ち合わせたスバラシイキャラクター。そしてまた彼女を取り巻く人間模様がまた素敵過ぎる。これはある意味、東京・浅草が舞台の「男はつらいよ」の世界観を、神戸に暮らす沖縄出身者のコミュニティに移し替えたが如し。1980年にさっそく映画化されこれまた大好評だったと聞く映画版も是非観てみたい。
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神戸の沖縄料理店に集まる沖縄出身の人々の過去の秘密や悲しみを、小学6年生のふうちゃんの目を通して描いた物語。
途中までは可もなく不可もなくと言った感じのやや重苦しい作品でしたが、キヨシ君が出てきてからはかなり面白かったですし、またいろいろと心に残る言葉の散りばめられた素晴らしい作品でした☆
最後のピクニックはめっちゃ泣けましたし、ろくさんの娘さんの話のほか、いろいろと心に残った言葉はありますが、なにげに一番心に残ったのは、ときちゃんという地味で目立たない女の子が先生宛てに書いた手紙。あと、重苦しい話も多い中、ギッチョンチョンとれい子さんのデートの話は最高に面白く、かつ、心温まる感じでした☆朝ドラ「ちむどんどん」を見ていてどうにもピンと来なかった人には特におススメ!!
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p256
ギッチョンチョンは本当に嬉しそうだった。そんなギッチョンチョンを見て、良かったと、ふうちゃんは思うのだった。「アカナ」を歌うふうちゃんを、キヨシ少年はじっと見ていた。――あいつ、ええやつやな。チビのくせに、あんなええやつおらへんな。ほんまに、あいつ、ええやつや。
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作者の兄が自殺し、成績重視の教育界に疲れはて、流れついた沖縄で、彼は命は生きているものだけのものだけではなく死んだ命と繋がり生き生かされていること、痛みを分かち合うことを学びました。そのことがこの小説に込められています。
時は1975年。神戸市に住む大嶺芙由子は小学6年生の少女で、周囲からは「ふうちゃん」と呼ばれている。
父は半年前から突然精神状態が不安定になり、心身症と診断されていた。
芙由子の母は、「てだのふぁ・おきなわ亭」という大衆料理店を営み、店には沖縄出身の人々が常連として集う。
その一人が、やはり沖縄出身で母に捨てられたキヨシ少年を店に連れてくる。だが、キヨシはそんな善意を無にするように、相手の金を盗んで姿を消してしまう。
芙由子が沖縄の風習にある風車を常連たちに配ったとき、沖縄戦の集団自決で片手を失ったロクさんは外で風車を握ってすすり泣いた。
芙由子は父が「ふうちゃんが殺されるやろが」と発作の時につぶやいたことを思い出す。父の主治医から「沖縄ではいろいろなことがあったらしいから、それが原因ではないか」と聞いた芙由子は、沖縄について調べ始める。
沖縄料理店が舞台だけに、ラフテーなど美味しそうな沖縄料理が食欲をそそりますけど、メインはふうちゃんが「てだのふぁ」の常連ギッチョンチョンから沖縄戦のことなどを教わるパートやキヨシ少年との交流で、沖縄戦で日本軍は沖縄決戦を前に日本軍は3分の1の兵力を他の地域に移したそのために女性や子供を含めた多数が死んだことなどを知り理解していく中で、本当の優しさは相手の苦しい歴史を知ることそして生きている人の中で死んだ命が生きていることを理解すること、本当の歴史の勉強とは身近な人の歴史を知り勉強することであることを知る展開で、今の日本に欠けているものの正体を考えさせる内容になっています。
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長年読み継がれる児童文学の傑作。神戸の沖縄料理店の娘「ふうちゃん」は、周りの人たちのぬくもりに包まれ、徐々に父たちの過去と現在、未来に向き合いながら、大人になっていく…。
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11歳の少女ふうちゃんの目線で語られていて、人間の喜びや悲しみ、優しさや醜さや愚かさ、戦争の悲惨さなどが、すごくわかりやすく多感に表現されている。
ふうちゃんの感受性の強さ、人から学んでいく心の柔軟さ、そして可愛らしさに心打たれ感動します。
ふうちゃんを取り巻く人々の強さから来る優しさも心に沁みる。そして彼らが告白する沖縄戦の惨状は壮絶を極めており、戦後沖縄の人に対する差別が酷かった事にも衝撃を受け沖縄に対する理解も深まった様に思う。
10代とかもっと早く読んでおけば良かった。しかし歳を重ねないとわからない事もある。知るべき事、理解すべき事はまだまだたくさんあると痛感する。
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昔読んだのは小学校5年生のときだから、もう35年以上も前になる。当時学校も家庭も殺伐とした愛のない環境にいた私には、てだのふぁ沖縄亭の人々の日々がファンタジーのようで、優しく憧れで、愛されているふうちゃんがうらやましくて、そこに一番心を惹かれたように思う。
沖縄の歴史のことも、精神疾患の存在も、この本で生まれて始めて認識した。
大人になって今、読み返すと当然ながら、その時気づかなかった作者の色々な視点に気づくようになる。なぜ、ふうちゃんという一人の小学生を通じて、作者は沖縄を伝える必要があったのか。せんせいけらいになれ、の一冊からもわかるように、灰谷健次郎という人は、誰よりも子供の凄さ、鋭さ、怖さを知っていた人だ。ただ純粋で忖度しない子供、そして自分が愛されていると知っている(愛を知っている)、一番「自分自身」を生きている子供の心を通して、灰谷氏は沖縄を伝えたかったのだ。
沖縄を語る現代社会の論調は、むなしい空中戦を見ているようだ。
今生きている自分自身の足元と地続きの歴史として沖縄を語るには、現代人に直接語りかけるだけでは伝わらないと思ったのではないだろうか。ふうちゃんの心という存在が媒体として不可欠だったのだ。悲しみの果てに命が繋がれていまここにいるというリアリティに気づくふうちゃんの成長を通して、ふうちゃんの心という受け皿を読者の中に作って、リアルに沖縄を伝えようとしていたのではないだろうか。
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20年ぶりに読んだ。
読む前は感動した本だということ以外ほとんど覚えていなかったけど、読みだすと覚えているところも。ふうちゃんと同じ年代で読んでおいてよかったと思った。
沖縄のことを考えること、
もっと広い社会について忘れてしまっていることを思い出させてくれる大切なことがたくさん書いてある。
毎年8月に読もうかなと思った。
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戦場になった沖縄、そこで戦わざるをえなかった人たち。生き残っても心の傷が癒えず、一生苦しみを抱えて生きていかなければならない人もいる。
主人公の12歳の女の子が、ノイローゼになり働けなくなってしまったお父さんを健気に支えながら、なぜお父さんはこんな風になってしまったのか、沖縄で起きた戦争とは、沖縄の人たちの思いとは、などについて一生懸命学んでいこうとする姿に何度も涙が溢れました。
沖縄で起こったことを忘れないように、毎年読もうと思った一冊です。
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【いまも戦争はおわっていない。】
神戸にある沖縄料理屋『てだのふあ・おきなわ亭』に集う人たちの人生を小学生のふうちゃんの純粋な心を介して紐解いていく物語。沖縄とそれ以外の日本との間にある構造的な差別や不平等が登場人物の生と一緒にあぶりだされています。
てだのふあ・おきなわ亭の人たちと触れ合うことで自分自身の生をみつめたキヨシ少年が言っています。「日本は沖縄の心にふれて、だんだんまともになっていくのとちがうやろか。そやなかったら日本は死ぬだけや。」
太陽のような明るい未来への象徴ともいえる、こどもの生に、戦争という暗闇で散っていった命。沖縄戦や原爆で深い苦痛、悲しみを負った人たちの生を対比させていくことで、生と死、過去と未来を対極ではなく、連なり合う一つのものだと伝えてくれています。自分の生がどれほど沢山の人の悲しみの果てにあるのかを思うことで、本当の平和について考えたふうちゃんの心は、今を生きる私たちにも必要な心なのではないでしょうか。(菊地・PITOPE)
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灰谷さんの優しさが溢れ出ている。子供や人間をみる目の優しさがこれでもかというほど詰まっている。悲しくてとか感動して泣くことはあるけど、優しさで泣かされたのはこの本が初めて。嗚咽しながら読んでいた。
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ふうちゃんは最強だ。
2024年6月
読み直した。
13年も前に読んでいた。
当時は気が付かなかった、いろいろなことに気がつく。
とても寂しいけれどあったかい、難しいなんとも言えない小説。
直接影響うけて、しんどいくらいではないが、重いし、むごい話もある。
色が最初にたくさん登場する。
赤い色で始まって、最後は青い色で終わっている。なにか意味がありそうだけどそうでもないのかな。
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てだは太陽、ふあは子
てだのふあ は太陽の子 ふうちゃんの物語
神戸で沖縄出身の両親が営む琉球料理店
「てだのふあ・おきなわ亭」には沖縄出身者の
優しくて明るい常連達が集まる場所。
そしてその優しさと明るさの裏側には沖縄人にしか分からない悲しみと苦しみがあった。
ふうちゃんが6年生になった頃、沖縄戦が原因でお父さんが心の病気にかかってしまう。
沖縄出身者の中ではまだ戦争が終わっていなかった。
ふうちゃんの視点で沖縄戦での残痕、差別や偏見が描かれている。
前半から中盤はふうちゃんと常連さん達の交流が描かれ少し中弛みしてしまうが後半は怒涛の快進撃。
中盤あたりにふうちゃんが沖縄戦のグラビアを見るシーンがあるが小学生にはかなりきつかったんじゃないかな?ひめゆりの塔を以前読んだことがあるので沖縄戦の悲惨さ凄まじさが目に浮かぶ。
そんなお父さんや常連さん達の苦しさや悲しさを理解しようとするふうちゃんの優しさにじーんときてしまう。
琉球料理もたくさん出てくる。
ミミガーサシミ、アシティビチ、ラフティ、
イラブーのスープ沖縄に行ったら一度食べてみたい。
後半、自分の手を戦争でなくしたろくさんが語る沖縄戦には胸にグッと来るものがある。
日本軍の命令で我が子を… そして集団自決。
そして家族で沖縄にいく前日おいしいご飯を食べお父さんも少し元気になり翌日沖縄にいき、良い展開で終わるのかなと思ったら、まさかの展開で絶句、お父さんが…。
何がお父さんをそこまで追い詰めたのか!
ふうちゃんの苦しさ悲しさが伝わって、それが
「肝苦りさ」。
最後まで明るく前向きなふうちゃんに救われる。
私達は決して忘れてはいけない。
沖縄戦のことも、ふうちゃんやお父さんのように戦争が終わってもまだ戦い苦しんでいた人がいた事を。
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「お父さん」を殺して欲しくなかった。「お父さん」は最初から最後までのっぺらぼうだった。まるでふうちゃんが見てる幻想のような存在だった。もっと他に描きようがなかったのだろうか。彼の苦しみの原因になかな気づかなかったなんて有り得ない。そして安易に周囲は想像する。結末が自死だなんて。もっと「お父さん」を掘り下げて欲しかった。
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古い新潮社版で読んだ。
予備知識なく読み始めて、沖縄に関連する話だと知り、ちょうどちむどんどんを見ているときだったので、よいめぐり合わせだと思った。
年代はおそらく1975年頃。
沖縄出身の両親を持つ12歳の「ふうちゃん」の両親が営む沖縄料理店を舞台に、店に関わりのある人々の交流が描かれる。
皆、戦争に関連して何らかの傷を持っている。戦争を直接経験した人も、戦後に生まれた人も。
ちむどんどんと近い時代を描いているはずなのに、見えている景色はまったく違う。
最初は神戸派だと言っていたふうちゃんも、父の心の病や、キヨシ少年の生い立ちなどを知るにつけ、徐々に自分のルーツである沖縄に思いを寄せていく。
比較的静かな展開で、物語はゆっくりと進む。人々のやり取りがとても丁寧に描かれている。文庫で400ページ超もあるが、あっという間に読めてしまう。
価値観として古い部分が確かにあるので、子供がこの本から何かを学ぶというよりは、ある程度価値観を確立した大人が自分の立ち位置を確かめるために読むのが良いかもしれない。
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本の裏表紙のあらすじを読んでから読むと戦争の話が出てくるまでずっとまだかなまだかなとムズムズしてしまったから何も知らずに読みたかった。
ふうちゃんがすごくいい子だった。
p270.271の梶山先生の歴史を勉強することに対しての考え方は私にとっても大きな学びになった。
幸いにも戦争に関わることのなかった人たちにとっては歴史であるが、実際に経験した人たちからするとずっと記憶として残っているから死ぬまで戦争は終わらないということを知った。今も戦争を経験した過去を持った上でご存命の方々の中では終わってないのだなと思うと心が痛む。
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最後は切ないけど、とても心温まる素敵なお話だった。ふうちゃんのお父さんは、沖縄での戦争という一人ではとても背負いきれない経験のために、心を病んでしまった。主人公のふうちゃん自身はもちろん、ふうちゃんの周りの大人たちも同級生のときちゃんも真剣に物事に向き合っている人たちばかり。私も子ども時代、何かと物事を隠しがちな大人は嫌いだったが、時期を考えず何でもかんでも教えてしまってもいけなかったのかと気づいた。
集団就職や沖縄差別があったことを初めて知った。特に沖縄の人への風当たりが強かったのはなぜだったんだろう。沖縄の人への差別というか、自分の属するコミュニティ以外を区別して排斥しようとする行動はどこにでもあるんだろうな。
Posted by ブクログ
戦争で傷ついて、心に深い傷を負った人たちはたくさんいると思う。沖縄も、理不尽な扱いを受け苦しんだ人がたくさんいたんだと思う。そういった苦しみを、子供のふうちゃんの目線で昇華していくお話だった。
戦争の苦しみという点では他にない児童文学であったと思うけど、沖縄の人達は苦しんだから、みんな良い人で優しいみたいな文章が多くて違和感を覚えた。本土の人間は、苦しんでないから分からないみたいな言い方。人間には良い人もいるし悪い人もいる。沖縄だから特別ってことはないでしょ、と。
作者はふうちゃんみたいな慈愛の心のある人に育てよというメッセージをこめたのか、ふうちゃんが特別に優しく強い女性であるかのように書かれているのも不思議だった。もちろん、ふうちゃんのような子は素晴らしいと思うけど、特別な人間であるとはどうしても思えなかったなぁ。
児童文学にスレた大人の目線を持ち込むなと言われるかもしれないけど…