あらすじ
「一瞬一瞬、宇宙の総体は消え続けているのであり、持続してあるかのようなものは観念の集合であって、人間が言語によって拵え上げた架空物なのである。過去は「ない」のであるから、私が死んだ「あと」ビッグバン以来の一五〇億年に及ぶ「客観的世界」が広がっているわけではない。(中略)私はいずれ死ぬであろう。そして、何も失わないであろう」(本文より)。過去もない。未来もない。哲学を突き詰めたとき仄見える、清潔であっけらかんとした世界を精密に描く。
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Posted by ブクログ
「不確かさ、不思議さ、疑いの中に居続けられる能力」が哲学する能力であるという。
不確かさ・不思議さに立つとは針の先に立つことでもある。ただし、それはバランスをとって立つヤジロベエの状態では無い。あっちこっちに揺らぎながら、いっそのこと落ちた方が楽であることを知りながらも、なおそこにとどまろうとする意思である。
Posted by ブクログ
77点。ニーチェやニヒリズムって書いとけば売れんのかな、てくらいニーチェ人気高いね。
エニウェイ本棚に中島義道の本が並んでる人はビレッジバンガードなヤツだ。次点は内田樹。
著者は常にその時点での「到達点」を本にする。哲学を研究している人というよりは、人生を哲学してる人だ。
パスカルは『パンセ』で〈人間は人生が悲惨であることを知ったので、幸福になるためにそれを考えないようにした〉と書いた。これはこれでナイスな言葉だが著者にはどうしても「考えないようにする」ことはできなかった。
「明るいニヒリズム」とはなんだろう、「あらゆることには意味がない」と言った舌の根も乾かないうちに、新たな意味・価値・目的を求める卑屈な態度を捨てなければならない。そして「あらゆることには意味がない」という真理にたえず身を焼かれながら生きるしかない。じゃあ何故何も意味がない人生をいかによく生きるか、なんて言うんだ。自己矛盾じゃないか。どんな答えも自己欺瞞じゃないか。著者はそのニヒリズムを支えるのは徹底的懐疑だという。徹底的懐疑に身を浸すとき、わからないことだらけであることがわかる。無になるという意味を実は何も知らないじゃないか。永遠の無の長さとはなんだ。明るいニヒリズムは時間に突っ込みをいれる。
かくして本書はカントの超越論的観念論と大森荘蔵の理論やフッサール、ベルクソンなどを引きながら時間という爆薬で客観的世界を解体する。関連文献読んだことないとちょっとわかりにくい。
無意味さを実感したという著者が著わした著書を経由し、それがわかったと言うのは有意味かつ無意味だ。「考えないようにする」ことができない人はせめて「悲惨である」ことを自覚するトコから始めるしかない。無理に悲惨な人生を「愛さ」なくていい。そこに端的な救いはないから。
Posted by ブクログ
まえがき見て良いなと思って読んだけど、本文はイメージとちょっと違ったかも。
難しくてよく分からなかったけど、結局まえがきとあとがきが言いたいことで、本文はその証明ってことなの?