あらすじ
「アンネは、死んでも私たちの心の中に生き続けているのです。そして、世界の歴史を変える存在になりました」(池上彰『世界を変えた10冊の本』より)
ユダヤ系ドイツ人の少女アンネが、ナチスの「ユダヤ人狩り」から逃れるため家族と共に二年間潜んだアムステルダムの“隠れ家”。彼女はそこで、架空の友人キティーに宛てて日記を綴りました。戦後、残された父オットー・フランクにより編集・公表されたこの「アンネの日記」は各言語に翻訳され、2009年にはユネスコ世界記憶遺産にも登録されました。わが国も同様で、1952年に「光ほのかに」のタイトルで文藝春秋より刊行されて以来、綿々と読み継がれています。
実は、アンネの綴った日記は二種類あります。アンネが自分のためだけに書いたものと、後の公開を期して清書したもの。そのふたつを編集し直した〈完全版〉をもとに、さらに1998年に発見された5ページ分を加えたのが本書〈増補新訂版〉です。尋常ではない環境の中で、13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しく蘇り、私たちの胸を打ちます。平和を愛し、誰かを愛するすべての人に改めて贈る、永遠不滅の一冊です。
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「私は、死んだ後でも生き続けたい」。
アンネはこの日記が世の中に出ることを意識していた。
そして本当に不滅となった。
不滅を意識し、生前にあえて出版を避けたディキンスン。
不滅を意識したが、戦争の波に飲み込まれたアンネ……。
辛い。
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購入から1年ちょっと、ようやく読み終えました。私は買ってから一度、この本を挫折しました。それはこの本が、戦争とかのことではなく恋愛とか母親への愚痴とか普通の女の子の日記であったからです。(しかも580ページある分厚い本)
今回友達に「夜と霧」を貸してもらい、そちらを読むより先にアンネの日記を読もうと決意することができました。ありがとう笑
普通の女の子の日記と書きましたが、空に戦闘機が飛び、街のどこかでは爆撃の音がする、自分たちは外に出ることはおろか、窓を開けること、部屋で大きな声を出すことすらままならない隠れ家生活の中で、恐怖に支配され続けるよりかは少しでも希望を持って明るく生きようというアンネの気持ちが見えてきます。
また、この14歳の少女の精神の強さに驚くと共に、思春期である14歳らしい一面をたくさん見ることができます。
短縮版はアンネの日記の性に関することや母親への批判などが削除されているそうですが、確かにその部分を削るとユダヤ人迫害における人種差別問題についての本となりそうです。しかし、こちらの増補新訂版を読むことで、アンネ・フランクという1人の少女についてより深くについて考えることができると思います。
アンネのその後はご存知のとおりですが、それでもあとがきで心が抉られました。
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ユダヤ人だからという理由で自由を無くし、隠れて暮らすことになる。その心境とが詳しく描かれている。実際に隠れ家で暮らしてる時に皆から馬鹿にされ色々罵られているのに自分の考えを捻じ曲げず、自分は何も間違ってはいないと思える強さがほんとに尊敬する。
終盤にかけてどんどん環境が悪くなり、読んでいる自分でもハラハラする部分があって怖かった。
自分は死んでも生き続けると言ってるアンネの一説が本当に今でも私の中で生きているよ。と言いたい
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言うまでもなく超有名な「アンネの日記」。第二次大戦時、ナチス占領下のオランダ・アムステルダムで隠れ家生活を送っていたユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクの日記様式の文学作品。
教科書に載っていた部分しか読んだことなかったので、全てを読んでみたいとは思っていました。
全てを読み終えて思うのは、思っていたより悲壮感が少ない。
隠れ家生活ということから想像していたのは、完全に外部との接触を絶たれ、なんの情報も入らない監禁のようなものでした。その時点で、勘違いしていました。やはり、読まないとわからないものです。
平穏な日常ではないし、先の見えない窮屈な生活を送っている中での諍いや苦労、困惑もあるのですが、将来への希望や未来への目標を持ち続けているアンネの精神性によって、陰鬱ばかりではないのが救われる部分でありました。
正直、苦悩や悲嘆に塗れたものだとばかり思っていたので、読み進めるために覚悟をしていたのですが、少女の青春を日記として読んだという感想を持つとは予想外でした。
だから、なおさらこのアンネという少女が、平穏な日常を送れなかった戦争という現実を憎まずにはいられない。アンネ・フランクだけでなく、戦時下における全ての民間人は、本来過ごすはずであった平穏を不条理に奪われてしまった被害者である、ということは強く記憶に留めておきたいし、誰もがその立場になってしまうということも理解すべきだと思います。
戦争がなければ、ナチスの台頭がなければ、彼女は多くの同世代の少女と同じように、日々を過ごしたことでしょう。
未来の夢を語り、淡い恋に身を焦がし破れた痛みを涙で癒し、お菓子の味に文句を言いながら満腹になるまで食べ、体型を友人と比べてそれを後悔する、というような。
どこにでもいる、特別でないけどただ一人のアンネ・フランクとして、子供から大人への階段を時につまずき、時に1段飛ばしで駆け上がって行ったのだと思います。
戦争の記憶は、戦史として記録されているものも、国家の公式記録として残されているものも大事ですが、一人の人間の記録も貴重なものとして残しておかなければならない、と思います。どちらか片方だけでは、理解が追いつかない。
「アンネの日記」だけでなく、他の残された記録も知らなければならない、と思います。この1冊だけを読んで、その感想だけで思考を止めてはいけない。
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18歳の時、有名な題名に惹かれ、なんとなく「アンネの日記」を買った。
本を好きになり始めたばかりの当時の自分には読破は難しく、挫折してしまった。綺麗な伏線の敷かれた小説とか、腕のある学者が書いたサイエンス本とは違い、若干単調で、長いというのは正直あった。
家から出られず、戦時下で、楽しい出来事がなかなか起きないのだから、そりゃ多少つまらない箇所も多かろう。しかし、時々見せるアンネの弱音や不安が鮮烈だし、日記にしっかりと残された「戦争がいかに愚かであるか」という声を聞き逃してはならない。
そして、本の終わり=アンネの終わりを意味しており、読み進めるにつれてアンネの死に近づいてしまう。1人の人間の人生が詰まった一冊としては、あまりにも短い本であると、今なら言える。
25の今、改めて再チャレンジしてみると、いろいろな発見があった。
そもそも「アンネの日記」はなぜ日記であるのに、本の形式で出版しても問題なく読めるのかについても書いてあった。アンネは最初は好きなように書いていた日記を、戦後誰かに見られることを想定して、清書しなおしたらしい。
たとえ架空とはいえ、キティーに見られることを想定した文章であったから、そもそも文章が整っていた可能性も高そうだ。
また、アンネは冒頭で、日記を書いているのは"ほんとうの友達"がいないからだと述べている。アンネがまだ学校に通えていたら、アンネがもっと長く生きていられたのなら、彼女の言う"ほんとうの友達"に出会えていたかもしれない。現実はあまりにも残酷である。
日記の中で、ペーターとの恋愛について書かれるが、「ティーンの女子だったから起きた自然な恋愛感情」なのか、それとも、「楽しみが少ない中で、唯一アンネの心を癒してくれたのが恋愛」だったのか。
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小学生の時に頑張って読んだ記憶。最後まで普通の日常って感じだったけど、この後収容所に連れてかれたって考えると悲しくなった。大人になった今だから、いつか再読したい。
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ナチスによるユダヤ人迫害のたもに逃れていた隠れ家での厳しい生活が中心に描かれており、自分が今どれだけ恵まれた暮らしができているか実感しました。
アンネは日記の中で、私たちに向けたアドバイスに思える発言をしていて、タメになりましたし、
あんなに厳しい暮らしの中、常に日記に希望や期待を書いていて胸を打たれました。
アンネが厳しい生活の他に何に悩んでいたのか、何に憧れていたのか、どんな人柄だったのか、私たちがアンネの日記から学ばなければならないことがたくさん詰まっている素敵な1冊です。
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隠れ家でひっそりと暮らし、悲しく辛いことが身の回りで起きていても、ささやかな幸せや楽しみを見つける心の持ちように感動しました。
自分の生活はどれほど恵まれているだろう。
どんな環境にあっても、自分の好きなことや、価値観を失わずにいられるだろうか?
好きなものを好きだと言い、嫌なことを嫌だと言えるだろうか?
そんなことを考えました。
戦争によって世の中が混乱していく様が、アンネの視点から描かれています。
約600Pほどある本ですし、内容も辛い気持ちになる部分もあります。
それでも読み通せたのは、アンネの文章が、希望や絶望、期待、細やかな日々の楽しみなどを、鮮明に表しているからだと思いました。
アンネの元々の才能と、置かれた環境が、このとてつもなく人の心を打つ文章になって現れているのかなと考えていました。
「わたしの望みは、死んでからも生き続けること」と、作中でアンネは書き残しています。
約80年も経ったいま、私がこうしてアンネの日記を読んで、心を打たれているというのも、アンネが生き続けている、と言えるのかなと思いました。
人と人が争うのは、「自分とは違うから」と言えるのかもしれません。
違いを認めて、尊重し合えるようにはなれないのか?
そんなことを、この本を読んで考えました。
こどもにも、大きくなったら読んでほしい。
Posted by ブクログ
昔児童書で読んだアンネの日記のアンネ・フランクからは迫害にも、つらい生活にもめげず最期を収容所で迎えた英雄であり聖人みたいな印象を受けた。
それが思春期を逃げ場のない隠れ家で送ることになった普通の女の子だとガラリと変わった。
日記が突然終わり、あとがきになったとき異様に心が重くなったし、アンネ達がいつどこの収容所でどのように死亡したかとかさらに重くなる。
アンネたち姉妹は収容所が解放される1ヶ月前に、ペーターはわずか3日前に死亡とあってやるせない気持ちになる。
Posted by ブクログ
中学生の時に読んだ。
日記なので、あまりどす黒い部分は無いような記憶。屋根裏の印象が強い。
過酷な中でも、それを感じさせないアンネの日記。もしかしたら戦争に関わる本を読んだのはこの時が初めてかも。大勢の中の1人のアンネ。この日記をみつけた人に感謝。多くの人に読んで欲しい。今でもこの家族の名前を覚えているのが不思議。
Posted by ブクログ
普通に作家として凄い才能。想像していたよりも明るい内容でぐいぐい読ませる。13歳〜15歳で書いたと言うのだから、驚きでしかない。後世に残る大日記となってしまった。
死の恐怖と闘いながらの隠れ家生活。しかも2年も。過酷だった暮らしの中で、人ととして成長していく姿に感銘を受ける。そして未来への夢を語る文章に泣いてしまった。
「わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること!その意味で、神様が、この才能を与えてくださったことに感謝しています。」(本文433ページより)
アンネに伝えたい。あなたの思う通りになりましたよ。あなたの死後80年経った今でもあなたの日記は世界中の人々に読み継がれ、あなたは生き続けています、と。
日記は1944年8月1日で突然終わる。その後どうなったかは、解説に記載されている。わかってはいたが、生き生きと暮らしていた姿を読んできただけに突きつけられた事実の不条理に怒りと悲しみが溢れるばかりだ。
Posted by ブクログ
100分de名著を先に読み、元の本も読みたくなり読んだ。13〜15歳の少女が書いたとは思えないほどの表現力、洞察力。私が同じ年の頃こんなこと考えてたかな?こんな文章書けたかな?無理だな…と思った。
戦争が終わったら、という文言がたびたび登場して、そのたびに胸が締め付けられた。絶対に忘れてはいけない歴史として、これからも読み継がれていってほしい。
Posted by ブクログ
13歳から15歳のアンネが書いた日記。彼女の優れた文章に魅力された。隠れ家という狭い世界の中で育まれる生活の中でも、思春期の少女のリアルは私たちの思春期の頃となんら変わらない。同じだ。なのに、アンネの日記は突然途絶える。わかっているからこそ、彼女の生きるパワーが伝わってくる日記を読むのは胸が苦しい。でも絶対に読んで良かった本の一冊です。
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「じゃあまた、アンネ・フランクより」で締めくくられた最後の日記、その続きに添えられた一文「アンネの日記はここで終わっている。」がこころにシミます。この一文に戦争や人権等について思うかたが多いでしょう。わたしは人間のはかなさを感じました。つい最近、高校の友人が亡くなったと知り、その思いがより強くなりました。
プツリと途切れた『アンネの日記』、そして、友人の続けたかったことを思い、祈りをささげたいです。
この本は小川洋子さん『NHK「100分de名著」ブックス アンネの日記: 言葉はどのようにして人を救うのか』をきっかけに読みました。
裏表紙の概要や、冒頭の「この本について」をみて、『アンネの日記』には、自分用の日記と公表用の日記があることを知りました。読みはじめるとすぐ、この『増補新訂版』の日記は、どうやら公開用に推敲清書されたものだと感じました。
文章がうまいです。「日記」から連想するような単なる記録や自省の内容ではなく、小川さんも書かれていましたが、架空の友人「キティー」への手紙として書かれた文学作品でした。自分で読んだら「キティー」とは第三者の読者だとわかりました。だから読者に伝わる内容であり、ユーモアある、飽きあせない構成や文章を意識されたのかなと思いました。
日記でありながら物語を読んでいるようで、物語世界にどっぷりハマりました。
読んでいる途中、一人暮らしするわたしの息子から書類を送るように頼まれたとき、わたしも「協力者」になったかのように感じられ、びっくり。
日記はアンネが13歳から15歳の約2年間です。わたしにはどこからとは分かりませんが、いつの間にか文章は落ち着いた書き方となり、内容も変化していきます。たしかに、アンネはこの2年間で、無邪気な女の子から、大人の女性になっていました。
日記を書くこと、そして、日記を読み返して推敲することの繰り返しによって、どんどん成熟していったのでしょうか。
わたしはアンネのその後の運命がどのようなものであったのか知っているわけで、重い気分で読み始めました。
しかし、物語と感じた日記は青春実況中継のようであり、ユーモアとエネルギーにあふれ、その力強さに、グングンと物語世界に引き込まれます。アンネは常に希望を失っておらず、自分の未来の構想を作り上げていました。
この日記の主たる読者と思われる若い女性はどのように感じるのでしょうか。おじさんは生命エネルギーをもらいました。具体的には3年くらい寿命がのびた感じ。たぶん3年ごとに読んだら死ねなくなりますよ。
アンネの有名な言葉、「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」があります。その願いがかなったと考えるなら、アンネの書き残した「言葉」のなかに、と考えるのが普通でしょう。
しかし、わたしは文字通り、アンネの魂がこの世に再び生まれ変わる、と妄想しました。この日記から伝わるアンネのハイ・エネルギーであれば、すぐにも生まれ変われたのではないでしょうか。おそらく、20世紀から今現在も、女性の権利拡大と地位向上に尽くされていると思うのです。
そう思うと、アンネのように被害にあったわけではありませんが、とってもよい人だった亡くなった友人も、じきに生まれ変わり数十年後にはバイクのエンジニアとして活躍しているのかなと思ってしまいます。
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切迫した環境下で、文学作品としても優れた文章を書けると誰が想像したであろうか。
それくらいアンネの文章には魅了があり読み手を引き込むような魔法にかかっている。
例えば日常の観察を鮮やかな比喩で描き出す巧みさがあり、戦時中でありながらも普遍的な日常生活が起こっていたことが想像できる。
これらがアンネの先天的なユーモアから派生しているものなのか、それとも戦時中という苦しい状況下だからこそ生まれたものなのか。
どちらにしてもアンネの日記は文章という枠を超えて現代社会に生きるとは何なのかという問いを投げかけてくる、非常に稀有な作品である。
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義務読書
これをするナチスドイツと同盟国だったのが日本。チウネが頑張ったとて罪は消えない。
思春期の素直な内面、戦争に対する市民の認識、匿われる人たちの暮らしぶり、匿う人たちの活動。いろいろなことが読み取れるテクストで、そこにいるかのように思えてくる。
生き残った人によるアンネに対する外からの記述はまた別の文献にあるから、それと合わせると、たぶん存在感が増して、泣いてしまう。
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ユダヤ人迫害下における隠れ家生活を、思春期の少女のみずみずしい感性で筆記した日記文学。ユネスコ世界の記憶。
ホロコーストの悲劇を象徴する一冊として有名なので、大体の概要は知っていたが読むのは初めて。
13歳の誕生日に父から贈られた日記帳にキティという愛称をつけ、友人として語りかけるように日々の生活をつづっていく。作家志望だったアンネは、最初から出版を意識して、推敲した清書版も書き残していたとのこと。冒頭の学校生活の描写から非常に鋭い人間観察力を発揮しており、13歳の文章にしては天才すぎると驚いた。
隠れ家という狭い世界の中で、母親への反抗心や恋愛感情など思春期特有の悩み、迫害や戦争への恐怖、人生と世界に対する俯瞰したものの見方などが、みずみずしい筆致で書かれている。10代において誰しも一度は考えるようなことが、卓越した視点と優れた文章で書き綴られていて、自分がティーンズの女性だったらきっと愛読書になっていただろうと思わせる内容だ。本書においてよく言及される「性」に対する描写も、素直で赤裸々な態度で好感がもてた。
いっぽうで本書はユダヤ人迫害の実情を知る上でのリアルな資料でもある。戦争の本質を鋭く捉えた日記の内容は、その後の本人の結末も含めて、今日の私たちに深い感動と決意を呼び起こす。悲惨の記憶として、また思春期の文学として、永遠に読みつがれるべき一書。
P86 とにかく、これでひとつ勉強しました。ほんとうに他人の人柄がわかるのは、そのひとと大喧嘩したときだということです。そのときこそ、そしてそのときはじめて、そのひとの真の人格が判断できるんです!
P487 戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家にだけあるのではありません。そうですとも、責任は名もない一般の人たちにもあるのです。
P365 わたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和をとりもどすでしょう。そして幸福なひとはだれでも、ほかのひとまで幸福にしてくれます。それだけの勇気と信念とを持つひとは、けっして不幸に押しつぶされたりはしないのです。
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アウシュビッツから生還した心理学者フランクルが収容所での生活とそこから得た見識を書いた「夜と霧」をまず読みました。
フランクルはその人生哲学を主眼に読んで欲しかったようですが、どうしても収容所生活のあまりの苛酷さに目を奪われます。読んでいて眩暈がするほどでした。
そして直後にこの日記を読みました。
あとがきに日記に登場した人の後日がごく簡単に記してありますが、収容所生活の予備知識ができてしまったために想像が膨らんで止まず、嗚咽が止まりませんでした。
Wikipediaによると、隠れ家に保安警察が入り、アンネ達が連行された後、ミープさんとベップさんが散乱したこの日記を拾い集め、保管しました。そして、ただ一人収容所から生還したオットーさんに渡したそうです。
日記を読み、これを世に出そうと決意するまでにどれ程の思いが巡ったか。オットーさんの父として、生存者としての葛藤を想像する中で、ふとフランクルとの交流は無かったか?帰還者同士もしかすると、と思い検索しましたがそういった話は見つかりませんでした。
夜と霧の出版が46年、日記が新聞に掲載され出したのも46年の4月なので、夜と霧の前向きなメッセージが日記の公開に影響を与えたのでは?という妄想もおそらく的外れです。親戚からの勧めやホロコーストに関するものを公にしようという全体的な機運を受けて、そして何よりアンネ自身がそれを望んでいたから、というのが実情に近いようです。
これを調べる中で、ホロコーストに関して日本語には翻訳されていない世界的な書籍が多数あることを知りました。まだこれらを読むだけの語学力がありません。
ホロコーストの規模感や大戦直後の社会が求めていた精神性など、知識が浅いために自分の持ち合わせの情報を安易に結んでしまった。学ぶことをやめなかったアンネに習い、知るべきことを知ろうとする努力をいつまでも続けようと思いました。
わずか15年の生涯を
ヒトラーが自殺したのは1945年の4月30日と言われている。アンネが亡くなったとされるのは同じ1945年の2月から3月の間、収容所でチフスにかかり、わずか15年の生涯を終えた。もう少し隠れ家が見付かるのが遅ければ、彼女は生きていたかもしれない。
日記の内容は、13歳から15歳まで2年間の隠れ家での生活、10代の少女の思春期の心情が赤裸々に書かれている。彼女は日記の他に物語りも書き残している。
日本語訳の「またぞろ」って表現だけ、マジ意味分からんかった☆
何歳になっても。
この本に出会ったのはアンネと同い年くらいの時。人の日記を見るなんて悪い気がしながらも興味津々でした。アンネのまっすぐな言葉に吸い込まれるように読みました。それから自分は年齢を重ね、アンネの生きたくても生きられなかった大人になりました。今読むとまた違った気付きや感情になります。これからも大切にしたい一冊です。
知るべき事実
アウシュビッツを訪れる機会に知り合いに勧められてアンネの日記を読みました
戦場下での生活や当時の情勢も交え、多感な時期の少女がありのままの気持ちを残した貴重な資料だと思います。
またこのような普通の少女が本当にただユダヤ人というだけで強制連行されてしまう狂気さ残酷さを収容所訪問と合わせて知ることができた。
この完全版は長くて読みきるには時間がかかりましたがそれ以上に価値があり、読むべき一冊だと思います。
Posted by ブクログ
アムステルダムのアンネの家を訪ねるのに先立っての再読。
当時収容所に連行された他のユダヤ人と比較すれば、窮屈な隠れ家生活も恵まれた環境だったとは言えるだろうが、平和な時代に考えればもちろんこれほど過酷な生活はない。外に出ることはできず、物音をたてず、協力者が持ってくる配給と本だけが頼り。多感な少女が綴る生活は、おそらくは大人が描くほどの悲惨さを醸し出さず、読書や好きな歴史の勉強、語学、狭い隠れ家での人間関係の観察、両親や姉との関係などを通して、自身を深く掘り下げる日々が淡々と報告されている。言葉を尽くして正直に書き綴っていて、ナチに追われる隠れ家の日記、という先入観を打ち破る瑞々しさにあふれている。
十代の少女の内面は、戦時であっても変わらず希望に満ち溢れ、むしろ戦時だからこそ戦後にかける希望が大きく、ジャーナリストになりたい、もっと自分の良い面を引き出したいという意欲が鮮明。平和な時代なら、もしかしたらこういう渇望は生まれないかもしれない。愛されていると分かっていながら親に反抗し、親の欠点を見、なぜ本当の自分を見てくれないのかといういらだちを募らせる。共に生活する少年に思いを寄せ、その弱さや欠点に失望する。すべての描写は、隠れ家の生活、という点を除けば、普通の少女だ。明確な希望や道筋の探求をしているという意味では、普通より強く、明晰ですらある。特に、戦争という愚かな行為が続く社会に対する憤懣、それは政治家だけでなく、市民一人一人に責任があるという自覚、歴史的に女性が男性より低い地位に甘んじてきたことへの憤慨。アンネが日記を書いた時代から80年が経ってもなお、同じ課題を抱えている現代から見ても、十代の少女の指摘は明快で的を射ている。
その強さからあふれ出る希望を書き綴り、そしてプツンと途切れる日記。密告されて連行された収容所で亡くなったアンネと姉。一人生き残って娘の日記を出版した父親の気持ちを想像すると、胸がつぶれる。
Posted by ブクログ
アンネ・フランク『アンネの日記』
やっと読み終えた。以前、関わりのある本を読んだから、より一層の思いが加わった。この日記が残っていた事、それは奇跡であり本当に良かった。言葉も思いも尽きないが、こんな惨劇が今もどこかでと思うのも辛い。日記が途切れた後のアンネ達の恐怖…怖かっただろう、恐かっただろう、痛かっただろう。
やはり、言葉には出来ない。
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思春期の少女の瑞々しい文章。
特に翻訳者の深町眞理子さんが素晴らしく、アンネ・フランク本人の心情に一番近い日本語を用意して、少女らしさ、喜怒哀楽が本の中で躍動するような筆致になっている。
小説ではなく日記。
読み手によっては単調に感じるかもしれないが、戦争や差別の歴史を読み取る意味は確かにある。
Posted by ブクログ
最後の方になるにつれて、戦況がたびたび良くなっていって、戦後のことや未来の生活について胸を膨らませていくアンネが虚しい。読む前からこの少女はすでに亡くなってしまっているとわかっているからこそ、終わりが目に見えていてなお同情というか、思わず感情移入してしまう。
ただのフィクションなんじゃなくて、今から90年くらい前に実際に生きていた人が書いていた日記という事実が生々しく、途中で日記が途絶えているのも「この人収容所に連れていかれちゃったんだ…」「あんなに活発な子だったのに、もう生きていないんだ…(誰様?)」という思いが読んだ後もずっと残る。
皮肉が多いこと、そして議論多めなのが、いかにもヨーロッパ人だなと思った。
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小説では無いということは頭の片隅にずっと置きながら読みました。
もし自分なら、と考えると本当に気が滅入る。
最後の終わり方は唐突で、あっけないのが、逆に辛くなる。
Posted by ブクログ
アンネ・フランク。架空の人物への手紙という体裁で書かれた日記。14歳前後のアンネの隠れ家における共同生活を綴ったものであり、思春期の親や周りの大人への反骨心や淡い恋にも触れている。また戦争や女性の自立についても14歳どころか大人でも太刀打ちできないほど自分の思想や意志を確立しており、感服する。読まず嫌いせず、もっと早く読むべきだったと感じた。
Posted by ブクログ
アンネの日記を国語の教材として用い、1年かけて精読する中学校があると知り、私も読み始めました。13歳から15歳のアンネが書いた日記ですが、彼女の成長していく様子が読み取れて感服します。自分の思春期と比べるとアンネが物凄く大人に思えますが、共感する部分もあります。より多くの中学校でアンネの日記を扱って欲しいです。それほどに良かったです。
Posted by ブクログ
今まで、アンネの日記に対して、手が出しにくいところがありました。食わず嫌いならぬ読まず嫌いです。
だけど、呼んでみたら人の悪口ばっかりで、日記らしさがすごかったです。人の悪口ばっかりで人名もたくさん出てくるので、あんまり内容は覚えてないんだけど笑、あ、アンネもちゃんと年相応の子供だぁと思いました。これどういうふうに終わるんだろって思っていたら、小説じゃないからそれはそうだけど、唐突な終わり、、、しかも、最後から二回目の日記に、戦争の状況が好転したっていうことが記されて、すごい嬉しそうに綴ってあったのがますます悲しいです。
今年わたしも小学校卒業してとてもワクワクしてるけど、そんな気分の時に絶望のどん底に落とされたアンネの気持ちが、よくわかる気がします。とにかく、同じことが起こらないように。今起きてるウクライナ侵攻やガザ地区でのことも、はやく終わってほしいです……。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦の本として「夜と霧」を読んだけど、それよりももっと有名な「アンネの日記」を読んでいなかったので、遅くなりましたが初読。
外国ではありますが、戦時中の市民の生々しい生活状況を学べました。今私が当時の状況を知りたければ、80-90代の方と話さないと知ることはできないので、とても貴重な体験ができたと思います。
特にアンネはユダヤ人というだけで、迫害を受けていた。ナチスに見つかり、強制収容所に送られないように、13歳から15歳の2年間、オランダの隠れ家で、一歩も家の外には出ることができない生活を送ることに。
多感な思春期を特殊な環境で暮らすことになったアンネですが、終戦後に人々にこの状況を知ってもらうために書き始めたのが、「アンネの日記」。存在は知っていましたが、どういう経緯で書かれたものなのか全く知りませんでした。
いつナチスにバレてしまうかもしれない緊張と閉鎖的な環境で生活する中、時には家族とぶつかり、時には家族と笑い合い、時には恋愛をして、時には戦後どのような職業につくのか、そして、どのような母親になるのかを夢みているアンネの全てが詰め込まれていました。
時代が変わりましたが、人間がしていることは変わりません。今も争いはあちらこちらで起きています。
アンネと同じ様な境遇で辛い思いをしている方がウクライナやイスラエルにいると思うと辛いです。
一日でも早く平和が訪れますように。一人でも多くの命が助かりますように。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦中、ユダヤ人だったアンネとその一家と、ファン・ダーン家と、デュッセル氏の8人が
オランダ・アムステルダムで共に隠れ家生活を送っていたころを中心として綴られている、アンネの日記を読んだ。
ユダヤ人を迫害するナチス・ドイツの支配下にあるオランダでの潜行生活という特異な状況の中で、
13~15歳の思春期を過ごしたアンネ・フランク。感受性の強い彼女の、さらに多感で悩み多き時期の、
元気だったりくじけたりした心の内を綴った、
「人間」と「平和」を静かに見つめ直すことになるような読書体験を得られる本でした。
小学校高学年のころの教科書に、『アンネの日記』の抜粋の短いのが載っていて、
それを扱った授業があったようにも思うのだけれど、
内容はさっぱり覚えていない。それでも、隠れ家生活をする少女から生まれ出た文章という、
漠然としたイメージはずっと心に残っていました。そして、いつかは読もうと思い、
今年の初めに『ブルータス』で紹介されていたのを目にしたのを機に購入して読んだのでした。
10代の頃はね、『アンネの日記』なんて、女の子の日記だから、
読むときまずいような気がしていました。
20代の頃は、色あせた作品のように感じていた。
そして30代になって、存在感のある読み物として捉える事ができるようになったし、
どんなことが書かれていても…、たとえ戦時下の恐怖や悲しみに満ちた内容であろうとも、
読みとおす覚悟で臨みました。
しかし、読んでみると、暗い日記ではない。
”キティ”という架空の親友に向けた、手紙という形で日記は進められていく。
今日でいえば、ブログに近い書き方かもしれないです。
泣いた日のことも、家族とケンカした日のことも、ペーターと親密になった日のことも、
隠れ家の住人が皆いがみ合っていた日のことも、物音におびえた日のことも、
乾いた文体で、簡潔に、そしてできるだけ客観的な視点を心がけて書かれています。
最後の方になると、深く内省するその自己批判力と洞察力に、もしも彼女が生きていれば
鋭い観察眼や批評力を発揮するジャーナリストなり作家なりになっていたかもしれない輝きのかけらが
見られたりします。
戦争は、そして人種差別は、こういう素晴らしい才能、快活な魂を摘んでしまうものなのです。
非常に残念です。
そして、読者である僕も、読みながら彼女たちが最後には捕まることが分かっているので、残念なことに、
その破局を心待ちにしている気持ちがありました。
アンネの記述から、彼女はもちろん他の7人にも生きている人として、流れている血の温かさのようなものを
感じてきましたから、逆にというか、その命が絶たれる痛みを待望する気持ちが、正直に言いますが、ありました。
このあたり、終わってしまった悲劇をなぞるからこそ、そういう悪い期待をしてしまうのでしょうか。
とはいえ、読んでいる間の9割方は、綴られるアンネの心情や状況にのめり込んで読んではいるのですけど。
当時の生活の様子が、それが潜行生活であったとしても生き生きを書かれているので、
古臭くてかび臭いような、ぼろぼろの古い時代として感じることはなく、
今と太陽も月も星も森の様子も風も川の流れもそこに魚が泳ぐことも鳥が空を飛ぶことも
変わらないんだなーというのが身にしみるようにわかる感じで読める本でした。
思春期の物の考え方って、やっぱり基本になるようなものがあり、
再発見させられることもあるかと思いますし、
人間模様とその分析などには、ヒントになることも多いと思いました。
そういうような意味でも、この『アンネの日記』は一面的に読めば終わりという
本ではありません。多面的にいろいろ感じたり考えたりできる本なので、
読む方はまずは偏見をできるだけ持たずに向かい合ってみることをおすすめします。