【感想・ネタバレ】昭和史裁判のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

半藤一利と加藤陽子による昭和の戦争に関連する人物の疑似裁判?というより裁判を模した対談。
まあ!兎に角、微に入り細に入った内容まで立ち入って対談しているのには正直驚いた。昭和の時代だから資料が豊富にあるので、ここまでやらなければダメなのかとも思うが、調べるのも大変だと腰が引けそうな感じがする。

上に乗るのは「広田弘毅」「近衛文麿」「松岡洋右」「木戸幸一」「昭和天皇」の5名。東条英機が何故入っていないのだろうと不思議に思う。対談の対象に入れても太平洋戦争の主犯だというのが、はっきりしていて「裁判」としては弁護の余地がないからだろうか?

特に最終章の「昭和天皇」の章については、驚きの内容でした。
P287~288
半藤:昭和16年は新聞が反米運動のお先棒かつぎでした。新聞が反米の世論を焚きつけたのですが、今度は逆に、世論に新聞も言論を縛られていくのです。
P302~303
加藤:(第二次上海事変-1937年に中華民国の上海共同租界で起きた日中戦争の発端となる日中両軍の戦闘の時)天皇は、参謀本部は渋っているけれど、やっぱり海軍が求めるように、上海にもっと陸軍の兵力を投入せざるを得ないと判断する。海軍側への信頼関係もあったせいで、かなり大胆な指導をなさったな、と思うのです。とりわけ昭和12年11月までの、上海作戦が終わるまではその印象を持ちます・・・(略)・・・平沼首相に向かって、「統帥権について、言葉を変えていえば陸軍について、何か難しいうるさいことが起こったならば、自分が裁いてやるから、何でも自分の所に持って来い」と言う。昭和15年までも含めて、日中戦争は天皇が、戦術戦略的なレベルまで降りていって指揮した戦争だったなあ、という印象があります。
半藤:昭和天皇の中国に対する最初のころの基本的な考え方は、残念ながら「中国一撃論」でした。
P323
半藤:昭和天皇はどうやら日中戦争開戦そのものはやむを得ないと思っていた。けれど、対ソ戦開戦の恐れがあるから早く収拾せよと、それを一所懸命言っていたのです。
P324
半藤:天皇のみならず軍部や政府の指導者たちには、南進でも北進でも同じ結果を招くとはわかっていなかったのです。いずれもアメリカの対日硬化という結果を招くということが。
P343
加藤:元老の西園寺公望が元気な頃、そして牧野伸顕が内大臣の頃までは、とにかく天皇は御前会議を開いては駄目だと。政治的な判断をしてはならない時代でした。でも、湯浅倉平が内大臣になると、湯浅は例によって内務官僚の真面目な人ですから、天皇の統帥権的発言を許すわけです・・・(略)・・・昭和天皇は美濃部達吉の天皇機関説事件が起きたときには、天皇機関説を支持していたにも関わらず、湯浅内大臣になると天皇機関説を逸脱した形で戦争に関与しました。天皇機関説が保障してくれていた君主無答責が、昭和10年(1935)の機関説排撃事件で葬られてしまいますので、終戦のときは、ある意味、天皇の「無答責」を保証する国法学的な解釈がなくなってしまっている。天皇は、太平洋戦争のそれぞれの作戦指導で、御下問というかたちで、統帥部の判断を変更することがありましたので、天皇「無答責」というのは、太平洋戦争中の国務と統帥については、無理があると思っています。軍はそれがわかっているから、無条件降伏できなかったと思います。
P373
半藤:それにつけても、最後にもう一言、昭和天皇のまわりには不忠の臣ばかりがいましたなあ。

私としては、これまで天皇の戦争責任という問題について、余り考えたことが無かった・・・というより考えることを拒否していた。ましてや昭和史に関しては、読むのも嫌だったが、最近思う処があって、これまでの食わず嫌いな分野まで、やっと手を伸ばし始めました。
その最初の本にしては、衝撃が大き過ぎた感があります。

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2016年02月20日

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