あらすじ
N市立文学館は財政難のため廃館が決定した。文学館に勤めていた老松郁太は、その延命のため、展示の中心的作家・徳丸敬生の晩年の謎を解こうと考える。30年前、作家は置き手紙を残して行方不明となっていたのだ……。謎解きの過程で郁太は、文学館の存続を懸けて「人はなぜ小説を読むのか」という大きな命題に挑むことに。はたして、主人公がたどり着いた結論とは!?
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Posted by ブクログ
やっぱり本はいいなと。
そして今更ですが「承前」の意味を初めて知りました。時々目にはしてましたが、なんだかわかってなかったので、あぁと思いました。
Posted by ブクログ
「人はなぜ小説を読むのか」と、本作で勇次が郁太に問いかけていますが、ちょっと前に同様のブログ記事を読みました。
そのブロガーの記事には時々違和感を覚えることがあって、その正体って何だろうと考えていたのですが、その解答は本作の言葉でいう「人格の修行」っていう点なのかな〜と思いました。
なんだか大げさな言い回しですが、自分と異なる考え方の人に(架空、現実問わず)どれだけ多くの人と接することが出来たか、というところでしょうか。人物描写が巧みな小説ほど、文字通り生き生きとその人物が描かれ、その人の考え方などを知ることが出来る。そうして「こういう考え方の人もいるんだ」と“他者を許容する範囲”が広がっていくのかな〜って。(場合によっては許容どころか“目標”になる人物が現れることがあるかも?)
当のブロガー記事も勇次と全く同じ理由で小説を否定していますが、本に直接的な実利しか求められない人の意見だと思います。小説が好きな人と接していたらその視点で考えられる、あるいは意見を聞くことが出来るはずですが、それが出来ないのは常に自分と同じような考え方の人(本には実利しか求めないような人)としか接していないからじゃないかな〜と思った次第。
勇次が言うように映画やコミックなどでも同じ「修行」は出来ますが、個人的には小説を読む理由は「暇つぶし」「娯楽(エンタメ)」であって、小説は多数あるその手段の一つ。それでいいんじゃないかと思ってます。(叙述トリック系のミステリなんかは小説ならではの表現なので、小説でしか楽しめない「暇つぶし」というのもあるとも思います。)
小説好きな私としてはブロガー記事と勇次の言動にカチンと来てしまった(大人げない…)ので、そのような思想的(?)なことをいろいろ考えさせられる本となりました。
それとは別にもう一つ、同じレベルで興味を引かれた点があります。それは「死後に刊行された遺稿集に、著者直筆のサインがある」という“ありえない事案”。この「普通ゼッタイあり得ない」という事柄に果てしなく興味を惹かれ、その謎を解き明かして行くミステリとして私はとても楽しめました。その作家、徳丸敬生を解説するパートは少々文字を追う速度にブレーキがかかりましたが、それ以外は一気読みでした。
なお、世界観を共有する別作品があるようで、本作にそのキャラクターが登場しています。何となく気になったので、近々そちらの作品にも手を出してみようかと。