あらすじ
軍部と革新官僚が手を結び、電力の国家統制が進んだ戦前、「官吏は人間のクズである」と言い放って徹底抗戦した“電力の鬼”松永安左エ門、「原爆の先例を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と原発に反対した木川田一隆など、かつて電力会社には独立自尊の精神を尊び、命を賭して企業の社会的責任を果たそうとする経営者がいた。フクシマの惨劇を目の当たりにした今こそ、我々は明治以来、「民vs.官」の対立軸で繰り返されてきた電力をめぐる暗闘の歴史を徹底検証し、電力を「私益」から解き放たねばならない。この国に「パブリックの精神」を取り戻すところから、電力の明日を考える。【目次】はじめに 電力を「私益」から解き放つために/第一章 国家管理という悪夢――国策に取り込まれた電力事業/第二章 誰が電力を制するのか――「鬼の棲み家」で始まった民の逆襲/第三章 九電力体制、その驕りと失敗――失われた「企業の社会的責任」/おわりに 試される新たな対立軸
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Posted by ブクログ
広田弘毅内閣から電力国家管理法案が衆議院に提出され、近衛文麿内閣下に電力国管化。戦争をするために国家管理を強行にした国家総動員法。
福沢諭吉に教えを学ぶ「松永安佐ェ門」が、国家を電力に介入させずという信念のもとに敗戦後にGHQを利用しながら今の9電力の基盤を作る。
後半は、原子力にいたる今まで。
松永亡きあと東京電力の木川田一隆が何故に原子力開発に手を出したのか?あれほどまでに原子力はダメだと豪語していた者が…。
1954年中曽根内閣 原子力開発推進。
「原子力開発は国家的機関が中心となり挙国一致体制してやるべし」という官の主張に木川田は反応。
国の独占が始まると原子力への警戒感は薄れる。
「ファウスト的契約」とはよく言ったものだ。
木川田、自分の故郷福島に原発を置いた。
1961年電力値上げ。
1974年企業としての献金を廃止。
1976年から社長となる平岩外四。
1977年に木川田が亡くなる。
体制を反転。
国と手を組み原子力村の始まり。
政・官・産・学・メディアの癒着。
国家との緊張関係・企業の社会的責任を失わせた。
今に至る。
松永安佐ェ門は、どう思っているのだろう。
Posted by ブクログ
去年の大震災が、『人災』であるなら、『空き管』をはじめとする政治家だけではなく、『東京電力』という会社のことも知らねばならない。と思う。マスコミ(ニュース、テレビ番組、新聞など)は原子力という技術を『専門家』が、わかりにくく紹介するばかりで、さっぱりわからない。(自明です、人類史上最高級の部類の技術なのですから)だから、わかりやすい人間の話から、理解を始めるのが、寛容かと思います。本書は良きナビゲーターとなるでしょう。
Posted by ブクログ
今は電力会社と政府は非常に結びつきが強い印象を受けるが、戦争以前、直後は違ったのだということを認識できた点が良かった。原子力という制御が非常に難しいものにより政府と電力会社との結びつきは強くなり、チェック機能が働かなくなってしまった。
Posted by ブクログ
電力会社がなぜ今日のような地域独占の形になったのか、民間企業と国家の電力会社の統制権争いの歴史を見ながら明かしていく。
っていうか松永さんの歴史。
しかも作者の人松永さんが好きすぎてヤバい。
個人の名前がいっぱい出てきたけど、どこそこの企業が、政党がとかじゃなくて誰々がこの時こういう判断を下した、こう評した というように個人単位で詳細に調べられててすごいと思った。
個人的には、昭和恐慌からの不況で日本の官僚たちが自由主義経済の限界を感じてスターリンのソ連やドイツのヒトラー独裁国家の模倣を始めたっていうのがなるほどーってなった。歴史の本とか読もうかなって思った。
とにかく筆者が松永さん好きすぎてパネェ( ゚д゚ )
Posted by ブクログ
原発事故は「想定外」ではなく、想定されたからこそ福島県沿岸部につくられた。原発は立地先の地方住民の犠牲なしには成り立たない構造的差別に立脚している」との東大の高橋教授の言葉に納得。
損害賠償は10兆円にも達するといわれる。それを支払う能力がなければ東電は倒産するのが普通だが、それでは困るからと、さまざまな救済案が出されている。しかし、東電が倒産して、誰が困るのか?
確かに経営者や社員は困るだろう。出資している株主や大銀行、それに社債を買っている人間も困るが、そのリスクを承知で株を買い、融資をしているのではないか。
日本航空は倒産させ、会社更生法によって再建を図っている。どうして東京電力は倒産させられないのか。資本主義の社会のはずなのに、突如そうなる日本の縮図・・・・
Posted by ブクログ
電力が自由化だった時代が日本にもあった。戦前、民間の電力会社が
熾烈な競争を繰り広げていた。それが国家により統制されていくことに
強行に抵抗し「電力の鬼」と呼ばれた男がいた。松永安左エ門。
偏屈で頑固で、大の役人嫌い。「官吏は人間のクズである」「役人に
電力会社を運営できるわけがない」。もうこれだけでしびれさせて
くれる人である。
本書は戦時の国家統制に電力会社が飲み込まれて行く時代から
戦後に民の手に電力が戻るまでを松永の国家との闘いを中心に
描いている。
「電力で日本を豊かにしたい」。GHQどころか日本中を敵に回してまで、
松永が成し遂げた電力の民営化だったが、いつのまにか電力各社は
役所よりも役所らしい企業になり下がった。
そして、松永があれほど嫌った政治主導の元、原子力発電という怪物
を作り上げた。
「生きているうちこそ鬼と云われても
仏となりてのちに返さん」
国がくれるという勲章を頑なに拒み続けた松永は、居間の電力各社を
どのように見ているのだろうか。