あらすじ
かつてウサギ小屋などと海外から揶揄されたように、日本の住宅事情は劣悪だとされている。だが夏目漱石や内田百間、高村光太郎など極小の空間を楽しみながら住んだ先人たちをみると、広さのみが豊かさに通じるとは言えないのではないか。本書は、究極の住居の実例を示し、住むことの根源を考えてみようとするものである。狭い住居の工夫を知って身の丈の生活の意味を再検討する。【目次】はじめに――狭いながらも豊かな空間/第一章 内田百間、二畳に夫婦で住む――作家が語る小屋生活/第二章 高村光太郎の山小屋――雪深い里で詩作にはげむ/第三章 永井隆の二畳の如己堂――原爆の町で平和を求めて/第四章 多摩川渡船場二畳の小屋――氾濫したら持ち運ぶ/第五章 夏目漱石・中村是公、二人の二畳の下宿/第六章 正岡子規の病床六尺――ふとん一枚、これが我が世界/第七章 四国、村はずれのお茶堂――遍路たちの一夜の宿/第八章 建築家提案の最小限住居――極小空間の特色/おわりに――狭いながらも楽しい我が家
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Posted by ブクログ
狭い住居に住んでいた有名な作家たちの生活の様子が紹介されていた。
広い空間でゆったり済む事に憧れはあるが、狭いながらも楽しい我が家を改めて感じられた。病気や戦争で狭い生活空間を余儀なくされた作家もあり、そんな中で作品を生み出していった姿に尊敬の気持ちもいうまれた。
Posted by ブクログ
二畳で豊かに暮らす。そんな挑戦的な、不可能と思われるタイトルに惹かれて一読。
内田百問、漱石、子規らの住まいの考察、遍路を接待していた建物の調査、戦後の建築家によるミニマムな住居の提案など、ためになる論文を読んだ気になれた。
劣悪な住環境は、ひとを荒ませる。
でも、ただ広ければいいというものでもない。広さは快適さに影響するけれど、比例するものでもない。
自分に合った、必要かつ十分な住空間に住まうこと。そして豊かに暮らすこと。この豊か、というのは経済的な意味よりも、測れない内面的な、人間的な豊かさのこと。
それを自身も求めてゆきたい、大切なことだなと改めて思えた。読めてよかった。
子規の布団の狭さと途方もない広さを、読んだ人と分かち合いたい。
Posted by ブクログ
そのためには
「不便」という概念を超克し、空間の豊かさを追求する
という姿勢が最重要である。
故に、トレーラーハウス、カプセルホテル、ネットカフェの類はそれに叶わない。
これらは単に普通の居住空間を模倣したり、個々の欲求だけを具現化したに過ぎないからである。
どんなに豪華で快適な空間であっても、工夫の凝らされた橋の下のゼロ円ハウス以上に(精神的には)豊かに暮らすことは決してできない。
まぁ、以上のことは一度でもルンペンを経験した人でないと中々判りにくいのかもしれないけれど…
Posted by ブクログ
鴨長明、高村光太郎、内田百閒、立原道造、夏目漱石、正岡子規の小屋または小部屋暮らし。
面白いといえば面白いけど、みんな物故者で、歴史上の人物。現代・現在の人で、選択的に2畳暮らしをしている人の話を入れて欲しかった。
Posted by ブクログ
引越した部屋の狭さに絶望して思わず手に取った一冊。お蔭で大変心強くなりました。うん、彼らに比べたら全然マシ。
二畳。「起きて半畳、寝て一畳」とはいいますが。残り半畳は収納ですか。
たしか森見登美彦の「四畳半神話体系」には、「二畳に住んでいる強者を一人だけ知っていたが、彼は精神に異常をきたして親に実家に連れ戻された」のようなことが書いてあったと思うけれど、普通はそうなると。監獄の方が広そうだもの。そんな部屋に複数人で住む文豪達。彼らの精神はどうなってるのでしょうか。しかも文章を見る限り結構楽しげである。
文豪たる想像力を総動員して現実逃避でもしていたのでしょうか。彼らの才能の原点はそこにあるのかも。文豪になりたくば二畳に住め。