【感想・ネタバレ】日々是修行 ――現代人のための仏教一〇〇話のレビュー

あらすじ

仏教の本質は修行である。苦を生み出すものが「この私」であるなら、心を鍛え、私自身を変えることで、苦しみから自由になれるはずだ。現代に生きる私たちにとって、ひたすら信じる救済の宗教よりも、釈迦本来の合理的な教えの方が、むしろ馴染みやすい。初期仏教の思想をベースに、生活に結びつく叡智一〇〇話を紹介。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

もともとは朝日新聞に連載されていたコラムを下敷きに加筆修正されたものらしい。これまで読んだ本は、お釈迦様の仏教や法句教、涅槃経、法華経などお経をベースとした教え、それぞれの違いの紹介だったりしたので、佐々木先生本人が実際にどう思い、どう感じているかは推測の域を出ていなかったのですが、今回は科学者目線も持っている佐々木先生の目線での考えが随所に盛り込まれて、より頭の整理ができるような本でした。
特に、「私は釈迦の信者だが、輪廻の実在性は信じない」というのは、現代人としてのスタンスが明確で、ではお釈迦様の仏教に何を求めているのか、何をゴールとしているのかが垣間見れるような気がしました。先生の言葉によれば「努力によって精神を集中し、その力で智慧を獲得せよ。そうすれば必ず、世界を正しく理解できる。世界を正しく見ることができれば、利己的妄念から生ずる心の苦しみを消すことができる」ということですね。あと、「悟りが無ければ修行する意味がないなどと考える必要はない。少しずつでも、自分は良い方向に進んでいるという思いは、それだけで人生の素敵な財産である。理想を求めつつ、現実の一歩一歩を大切に歩む。気がつけば、それが釈迦の教えの実践になっているのである」というのもありがたい言葉。
あと、関係ないけど和尚と阿闍梨の語源が知れたのもありがたい。和尚はエルダー、阿闍梨は科目別講師ですね。
それから、先生は律の専門家として、律について述べているのだけど、これって、禅宗で言っている作法につながっているような気がする。曹洞宗では、生活のひとつひとつが修行ととらえられているので、それぞれにしっかりとした作法があると認識していて、これって律に近いのかなとか勝手に思ってしまいました。作法の方がもう少し細かいルールのような気はしたけど・・・
また、人間の認識は刹那刹那で切り替わっていて、これを一転に収束させることが精神集中というのも面白かった。
今まで学んだことと重なる部分も多かったけど、コラムなだけに視点が現代生活にあって、一つ一つが短編で読みやすいことも非常に良かったです。また、時々読み返したいと思いました。

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2022年02月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

以前TVでとり上げられた素粒子物理学者、故・戸塚洋二氏のお話の中で、佐々木閑(ささき・しずか)氏のことが触れられ、とても興味を持っていました。
佐々木氏が科学者から仏教学者に転身したと言う経歴も。

今回、佐々木氏の「犀の角たち」と共にこの本を買い読み始めたのですが、非常に驚いたというのが実感です。
と言うのは、佐々木氏の本を読んだのは初めてなのですが、私が感じ、思っていることがあまりに多く語られているのです。
また、違った観点からの発見も。

以前は小乗仏教と呼ばれ、それが誤解を招くと現在は上座部仏教と呼ぶことがほとんどですが、それを敢えて小乗仏教と呼び、その意味を正しく理解してほしいと願われているところは、なるほどそう言う方向性もあったのかと思ったり。
日本に伝わった仏教は大乗仏教と言われ、小乗仏教と全く違った体系をしています。
私はどちらかと言うと(小乗仏教)上座部仏教と言う釈迦がいた頃の原始仏教に近い仏教にとても興味があります。
それは仏教を宗教の一つとして捉えるのではなく、哲学として学びたいと思っているからなのかもしれません。
そして仏教の教えの中で、私が疑問に思っていたことも読むうちに氷解していきます。
釈迦が本来導きたかったのは、絶対的な存在にすがることではなかったのですね。
生きることは「苦」である・・。そこからいかに「苦」と向き合うのか、それは自分の中に答えがあると言うことなのだなと思います。

また私の心の拠り所となったチューラパンタカ(周利槃特・しゅりはんどく)のお話もこの本に載っていて感激。
釈迦の弟子であったチューラパンタカと言う人はあまり賢い人ではなかったので、修行が上手く出来なかったそうです。他の弟子にも呆れられるほど。そんなチューラパンタカに釈迦は日々の掃除をせよと命じます。チューラパンタカはそれから毎日掃除に励むうちに悟りを開いたと言うお話です。
賢くなくても、不器用にしか生きられなくても、日々前に進もうと努力することが大事であると感じさせられるお話で、勇気が湧きます。

私がスリランカに行ってみたかったのは、釈迦の存在を近くに感じたかったこともあったんですけどね。

でも釈迦は絶対的な存在ではありません。
釈迦自身も入滅の際、そのように弟子達に伝えています。
『私の死後、皆の拠り所は私の教えとお前達自身である』と。
後継者を出すでもなく、絶対的『神』を持ち出すことでもない、全ては教えと言う悟りへの道筋と自身が考えること(内観)であると釈迦は伝えているのですね。

また、ちょっと話は変わりますが、先日の政府の事業仕分けで最先端科学技術に与えられる予算が大幅に削減との報道があったり、「一番ではなく二番ではいけないんですか?」という発言がありましたね。

私は「別に二番でもいいじゃない」って思っていた人なんですが、佐々木氏の科学者の物の考え方を知っていくうちに、それではいけないんだなと言うことを感じました。科学者とは「二番でいいや」と言う考えでは研究できないんですよね、目指すは「一番」なのだと。それが研究する原動力なんですね。
なので、それに必要であれば未来への投資をすることはとても大事なことなんだなぁと感じました。
今は何に使えるか分からない発見や発明も、その後重要な役目を果たすことが往々にしてあると言うこと、これは目から鱗でした。
もちろん無駄遣いは厳禁ですが。

そして日本における仏教のあり方・・・。
元々は厳しい修行をし、人からの施しのみで生きなければならないのです。
それには道を求めて修行する尊さがあるからこそ、皆が布施をするんだと言うことを僧は心に刻んでおかねばならないのではと思います。

とにかく今は自分の精神を磨かないといけませんけどね。
少しずつでも。

日々是修行です。

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2012年10月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

とにかく釈迦の直接説いた初期仏教が大好きなのを前面に押し出した本。何度も繰り返し仏教は現代にこそ向いていると説いている。
理由は初期仏教の理詰めの論理、超越者の不在、自分が変わることを目標にしていること。
現代人は超越者を認めることができるほど純朴ではない、だから今こそ初期仏教なのだと。
とにかく親近感が湧き、わかりやすい文章に一気に読んでしまった。
ここまで楽しく本を読めたのはほんと久々だと思う。
仏教を科学的視点から見るというのもおもしろい。
仏教が説く心の仕組みをもっと知りたくなった。

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2012年06月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

合理性の世に生き残れる唯一の宗教は仏教なのかもしれない。もちろん初期仏教の教えだけだが。

脳科学と悟りの合体などはすばらしい展望である。

もっと仏教のことを学びたく思った。

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2012年04月26日

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