あらすじ
愛弟子が親鸞の教えを正しく伝えるべく、直接見聞した発言と行動を思い出しながら綴った『歎異抄』。人々を苦悩から救済するに努めた親鸞の情念を、わかりやすい注釈と口語訳で鮮やかに伝える決定版。
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匿名
私なんかが評価するもしないもないでしょうが、歎異抄を読んで特に感心するのは信仰や善悪について親鸞がいかに深く考えているかということです。表面的な善行も悪行も多分親鸞はどうでもいいと思っているのではないかな。普通宗教的な考えは人間社会に一種の価値規範体系を提供します。それには良い面もあるのでしょうが、しばしば家父長制のように変質していってしまいます。親鸞の思想ではここの部分の価値が無効化されています。焦点になるのは善か悪かではなく、自力が他力かという部分のみで、本当の信仰とは自力を起こさず阿弥陀如来の本願を信じて任せきることだと。しかしこの阿弥陀如来の本願のみを信じる絶対他力は、世俗権力による支配にまつろわない強い個を生み出したとも言えるのでしょう。
Posted by ブクログ
100分で名著にて紹介されていたので読んでみましたが上手く理解出来ません。
訳文を読んでいても睡魔が襲ってきてページがなかなか進みませんでした。
念仏を唱えさえすれば極楽浄土へ行く事ができる、と現代ではかなり怪しい思想となりそうであるが決してそういう事ではないという事だけは何となく理解できる。
悪人正機説など当時はかなり危険思想だったかもしれない。
正しい人間しか救われない、ではやはり救いがない。だって人間なかなか自分が正しく生きられてるなんて思えないもの。
そういう大部分を占めるであろう普通の人に対して救いがあると訴えれば、世捨て人みたいにならず頑張って生きていこうと思う人が増えていくのかもしれない。
そんなところなのかな。
Posted by ブクログ
親鸞の教えが書かれています。
・極楽へ行く為には、念仏以外に他の善い行いは必要ない。
・ただひたすら本願を信じればよい
このような教えなので、庶民にとってはなにも考えずに信じればいいだけなので楽だとおもいます。なので教えが広まったのだとおもいます。
私には、この教えは人を思考停止にさせているようにしか思えませんでした。