あらすじ
昭和天皇の14歳下に生まれた三笠宮崇仁親王。陸軍参謀として南京に派遣され弟で唯一、戦場を体験し「聖戦」の実態を厳しく批判した。
戦後の象徴天皇制下、東京大学で歴史を学び、実証史学の立場から積極的に発言。建国記念日制定=紀元節復活に反対を唱え「赤い宮様」と称された。
他方で皇族で唯一宮家を維持・拡大させ、昭和天皇、明仁天皇を補佐、戦後の天皇家のあり方を模索・定着させていく。
本書は、三笠宮の軌跡を追うと同時に、皇族の存在とは何かを描く。
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Posted by ブクログ
三笠宮崇仁(1915-2016)は、大正天皇嫡出4人兄弟の末っ子で、長兄に昭和天皇、次兄に秩父宮、三兄に高松宮を持った。
成績優秀のうちに士官学校を卒業後、「日本の戦争は善き『聖戦』」と信じ、陸軍参謀として1942年の南京に赴任した。しかし、大陸での日本兵による蛮行を伝え聞いて衝撃を受け、「聖戦」の正当性に疑念を持つようになった三笠宮は、戦争終結を目指して蒋介石との和平工作に奔走した。結局、和平は頓挫して44年に日本へ帰国することになるが、南京を出る前に陸軍将校たちへ「日中戦争の不道義性」を説く講話を行い、聴衆を呆然とさせた。帰国後は未遂に終わった東条英機暗殺計画に何らかの形で関与したと見られるほか、他の皇族と共に政治観を表明して昭和天皇を苛立たせた。
敗戦後の皇族像は「学究か社会福祉活動」であるとし、自身は前者を選んで東大文学部西洋史学科で学んだ。同窓には人類学者の中根千枝がおり、公務で授業に出れない三笠宮に自身のノートを貸していたという。その後は原始キリスト教・マルキシズムに関心を持ちつつ、歴史学に邁進して日本オリエント学会を創設した。
GHQ統治下で保守反動的な「逆コース」が進む中では、歴史学的見地から万世一系の皇室像を痛烈に批判し、2月11日の建国記念日化に反対して右翼が三笠宮邸に押しかける事態になった。
平和主義的見地から政治へ意見する姿勢は「無責任、奔放」だとして長兄の昭和天皇に批判されたが、象徴天皇を補完する新たな皇室像を模索していた。
1946年の皇室典範改正にあたっては私案を提出し、将来的な女性天皇の許可だけでなく、皇族の人権を重視する立場から婚姻の自由・生前退位の自由を論じた。
兄である昭和天皇・秩父宮・高松宮の死を見送り、三人の愛息にも先立たれる中、2016年に100歳で亡くなるまで皇室の最年長者であった。三笠宮と生涯を共にした百合子妃も2024年に没し、現在の三笠宮家は崇仁の孫で麻生太郎の姪である彬子女王が当主となっている。
本書は三笠宮家の未公開資料を初めて使用し、百合子妃へのインタビューによるオーラル・ヒストリー資料も用いた最新の三笠宮崇仁人物史である。戦前・戦後昭和・平成と変わりゆく時代を、陸軍将校・皇族・学者という様々な立場で経験した三笠宮の生涯を追うことで、天皇制が辿った近現代史を浮き彫りにしている。2026年の皇室典範改正を考えるにあたっても示唆に富む一冊。