あらすじ
■「絶対に失敗するプロジェクト」が全会一致で走り出す
■みんなが無駄だと思っている仕事がなぜか永遠になくならない
■「すごい人」ではなく「無難な人」が社内エリートに君臨する……
――「優秀」な人が集まっているはずの組織で、なぜ非合理的な運営が繰り返されるのか?
不可思議な現象を生み出すメカニズムとは?
組織論の第一人者が、誰も踏み込むことのできなかった「組織と個人の真実」に迫る。
【本書の内容から】
・会議室に漂う「本当のことを言ってはいけない」という奇妙な静寂
・「効率的に仕事を終わらせる」ことの会社員的デメリット
・「裏の承認」を得なければ評価されない日本企業
・「自分にとって都合がいい人間かどうか」という裏評価基準
・「いかに頑張っているように見せるか」に注力し始める社員
・不正があっても「見て見ぬふりをする」という合理的選択
<目次>
プロローグ 「優秀」な人たちが組織を歪めるメカニズム
第1章 なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がなされるのか
第2章 なぜ鳴り物入りの新入社員が凡庸な中堅社員に育つのか
第3章 なぜ社内で抜擢されるのは結局、保守的な人材ばかりなのか
第4章 なぜ時給の高い役職者が「誰でもできる仕事」に時間をとられているのか
第5章 なぜコンプライアンス万全なはずの一流企業で不正が起こるのか
第6章 どうすれば日本型組織の悪弊から脱却できるか
――「イヌ型」マネジメントから「ネコ型」マネジメントへ
エピローグ 「部下を持ったら、まずネコを飼ってみなさい」
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Posted by ブクログ
この本読んで最初に浮かんだのは、穏やかな気分とはいかなかった。
おそらく十年以内に、日本はどこかで「戦争」に類することをしてしまうのではないか。前の戦争から何も学び直せてないということで。
ここで言う「反省」とは、侵略の歴史や加害行為をめぐる政治的な議論ではない。
組織論としての反省のことだ。
戦前・戦中の軍隊や政府機関に染みついていた組織の体質は、姿を変えながら今も生きている。しかも厄介なことに、個人の利益がますます重視される現代社会の中で、その組織という名の「古いOS」は「滅私奉公」を建前に掲げながら、実態としてはまったく滅私になっていないという矛盾を抱えたまま、軋み続けるんだろう。
言いたい事は
戦争をするという事ではなく、それに突き進み、止められない(終わらせられない)という問題だ。
さてさて、この本に反発を覚える読者は、おそらく二種類いる。
一つは図星をつかれて怒る人。
一つは「エビデンスがない」と怒る人。
たしかにこの本は、綿密な実証研究の積み重ねというより、一種の「スケッチ」に近い。恣意的だと感じる読者もいるだろうし、理論の紹介もやや駆け足に見えるかもしれない。だが読んでみれば、多くの日本の組織人にとって「あるある」と頷ける記述が並んでいる。
かつて小林秀雄や梅棹忠夫が大きな話をするとき、「エビデンス、エビデンス」とばかり言っていたら、何も語れなくなってしまっただろう。
この本は、一つの仮説を軸に既存の知見と現場感覚のスケッチを整理して見せてくれるところにある。挙げられている事例や処方箋がやや特殊に感じられる部分もあるが、それは読み手次第だろう。
むしろ、集団浅慮(グループシンク)や、ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト型の共同体という概念を知る入り口として、良い一冊だと思う。
(心理学者アーヴィング・ジャニスが名づけた集団浅慮とは、個々人が場の空気を読み、嫌われることを恐れるあまり本心や反対意見を口にできなくなり、結果として集団全体が不合理な結論へと流れていく現象を指す。)
さらに踏み込んで、著者は「日本人は利他的で勤勉・従順である」という暗黙の前提そのものを疑う。実際には利己的でありながら、勤勉・従順を「装っている」だけではないか、というわけだ。
パンドラの箱といえばそうだろう。
つまり日本人は「集団主義で従順な国民性」なのではなく、そういう組織という古いOSを逆手に取りながら、自分の領分を必死に守り抜こうとする、環境適応能力に長けた個人の集まりなのだ。
そこには、日常生活の安定を求める気持ち、自分だけが損をするのは御免だという本音、複雑な人間関係の維持、崩したくない体面やプライド、静かに燃える競争心、あるいは逆に純粋な献身の願望や自身の理想を貫きたいという思い——一言では語り尽くせない事情が絡み合っている。
そうなると、エビデンスがないと怒っている人の中には、図星だった人もいるのかもしれない。世の中複雑なのだ。
この仮説の先がある。組織が本音でどんな人材を求めているかというアンケートで、「論理的に相手を説得できる人材」より「空気を読んで円満な人間関係を築ける人材」を挙げる回答が、日系非グローバル企業では事務系・技術系ともに上回っていたという。
また人事担当者に「社員には失敗のリスクを恐れずチャレンジしてほしいか」と尋ねると、圧倒的多数が肯定的に答える。ところが現場の社員に「リスクを冒してまでチャレンジしないほうが得か」と逆の角度から問うと、今度は「得だと思う」という回答が三分の二近くを占める。
これが現実なのだ。
で、こうした組織のありようは、関東軍や特攻、ノモンハン、インパールにも通じる。それらはいずれも、どこかに個人の私欲や保身が入り込んだ形で暴走した、出鱈目な作戦だったのだから。
特に戦争経験者がいなくなりブレーキがなくなり、かつシビリアンコントロールが軍部の暴走を防ぐという仕組みが米国をみても機能しない世の中になってしまっている。要はアホが上に来たらもう「止まらずに進む組織」になるのは目に浮かぶ。
さて、組織改革のキーワードとして著者が掲げるのは「多様性」「オープン」「フラット」、そして日本人がもともと持っていた強みを解き放つことだ。著者の言うように、現代のようなサラリーマン社会になる以前、もともと自営業者の多かった日本は、敗戦の焼け野原から奇跡的な高度成長を果たした。本来持っている生存本能や創意工夫を発揮するには、自由と責任、そして自律性の解放こそが鍵だという主張には説得力がある。
気になる点は、著者はジョブ型社会など欧米の実態について、必ずしも詳しくないかもしれない。日本の組織論は中根千枝の『タテ社会の人間関係』のように「特殊」だと語られがちだが、「優秀な人が揃っていれば優秀な組織になるとは限らない」という現象自体は、海外でも同様に見られる。心理的安全性をはじめとする組織論の議論の多くは、そもそも海外発だ。海外にも同じ問題があるからこそ、こうした議論が生まれてきたと考えるべきだろう。
たとえばケネディ政権に集められたエリートたちは、「ベスト・アンド・ブライテスト」と称された知識人集団だった。彼らは高い知性と自信を持ちながらも、冷戦の論理と合理主義への過信からベトナム戦争の拡大を招いた。まさに書籍『ベスト&ブライテスト』が描いた話そのものである。これは人間という存在そのものの性質なのだろうか。もっとも、著者の言う「日本の組織の問題」とはやや性質が異なるのだろうか。
また、カール・アルブレヒトらの『なぜ、賢い人が集まると愚かな組織ができるのか』のタイトルを意識したんだろう。全社員が貢献する知識・能力の総和を「組織の知性(OI)」と呼び、それを下げる要因として、構成員が「考えること」を許されていない状態や、規則や制度に縛られて創造的な発想ができない状態を挙げている。
太田氏の本にあるような「保守性」や「自己保身性」という表現はこちらには見られないが、要するに、心理的安全性を含めたこうした議論はすべて海外発であり、組織の問題は海外にも等しく存在する。ただ、この本はそれでもなお「日本的なもの」に特有の歪みが確かにあり得ると感じさせられる。確かにエビデンスは乏しい。
本書の結びに出てくる「イヌ型」「ネコ型」というたとえは、仲山進也『「組織のネコ」という働き方』を意識したものだろう。
やや真面目な話をすると、私自身は「演技」を肯定的にとらえている。特に社会人になりたての人や、その手前の学生には積極的に薦めたい。トマス・モアが『ユートピア』で語ったように、社会における「演技」の重要性は昔から指摘されてきている。
ただし、これはあくまで若いうちに有効な一種のペルソナであって、そのまま年齢を重ねるとどこかで壁にぶつかる。
そしてそれが忖度に向かってしまえば、よい話にはならない。
本人の人生においても、組織にとっても。
Posted by ブクログ
メモ
客観的なデータがない推論ばかりだが内容は面白いと思う。
日本企業では業務の範囲が曖昧で、集団で仕事をこなすスタイルが主流。そのため個人のアウトプットを正確に判断することが難しく、評価者は必然的にインプット、どれだけ頑張っているかに目を向ける。
残業は単なる労働時間の延長ではなく、組織に対する忠誠心と貢献意欲のデモンストレーションとしての価値を持つ。そして残業代の発生しない環境では長時間労働こそが承認を引き出す。
適切な環境での客観性のある人事評価指標がなければ従業員は別の承認を求めて崩壊する。
組織体制を変えるにはまず、人事評価制度を整理する必要がある。
ただ、数字だけを求めた成果主義体制になると、数字に直結しない仕事はしなくて良いという免罪符を社員に与えてしまうことになり、組織全体への帰属意識が労働と報酬のドライな関係へと変質してしまう。